「怖い絵」で人間を読む

中野京子著
NHK 知る楽 探究 この世界 2010 2/3 月、日本放送出版協会
刊行:2010/02/01
名大生協で購入
読了:2010/03/22
「はしがき」で、古い絵は知識を持って読まなければならないと著者は述べる。 まさにその通りだと思う。絵は単に感じるものであるというのは、現代芸術がもたらした誤った常識だと思う。 本書・本番組によって、絵を見る目がだいぶん変わって面白かった。 絵を通じてヨーロッパの歴史の暗部が透けて見える。

[第1回 悪意の肖像―ダヴィッド「マリー・アントワネット最後の肖像」 2 月 1 日]
マリー・アントワネットの悲劇を読む回。
ダヴィッドのスケッチ「マリー・アントワネット最後の肖像」が第一の怖い絵。このダヴィッドが曲者。 革命のさなか、変節を繰り返して、為政者におもねる。 革命の指導者を描いた「マラーの死」という作品がある一方、 ナポレオンが台頭すると「ナポレオンの戴冠式」なんていうナポレオン万歳の絵を描く。 この2作品の作者が同じだったとは今まで気づかなかった。でも画力はすばらしい。 で、マリー・アントワネットのスケッチはジャコバン派の立場から描かれたわけで、 その悪意も絵の中に読まなければならない。でも、一方で、 マリー・アントワネットの覚悟を決めた毅然とした雰囲気も感じられる。
第二の怖い絵は、ヴィジェ=ルブランの「マリー・アントワネットと子どもたち」。 これは革命前に宮廷画家が描いたものだが、今からみるとマリー・アントワネットと子供たちのばらばらな視線が、 彼らの悲劇的な運命を暗示しているようにも見える。

[第2回 美の呪い―ヴィンターハルター「エリザベート皇后」 2 月 8 日]
ハプスブルク家の皇妃エリザベートを巡る悲劇。エリザベートは、 帝国末期の皇帝フランツ・ヨーゼフに一目惚れされて嫁いでくる。しかし、 フランツ・ヨーゼフは謹厳実直まじめそのもの、 その母親のゾフィは女傑で政治力もあるしっかりものであるのに対し、 エリザベートは美しいが遊び好きで奔放だったので、うまくいくわけがなかった。 子供たちは姑のゾフィが養育することになり、エリザベートは旅から旅への生活を続け、最後には暗殺される。
今日の第一の絵は、ヴィンターハルターの「エリザベート」。皇妃エリザベートの美しさをよく捉えているものの、 そのまなざしはどこか寂しい。 第二の絵は、ムンカーチの「ハンガリーの軍服姿のフランツ・ヨーゼフ一世」。 フランツ・ヨーゼフの経験した悲劇が、その謹厳な顔の皺に刻まれているようだ。

[第3回 運命の子どもたち―ベラスケス「フェリペ・プロスペロ王子」 2 月 15 日]
この回では、 スペイン・ハプスブルグ家のフェリペ4世とマリアナの間に生まれた3人の子供たちの肖像が取り上げられる。 スペイン・ハプスブルグ家は近親婚を繰り返してきたために、 このうち2人の男子は病弱だったり発達障害だったりして、これでスペイン・ハプスブルグ家は断絶する。
3人のうち最年長はマルガリータ王女である。彼女は、ベラスケスの傑作「ラス・メニーナス」に描かれている。 マルガリータは、オーストリア・ハプスブルグ家のレオポルド1世に嫁ぐ。結婚生活は幸せだったものの、 21歳で死ぬ。
次に生まれたのが、フェリペ・プロスペロ王子である。生まれたときから病弱で、 それがベラスケスによる肖像画「フェリペ・プロスペロ王子」からも見て取れる。弱々しい手に青い顔、 魔除けの鈴や病気除けのハーブといったものが病弱さを表現している。この絵が描かれた翌年、ベラスケスが死に、 そのさらに翌年、王子が4歳で死ぬ。
末子がカルロス2世である。発達が遅れ、病弱で、精神状態もおかしく、生殖能力もない。その様子は、 ミランダによる肖像画「カルロス2世」からもかすかに見て取れる。 王の肖像画だから粉飾があるので明確ではないが、青白くて少し歪んだ容貌である。王が38歳で死んだどき、 スペイン・ハプスブルグ家も断絶する。

[第4回 戦慄の神話―ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」 2 月 22 日]
ローマ神話のサトゥルヌスをめぐる血塗られた物語である。サトゥルヌスは農耕神なのだが、 暗いイメージを数多く持っている。ギリシャ名の kronos が「時」を意味する chronos と同じ音なので、 時の神でもある。時はもとごとの終わりを支配する。神話では、サトゥルヌスは父ウラノスを殺し、 子供たちを呑み込む。農具の鎌は、ウラノスを殺すのに使われる。さらに、 サトゥルヌスは凶星の土星と結びつけられてもいる。
ゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」は、文字通り怖い絵で、狂気のサトゥルヌスが我が子をむさぼり食っている。 絵は神話的ではなく、狂っているけれどもどこかに人間性が残る人を描いたものに見える。神話では、 サトゥルヌスは我が子を食ったのではなく、呑み込んだだけなのだが、 以下のようなゴヤの悲惨な体験がこのような怖い絵を描かしめたのであろう。
ゴヤは46歳で聴力を失った。53歳で主席宮廷画家となった。引き続いて、スペインは、 ナポレオン侵攻とそれに引き続く王政復古で混乱した。そのとき、ゴヤは、戦争の惨劇を描いてゆく。 描かずにはいられなかった悲劇の数々。ゴヤは、72歳から隠遁生活に入る。 その家の壁に「黒い絵」と呼ばれる陰鬱な連作が描かれる。その一つが「我が子を喰らうサトゥルヌス」であった。
テキストでは、サトゥルヌスに関連して、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」も取り上げられている (番組では省略)。ヴィーナスは、サトゥルヌスが殺した父ウラノスの肉塊から生まれた。そして、 ヴィーナスは数多くの恋人がいた愛欲の神でもある。ボッティチェリの絵は、華やかで有名な絵であるが、 神話を思い返しながら見ると、裏にある闇も見えてくる。

