「間取り」で楽しむ住宅読本
内田青蔵著
光文社新書 189、光文社
刊行:2005/01/20
東京上野の古書店「上野古書のまち」で購入
読了:2010/10/05
住宅の間取りに対する考え方の歴史的変遷を見てゆくことで、間取りをどう考えたらよいかを見てゆくという興味深い本。1920 年代くらいを境に、日本の住宅が大きく変わったことがわかる。今まで当たり前だと思っていた「普通の」間取りも、戦後になって普及したものだということがわかり、これから住宅を考えるときにも柔軟に考えることができるようになりそうである。
以下、サマリー
- はじめに
- かつて、住まいは借りるものだった。1922 年の調査によれば、東京周辺の中産階級では借家が 93.3 % であった。1920 年代くらいから持ち家政策が始まり、1968 年には持ち家が約 60 % になった。持ち家が普及するにつれ、人々が間取りを考えるようになった。
- 序章 住まい全体が見えなくなった
- 1922 年、日本初の住宅展示場「文化村」ができた。ここに展示された樋口組の住宅には、住宅の中心を居間にするという現代につながる考え方が示されている。
- 第1章 忘れられた美風
- 「玄関」の話。武士の住宅においては、「玄関」は、身分の高い人を迎える場所であり、家族は「内玄関」、使用人は「勝手口」から出入りしていた。明治になると、西洋建築が入ってきて、洋館の玄関は靴のまま入るところになった。しかし、だんだん和洋折衷になってきて、1890 年代になると玄関には土間が設けられるようになり、1910 年代になるとその土間で靴を脱ぐようになった。1920 年になると、簡素で実用的なことを良しとする考え方が生まれ、わざわざ接客用の玄関を作ることを否定し、現代に通じるコンパクトで外開きの玄関が出てきた。戦後には玄関の無い住まいを作る建築家も出てきたが、やはり無いと困るらしい。
- 第2章 誰もいなくなった部屋
- 「居間」の話。伝統的な住宅では客間が最も重要な部屋であった。1900 年頃には家族団欒という考え方が一般化してきた。同じ頃、それまで銘々膳で食べていたのが、食卓(ちゃぶ台)で食事をするようになってきた。そういう時代背景の中で、住宅を客間中心から居間中心にしようという主張が生まれてきた。さらに、戦後の狭い公営住宅で DK がでてきて、やがて定着した。しかし、最近では女性の社会進出などに伴い、居間に人がいなくなってきた。そこで、居間の無い家も建てられるようになってきた。
- 第3章 いま最も大切な空間
- 「台所」の話。伝統的な住宅においては、台所は客間と離れた位置に作られ、土間と一段高い床とからなる広い部屋であった。1910 年代くらいから、このスタイルが批判され、土間の無い立って仕事をする台所、動作範囲の少ない狭くて合理的な台所、食堂に隣接する台所といったものが出てくる。戦後、住宅が狭くなったせいもあって、DK あるいは LDK というスタイルが定着してきた。最近では料理を趣味とする男性が増えてきたことから、台所を中心にした間取りも出てきた。
- 第4章 男の空間、女の空間はどこに消えた
- 「客間」の話。客間は、洋間なら応接室、和室なら座敷とも呼ばれる。伝統的な家では、客間こそが住居の中心であり、南の庭が見える良い位置に配置された。和室では、床の間、床脇に違い棚、附書院が設けられた。だんだんと居間が重視されるようになり、1910 年代以降二階建てが普及してからは、2階に客間を設けることもよく行われた。一方、玄関脇に洋風応接室を設けるというスタイルもでてきた。戦後になってどんどん客間は姿を消してきた。かつて客間は男の空間、台所は女の空間であった。接客による社会との接触を大事にしてゆきたい。
- 第5章 大人が入れない
- 「子ども室」の話。1915 年の「家庭博覧会」では、子ども室の提案があった。そのころから独立した子ども室の必要性が主張され始め、1930 年代から普及した。これは、ひとつには勉強部屋の確保という意味があり、教育の高学歴化と軌を一にしている。最近では、鍵のかかる子ども室は親子の断絶の象徴とみなされ、ドアを設けないとか寝室専用にするなどの工夫が見られる。
- 第6章 眠るだけの場所になっていないか
- 「寝室」の話。明治初期までは、寒さから身を守るために寝室は窓も通風も無い閉鎖的なものであった。明治になって、綿の入った布団が普及し、1900 年頃から清潔で風通しの良い寝室が主張されるようになる。1910 年代以降、洋風寝室を理想として紹介する傾向が出てくるが、本当の西洋のように寝室に化粧室・バスルームを併設することは、いまだに定着していない。日本では寝室を夫婦別にすることも多い。夫婦一緒の寝室にするには、ただ眠るだけの部屋ではなく、寝る前に夫婦で会話を楽しめる部屋にする工夫が必要であろう。
- 第7章 ひとりになれる最後の逃げ場
- 「トイレ」と「風呂」の話。伝統的には、トイレは母屋の端か離れに設けられていた。臭いが母屋に籠るのを避けるためと、汲み取りに便利なためである。また、大便用と小便用のトイレは別にするのが普通だった。水洗の洋式トイレが普及したのは戦後になってからである。というのは、戦前までは糞尿を肥料として使っていたからである。江戸時代の江戸では、内風呂があったのは武家住宅だけで、多くの人は銭湯に通っていた。戦後になって、お湯が簡単に沸かせるようになった。日本には、お風呂を楽しむ文化がある。
- 終章 「部屋」という考え方を捨てる
- 間取り全体の話。日本の伝統的家屋は、開放的である。江戸時代後期以降、南側には接客と主人のための部屋、北側には家族と使用人の生活の場が設けられた。1920 年代以降、居間中心の間取りが出てきた。だんだんと合理性が重視されるようになり、戦後は住まいが狭くなったこともあって、nL(D)K といった、リビング+n 個の寝室という間取りが基本になった。現代の建築家は、個室化を徹底してみたり、逆に壁を全く取り払ってみたり、人によっていろいろな試みをしている。