真昼のプリニウス

池澤夏樹著
中公文庫 い 3 4、中央公論新社
刊行:1993/10/09
文庫の元になったもの:1989/07 中央公論社刊
名古屋市緑区の古本屋 BOOKOFF 名古屋滝ノ水店で購入
読了:2010/08/27
この小説の主人公の芳村頼子(よしむらよりこ)は火山学者で、研究対象としてここでは浅間山がでてくる。といっても、この小説のテーマは火山にあるのではなく、むしろ科学では語れないような何かである。言葉で語ることの限界のようなもの。それは、小説というものが常に追っているものかもしれない。そのようなものを語らせるために科学者を出してきているのがうまい仕掛けである。女性科学者にしているのも、男性にそういう微妙な感性を語らせるとリアリティがなくなるせいかもしれない。

主要登場人物には、それぞれ異なる感性を持たせてあり、それらを折り重ねて主人公の感性を浮き立たせている。

こういった引用から、この小説が描こうとしているのが、人間と言葉と真実の間であることがわかるだろう。言葉で捉えられそうで捉えられない世界という真実、その中での言葉の役割。
主題は、科学ではないにしても、それなりに良く取材をしてあるらしく、学者の生態はよく描けているし、科学的な知見もあまり間違っていない。細部にも手を抜いていないようだ。

たとえば、研究者の日常を言い当てている一節 (pp.58-59):

次の論文のアイディアはなかなか具体的には展開せず、雑務ばかりが時間を盗んだ。仕事の中心には興味深いことがたくさんあるのに、そこに到達するのは容易ではない。立ち止まって考えれば苛立つことになるから、仮の運動感で自分を麻痺させる。動いているのだから何かしていると思わせる。その一方で、それで満足してはいけないと自分に向かって小さな声で言う。事態が何も変わっていないことはわかっている。だが、どう変えればいいのかわからない。一つの分野の中堅になるというのは、こんなことだったのかと思う。どこかでだまされたような気持ちだ。

あるいは、地震予知に関する警句 (p46)

つまり、いずれにしても、恐怖と警戒心で予算が付くのは事実ですよ。予知の研究はいわばスポンサーの要請じゃないんですかね

そして、何より第4部の「天明三年浅間山大噴火の記録ー大笹村のハツ女の体験記」が面白い。体験記は創作だと思うけど、おそらくきちんと実際の噴火の記録を調べてあり、迫力がある。

けれども、細かいツッコミを入れるならば、以下のようなことに気づいた。