分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのか
三中信宏 著
講談社現代新書 2014、講談社
刊行:2009/09/20、刷:2009/10/08(第2刷)
東京駒場の東大生協駒場書籍部で購入
読了:2011/11/12
種と分類に関する過去の様々な考え方を紹介してある本。著者の博学ぶりと、充実した文献リストが目を引く。
雑多な事柄が並べられているのは、あとがきによれば、もともと講談社の読書情報誌「本」に連載されたものであったためのようだ。
たしかにそういうものであれば、このように絢爛豪華に過去の考え方をちりばめるのは、相応しい趣向である。
生物の種に対する著者の考えは最後の方で述べられてる。
「生命の樹」そのものを指すユニークかつ究極的な時空ワームただ一つを仮定すればそれで十分だろうというのが私の立場である。
(p.254)
つまり、進化を考える以上固定した種は無いのだから、その変化も含めた全体を考えましょうということだ。
しかし、そうするにしても、その樹の枝は何かとか枝の太さの意味とかいったような問題があると思うのだが、
それ以上の議論はなされていない。
ともかく、結局のところ、種や分類といったものは人間が生得的に持っている心理的本質主義によるものである、
という考えが随所に述べられており、本文も
われわれ人間は「種」を愛している―昔も、今も、そしてこれからも (p.282)
と締めくくられている。
後日 (Nov 2011)、著者御本人のセミナーを聴く機会を得た。「種」に関する議論は、
すでに山ほどあるので、御本人としてはそれに深くコミットする気はないようだった。
むしろ本文に締めくくられている通り、「種」は生得的な本質主義が生んだ幻という立場で、
それ以上のものではないという立場のようだった。
セミナーにおいても、何より著者の博覧強記ぶりに圧倒された。生物の体系学の歴史の解説は、
大変勉強になり、著者がどういうふうにものを見ているのかがよくわかった。