実戦・世界言語紀行

梅棹忠夫著
岩波新書 205、岩波書店
刊行:1992/01/21
廃棄してあったものを拾った
読了:2010/08/06
先頃亡くなった梅棹忠夫の本である。梅棹忠夫の本はこれまで読んだことがなかったが、 読んでみると、文章の歯切れは良いし、世界を飛び回っていた人の旅行記として 内容もわくわくさせる。

著者は言語学者ではなくて民俗学者だから、言語は実践的に必要に応じて習得し、 いらなくなったら忘れるということだそうだ(pp.178-180)。著者は、そういう言葉の学び方を 「小鳥草花言語学」と呼んでいる(pp.122-124)。小鳥や草花を愛でるのに、 小鳥や草花の性質に通暁している必要はない。ある程度それらの性質を分かっていれば良い。 言語も、完全にマスターする必要はないけれども、海外に行ったらその土地の言葉の 概略を学んで行けば、旅行は楽しく文化の理解が深まる。そういうことだそうだ。 そういう気分は、私も良くわかる。私は海外にはそんなに行かないけれども、 行くときにはその土地の言葉を少しは学ぶようにしている。 少なくとも「ありがとう」の一言は役に立つものである。

本書は、世界各地を研究で回った経験を、その言語を中心にまとめたものである。 研究書ではないから、気軽に読めて面白い。逆に言えば、体系的な話が学べるわけではないけれども。 著者の海外経験は、著者が二十歳のときの 1940 年から始まっている。 当時日本領だった朝鮮から始まって、 樺太、ミクロネシアと行って、世界のあらゆる大陸が出てきて、 最後はニュージーランドのマオリの話で終わっている。 これだけいろいろ行けば、さぞや楽しかっただろうと思う。

本書の最後では、日本語の国際化の話が出てくる。著者はローマ字論者であるらしく、 その理由の一つは国際化であり、他に著者が目が見えなくなったこと、 さらには、音韻構造の規則性が見えやすいことにあるようだ。 とはいえ、私は日本語のローマ字表記化は無理だと思うし、 無理に行えば日本語の豊かさを壊すと思うけど。 著者は民族学者なので、音声で語られる言語を大事にしており、 文字で継承される文化を軽視しているきらいがあるようだ。