ところで、最後の放送で、著者が、大学生は週に本を5冊読めと言っているのがちょっと気になった。 もちろん本を読むことは大事である。しかし、内容のある難しい本であればあるほど週に5冊も読めない。「どんな本を」ということまで言ってほしかったと思う。
福沢は、オランダ語、次いで英語を学んだ。3度の欧米視察を経て、37歳の時「学問のすすめ」を著す。大ベストセラーになり、社会に大きな影響を与えた。このおかげで、多くの若者が上京した。
背景1:武士が失業して、自分で一から始めないといけない
背景2:植民地化の危機を乗り切る
福沢の学問は実学であった。すなわち、生活に役立つもの。知識を活用できないことを嫌った。知識を活用できない人は、国のためには無用の長物。実学のなかには科学も含まれている。実証的なものは実学。
自分の頭で考えるということが「実学」ということばに込められている。一人一人が判断力を持たなければならない。国民全員が学ばなければならない。そうでなければ、欧米のような進んだ社会を実現できない。
実生活の中にこそ学びがある。飯を炊き風呂を沸かすのも学問である。社会に出てからこそが本当の学問の始まり。
今の日本はお上への従属意識が強すぎる。それでは、形だけ文明開化しても、文明の精神は衰えてしまう。
官に頼りすぎないことが大切。自分こそが日本を背負って立つという心構えでいなければならない。政府は国民の代理であって、法律も国民が作ったものである。だから、国民は法律を守らなければならない。
福沢は、独立の気風を全国に充満させたい、たくましい国民を作りたい、と考えた。
福沢の時代認識としては、国民が政府を頼る意識が江戸時代から変わっていないどころかより依存的になっている、と考えていた。このままだと文明の精神が衰えていくだけだ。人々は卑屈で保身を考えている。お上頼みの風潮は変わっていない。日本には政府はあるけれど、国民がいないと言ってよい。
福沢は、政府と国民には同等の権利があると考えていた。国民の意識を高めるためには、演説をする練習をすればよいと考えた。政府と国民が渡り合うには演説ができなければならない。そのためには、自分の考えを言葉で伝える技術を高めなければならない。演説までには、観察→推理→読書→議論→演説の段階がある。
一人一人が当事者意識を持ってプレーヤーにならなければならない。自分こそが国家を支えるという意識を高めなければならない。
開かれた社会の妨げになるのは、怨望の心、すなわち、ねたみ、羨望、嫉妬のたぐいである。カラリとした心で、他人の言動の邪魔をしないようにしなければならない。
福沢の言う独立では、個と公共心とが密接に結びついている。国は独立した人間が支える。福沢は、使命感のある人々が社会を作ることが重要であるとした。公的な使命感を持って社会に還元することが大切である。
福沢は society のことは「人間交際」と訳した。society は、人間同士のつき合いを含んでいる。人間交際を活発にするには (1) 弁舌を学ぶこと(話し言葉で伝える)、(2) 顔色容貌を快活にすること(上機嫌でいること)、(3) 交際を広く求めること(人間関係を閉じない)といったことが重要である。
このようにして、明るく、力強く生きていこう。
齋藤孝の好きな言葉:
賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによりて出来るものなり。学ぶと気分も晴れてくる。
[齋藤] 今回の東北大震災では、釜石市の小中学生が津波から逃れた。これは、中学生が自分たちで判断して逃げたのである。そうできた理由は、小中学生たちが避難3原則を学んでいたからだ:(1) 想定にとらわれない (2) 状況下で最善を尽くす (3) 自らが率先避難者になる。このような実際に使える力が学問の力である、というのが福沢の言っていたことである。
[藤原] 学問をすることは、読書をすること。それによって、論理的な思考ができるようになる。基本的な科学や数学はは知っていなければならない。そうでないと、いざというときに武器を失う。一人一人が学問をして成熟した判断力を養うことが重要。
[齋藤] 識見と行動力の両方を持った人が福沢的品格のある人。
[藤原] 日本の文化と歴史に誇りを持て。「学問のすすめ」は今でも通じる。