[第5回 見たこともない風景―ベックリン「死の島」 3 月 1 日]
今回は、風景画。西洋で風景画が描かれるようになったのは、16世紀後半になってからで、比較的新しい。 今回は、心象風景を描いたようなもの3点を選んである。うち、放送で取り上げられたのは「死の島」だけで、 あと2つはテキストでのみ取り上げられている。
さて、そのベックリンの「死の島」。島全体が墓場であり、手前の船にも死の象徴がいろいろ描かれている。 中央に描かれている糸杉は、ギリシャ神話が元になって死を悼むことを象徴する。 このように絵には死の象徴が散りばめられ、死が口を開けて待ちかまえているかのような風景である。 しかし、ドイツでは、この絵は安らぎや静けさを表すものとして受け止められ、大人気となった。 その背景には、19世紀末の不穏な情勢や不安、19世紀になって墓地がきれいになったことなどが挙げられる。 ドイツの人々は、静かで安らかな死を表すものとして、この絵を愛したのだ。皮肉にも、 ヒトラーもこの絵が好きであった。
次は、エル・グレコの「トレド眺望」。独特の光と歪みの中に古都トレドが描かれている。 最後に、クノップフの「見捨てられた街」。衰退するブリュージュをモチーフに静謐で幻想的な空間が描かれている。

[第6回 怒りの果て―レーピン「イワン雷帝とその息子」 3 月 8 日]
今回は憤怒が招いた悲劇がテーマである。レーピンによるロシアの歴史を題材にした絵が二つと、 ドラクロワの「怒れるメディア」が取り上げられている。
レーピンは、帝政末期からロシア革命期に生きた画家で、自由主義的立場から絵を描いた。 「イワン雷帝とその息子」は、イワン4世の息子殺しの場面である。怒りの余り、息子を殺してしまってから、 我に返って恐怖におののく雷帝の姿が目に焼き付く。イワン雷帝は、陰謀が渦巻く国に生き、気性が激しく、 周囲の者をしょっちゅう打ち据え、とくに晩年には精神に異常を来していたらしい。 レーピンがこの絵を描いた時代背景としては、帝政末期のアレクサンドル3世による自由主義者弾圧がある。 レーピンの「皇女ソフィア」では、権力闘争に敗れた皇女ソフィアの憤怒の表情が描かれている。
ドラクロワの「怒れるメディア」は、ギリシャ悲劇に題材を取っている。 コルキスの王女メディアは、ギリシャの英雄イアソンの内縁の妻になる。ところが、その後しばらくして、 イアソンはクレオン王の娘と正式に結婚しようとする。夫の裏切りに憤ったメディアは、 花嫁とその父王を殺した上、夫との間に生まれた我が子を殺す。絵は、 子を殺そうとする直前のメディアの錯乱を描いている。

[第7回 死を忘れるな―シーレ「死と乙女」 3 月 15 日]
今日のテーマは死神。14世紀のペストの大流行を機にヨーロッパ絵画に死が多く描かれるようになった。 ブリューゲルの「死の勝利」では、死が溢れている。その時代あたりから、 「メメント・モリ(死を忘れるな)」という格言が伝わっている。 さらに、ルネサンス後期には「死と乙女」というテーマが現れる。快楽の空しさを表す一方、 ポルノという意味もあったのだろう。その後、19世紀末にも死と乙女が好んで描かれる。 エロスとタナトスという世紀末的な思想が反映されている。
今回のメインの作品は、エゴン・シーレの「死と乙女」である。シーレは、この絵の中で、 自分を死神として描いている。女性は、モデルのヴァリである。ヴァリは、シーレを支えてきたのだが、 シーレは良家の娘と結婚しようとする。それで、ヴァリはシーレの元を去る。 そこで描かれたのが「死と乙女」であった。そのときの愕然とした気持ちが描かれている。 その後、この絵が予言するように、ヴァリは2年後に猩紅熱で死に、3年後にシーレ自身がインフルエンザで死ぬ。

[第8回 癒す力―グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画」 3 月 22 日]
キリストの磔刑図はグロテスクである。しかし、キリスト教徒にとっては、 自らの苦しみを引き受けてくれるイエスに感謝し、それによって癒されるものであった。
「イーゼンハイムの祭壇画」は、凄惨な磔刑図である。これは、聖アントニウス教会にあった。 聖アントニウス教会は、当時の難病だった聖アントニウス病の患者がすがって行く場所であった。 描かれたイエスの皮膚に浮き上がる斑点は、このイエスも聖アントニウス病に苦しんでいることを暗示している。 苦しむ患者は、一緒に苦しんでくれる磔のイエスに慰められ、 さらに第二面に描かれた復活に治癒の希望を見出したのだ。そして第三面には、 病に打ち勝つ聖アントニウスが現れる。なお、聖アントニウス病は、現在では、 ライ麦パンの中の麦角菌が出す毒素が原因であることがわかっており、あまり問題が起こらなくなっている。