ニーチェ ツァラトゥストラ

西研著
NHK 100分de名著 2011 年 4 月、NHK 出版
刊行:2011/04/01(発売:2011/03/25)
福岡姪浜の福岡金文堂姪浜店で購入
読了:2011/04/21
出版社の社名が、2011 年 1 月より「日本放送出版協会」から「NHK 出版」に変わっている。
短時間でニーチェを読んだ気になれるというありがたいテレビ番組とそのテキストである。最初はニーチェの簡単な伝記、メインは思想のエッセンスの解説、最後は思想の現代的な意義を考える、というよくできた構成になっている。それぞれの内容もわかりやすい。著者が指摘しているとおり、ニーチェの思想は現代日本に生かせる。多くの人が弱者であることから解放され、さてと周囲を見回すと目標を見失っている。そのときにニーチェの言葉は力強く響く。目標は、結局のところ自分で作るのである。

以下、私がなるほどと思った部分などを挙げていく。

人間には「実存派」と「社会派」の2つのタイプがある (p.17)
実存派は自分の苦しみとか生き方にこだわるタイプ、社会派は社会をよくすることが重要と考えるタイプで、ニーチェは前者、へーゲルは後者。
[感想] 鮮やかな対照がわかりやすい。
ルサンチマン=うらみ・ねたみ・そねみ (p.26)。ルサンチマンはニーチェ自身の問題であった (p.26)。ルサンチマンの問題点は、自分を腐らせてしまうこと (p.29)。
[感想] 恨みを持つと、主体的に生きられなくなる。そう思って世の中を見回すと実際そうである。恨み言や愚痴が多い人は、他人のことを気にし過ぎているし、自分で状況を主体的に改善しようとしない。
キリスト教の神はルサンチマンから生まれた (p.30)
ユダヤ人は弱者であった。そこで、神を作って、観念の上で強者になろうとした。強者は悪者で、弱者は善人だから天国に行けるということにした。それには弱者の尊厳を守るという効果はある。しかしながら、善は神が決めてしまうので、創造性を抑圧するという悪い点がある。
自分たちが神を殺した (p.37)
キリスト教は「誠実さ」を育てた。誠実になってみると神は人間が作り出したことがわかった。
ニヒリズムは目標喪失 (pp.40-42)
[感想] 著者が書いているとおり、現代の若者も目標を失っていることが多い。
ニーチェが、人権と民主主義という近代の思想を批判したのは間違っていて、人権と民主主義は創造性の条件である (p.49)
[感想] 著者の言うことはもちろん妥当だと思う。ニーチェのような思想自身も、近代の人権の産物であるともいえる。とはいえ、こういう行き過ぎた過激さがニーチェの魅力でもある。正しいことは往々にして凡庸だったりするので。
超人は幼子のイメージ (p.52)
[感想] 幼児の天真爛漫はたしかに羨ましくなることがある。
エネルギー保存の原理は永遠回帰を要請する (p.64)
[感想] もちろん熱力学の第二法則を考えるとそんなことはない。とはいえ、クラウジウスが熱力学の第二法則を確立したのは 1850-60 年代で、「ツァラトゥストラ」が 1880 年代ということを考えると、第二法則の意義が理解されてなくてもしょうがないということにはなるのだろう。
悦びは嘆きよりも悲しみよりも深い (p.80)。悦びは永遠を欲する (p.80)。
[感想] 人生を全肯定する。この厳しくも力強い思想がニーチェの真骨頂で、これはまあ頭よりも心に突き刺さる。
楽をしても幸せになれない (p.84)
[感想] 著者が挙げている論点。楽に生きられるようになったことで目標喪失に陥るという近現代の皮肉が、ニーチェのような思想を生んだ。ニーチェの思想はニヒリズムを突破するカンフル剤のようなものである。精神的に落ち込む大学生がけっこういるのを見るにつけ、ニーチェをうまく利用できないかと思う。
ニーチェの超人のイメージは孤高だけれども、著者は語り合い・尋ね合いの重要性を強調している (pp.53-57, 91-106)
[感想] これももっともだけど、一方でニーチェの良さは、孤独だったからこそ過激に語れたということかなとも思う。議論しつつ真っ当な結論に至ってしまうと、棘がなくなって魅力が薄れる意味もある。中庸も美徳だけれど、過激なところがニーチェの魅力。

以下、放送時のメモ
●第1回 ルサンチマン●

生い立ち
 古典文献学で優秀な成績を収め、若くして教授に
 処女作「悲劇の誕生」が総スカン
 以後、教授もできなくなり、旅をしながら膨大な著作を書き続ける
 晩年は精神を病む

ルサンチマン=うじうじ
 無力からする歯ぎしり
 無力からする復讐心
  〜だったら〜だったのに
ルサンチマンは喜びを感じる力を弱くする
 ルサンチマンに負けないで小さな喜びを感じよう

価値の転換
 ツァラトゥストラは聖書のパロディー
 キリスト教では自分のことを大事にできない
 どうやったらわくわくできるか?快活に生きられるか?

●第2回 超人●

神は死んだ
 キリスト教を信じている森の聖者のことを
  「神が死んだことを知らないのか」と評した
 価値の転換:善悪は神→よいわるいは「生の高揚」
 キリスト教の背後にはルサンチマンがある

ニヒリズム
 目標や価値がわからなくなった状態
 すべてのものは無価値であると思ってしまう
  →末人(まつじん):蚤みたいな人間たち

超人
 人間は、動物と超人を結ぶ綱
 綱渡り師は、無謀にも綱を渡り、失敗して落ちるかもしれない。それでも良いのだ。→超人を目指して没落せよ
 超人は幼な子

●第3回 永遠回帰●

永遠回帰
 自分の人生が何度も何度も寸分違わず繰り返す
 エネルギー保存の原理は永遠回帰を要請する
 実際のところは、人生を肯定するためのファンタジー
 人生が最悪であっても、それをそのまま受け入れることで、超人になる
 ニヒリズムを捨てることで、永遠回帰を受け入れて超人になる
 その苦しみを欲さなければならない

運命愛
 自分の人生を全部肯定せよ(マイナスも含めて全肯定)
 ルサンチマンにとらわれず、人生を悦びにしよう

深夜の鐘の歌
 七つ!世界の苦しみは深いー
 八つ!よろこびーそれは心の底からの苦悩よりも一層深い
 九つ!苦しみは言う、「終わってくれ!」と
 十! しかし、すべての悦びは永遠を欲する
 十一!深い、深い永遠を欲する!

まとめ
 喜びを求めて生きよう

●第4回 西研×斎藤環:現代に生かすツァラトゥストラ●

アポロン的(論理) vs デュオニソス的(感情)

末人はまったり生きる。超人は自分を鍛える。

超人とひきこもり
 西:超人は、常にポジティブ。でも、一人で頑張れという感じ。本当は創造性は人と人とのつながりの中にあるのではないか。
 斎藤:超人は、完璧な引きこもり。そういう自分を全肯定できるかどうか?
 西:自分が自分の最大の見方。
 斎藤:若い世代の意識の中で、肯定する力が弱まっている。肯定することが大切。引きこもりの人は、社会的な基準にだけ依存しているために自分を肯定できない。

自分を肯定する
 斎藤:皆が承認を求めているけれども、承認抜きで自分を肯定せよ。
 斎藤:自分が何が欲しいのかわからない人が多い。比較の発想に慣れすぎていると、自分の欲望がわからなくなる。
 西:世間から評価される前に、自分がワクワクすることは何かを考える。