山川健次郎伝 白虎隊士から帝大総長へ

星亮一著
平凡社
刊行:2003/10/20
F から借りた
読了:2010/12/18
会津藩士の家に生まれ、会津戦争を生き延び、苦労して勉学に励んで東京帝国大学総長にまでなる山川健次郎の伝記。実に読みやすくて面白く、二日で読み終えてしまった。

山川健次郎は、会津藩の家老職の家の次男として生まれた。会津戦争では、白虎隊士として悲惨な経験をし(ただし、飯盛山に行った部隊ではない)、戦後も賊軍として辛酸を嘗めた。しかし、運も手伝って、アメリカのエール大学に留学することができて、必死で勉強に励んで、物理学を学んでくる。帰国して東京開成学校(東京大学の前身)の物理学の教授補となり、やがて東京大学の物理学の日本人で初めての教授になる。東京大学では、田中館愛橘と長岡半太郎を育て、日本の物理学の基礎を築き、やがては東京帝国大学総長にまでなる。大学行政家として名を成し、東京物理学校(今の東京理科大学)、明治専門学校(今の九州工業大学)、九州帝国大学、武蔵高校(今の武蔵大学・武蔵高校)の創設に関わった。人格者で優れた教育者だったということである。その根元には会津魂があった。

私が山川健次郎に少し親近感を感じるのは、私が卒業した東京大学と現在奉職している九州大学の総長であったこと、それから地球物理学者でもあった田中館愛橘と長岡半太郎の名前が出てくることである。こういう立派な人が(直接関係はないけど)先達だったと思うと、身が引き締まる思いがする。その志を少しは継ぎたいと思う次第。