言語の脳科学 脳はどのようにことばを生みだすか

酒井邦嘉著
中公新書 1647、中央公論新社
刊行:2002/07/25、版:2007/01/25(第11版)
東京八重洲の八重洲ブックセンター本店で購入
読了:2011/06/07
言語理解の根幹の部分は生得的であるという考えの下に、 脳科学で言語を理解しようとする研究分野の紹介。 チョムスキーが、生成文法という考え方で言語の生得的な構造を理解しようとしたのを、 脳科学の立場から進めようとしている。 脳科学としては研究が始まったばかりということのようで、わからないことが多いようだ。 いろいろ互いに矛盾する結果があることの紹介で終わっている章が多い。

チョムスキーの言う言語の生得的な機能に関してはずっと議論が続いているらしい。 最近の Nature でも関連記事 [Nature ダイジェスト 2011 年 7 月号 pp.3-4 (doi:10.1038/ndigest.2011.110703)。その元は、Nature 2011-04-13 (doi:10.1038/news.2011.231)] を読んだ。

この本には新書にしては珍しく索引がきちんと付いているのが良い。 途中で専門用語がわからなくなったとき、初出の部分の説明にすぐに戻ることができる。


読みながらのメモ

以下、途中から取り始めたメモ:

第6章 言語の機能局在―言語に必要な脳の場所

失語症の研究などから、言語に関係があるとされている脳の部分は以下の通り。 Broca 野、Wernicke 野と角回・縁上回が言語野と呼ばれる。

名称Brodmann 領野番号(脳の中の位置)役割
Broca 野44,45(左脳の前頭葉の下前頭回腹側部) 発話
Wernicke 野22(左脳の側頭葉上部の側頭平面から上側頭回後部) 話し言葉の理解、発話時の言葉の選択
角回・縁上回39,40(左脳の頭頂葉) Wernicke 野と Broca 野の中継、文字などの視覚情報を受け取る
小脳 候補となる答えを予想するような「認知的予測」(よくわかっていない)
大脳基底核大脳皮質の奥深く 文法を体で覚えることと関係しているらしい(よくわかっていない)
視床 大脳皮質の機能の協調(よくわかっていない)

第7章 言語野と失語―左脳と右脳の謎

多くの人では、言語機能が左半球にある。右利きの人の96%、左利きの人の70%で 左脳が言語の優位半球になる。脳の左右差の起源はよくわかっていない。

いろいろなタイプの失語症がある。それから脳の機能が少しずつ分かる。

名称損傷のある部位症状
Broca 失語Broca 野発話の障害
Wernicke 失語Wernicke 野話し言葉の理解の障害、発話時の言葉の選択の障害
全失語 (global aphasia)Broca 野と Wernicke 野 言葉の理解と発話の障害
伝導失語 (conduction aphasia) 弓状束(Broca 野と Wernicke 野を結びつけるとされる神経線維;直接的には確かめられていない) 言葉の選択や復唱の障害
超皮質性失語 (transcortical aphasia) 言語野と弓状束が大脳皮質から孤立している 復唱はできるが、その他は全失語と同じ
失読失書角回、側頭葉後下部 文字の読み書きの障害。角回の障害で仮名の失読失書、側頭葉後下部の障害で感じの失読失書が起こるらしい
読字障害 (dyslexia)不明。すばやく変化する刺激に対する処理が問題らしい 一つ一つの文字は読めるが、文章が正確に読めない

第8章 自然言語処理―人工知能の挑戦

文法についての知識は、幼児の脳に先天的に準備されているはずである。 コネクショニストたちは、白紙状態からニューロンの結合を強めたり弱めたりすることで 学習がなされると考えており、言語もその例外ではないと言う。しかし、それは誤りであろう。

第9章 言語入力の脳メカニズム―単語から文へ

最近、脳機能イメージングの技術が進歩した。とくに、fMRI と光トポグラフィは侵襲性が無いので使いやすい。 fMRI は、酸素化ヘモグロビンの増加を検出するもので、空間分解能は 1mm 程度、時間分解能は数秒以下である。 光トポグラフィは、近赤外のレーザ光を当てて、酸素化ヘモグロビンと脱酸素化ヘモグロビンの濃度変化を調べるものである。 空間分解能は 2-3 cm 程度、時間分解能は数秒以下である。光トポグラフィは装置が小型なので使いやすい。

脳機能イメージングによる言語研究は、従来、単語単位の研究が多かったが、著者らは文の理解の研究も行った。 それによると、左脳の下前頭回腹側部(Brodmann 45, 47 野)が文レベルの処理を専門で扱っているようだ。

英語はイタリア語に比べて綴り字と発音の関係が複雑である。それに応じて、脳の活動部分も異なっている。 単語を音読するとき、イタリア人は左脳の上側頭回の活動が強かったのに対して、イギリス人では左脳の下側頭回と下前頭回に強い活動が見られる。

第10章 文法処理の脳メカニズム―文法は脳にある

発話障害のうち運動性のもの(舌や唇がうまく動かせないことによっておこる)の原因は、 左脳の島皮質の中心前回の損傷によるものであることがわかってきた。 そこで、Broca 野の機能は舌や唇の運動ではない。

著者らは、文法処理が主に Broca 野(Brodmann 44,45 野)で行われていることを突き止めた。

第11章 手話への招待―音のない言葉の世界へ

手話は自然言語の一つである。日本手話は、日本語をベースにしているものの、日本語とは 違った独自の文法を持った言語である。このほかに、健聴者や中途失聴者向けに作られた 日本語の語順に沿った手話があって、これをシムコムという。シムコムは、伝えるのに 時間がかかるし、自然言語でもない。さらに、テレビで使われる手話放送の手話は、日本手話とも シムコムとも異なる折衷的な人工言語である。

手話の脳科学は始まったばかりである。基本的には音声言語と同様、左脳で処理されているようだが、 少し違いもあるらしい。

第12章 言語獲得の謎―言葉はどのようにして身につくか

文法は、生まれつき脳にあると思わなければ説明がつかないことがいろいろある。 たとえば、母語でない人が話すブロークンな言語である「ピジン」が話されている環境で育った子どもたちは、 一貫性のある文法規則を持った独自の言語(「クレオール」と呼ばれる)を話すようになる。

母語の母音の特徴の識別は、生後6ヶ月までにできるようになる。さらに、生後12ヶ月経つと、 母語に特化した識別だけが可能になる。16ヶ月から18ヶ月の幼児で、すでに母語の 語順にしたがった理解がなされているという実験結果がある。

左脳と右脳の機能分化の発達過程の研究も行われているが、まだ結論は出ていない。

第13章 感受性期とは何か―子どもは言語の天才

母語が身に付くようになる期間を感受性期(sensitive period)と呼ぶことにしよう。 感受性期は7歳頃までとされている。感受性期ができる原因はよくわかっていない。

バイリンガルは、巧みに複数の言語を使いこなす。言語発達の途中段階では、 語彙と文法の混在があるが、まず語彙の混在が減り、次に文法の混在が減るという過程で 二つの言語が分離してゆく。

バイリンガルの人が失語症になると通常は両方の言語に障害を受ける。 しかし、稀に、日ごとあるいは週ごと程度の時間単位で、 失語症となる言語が入れ替わる例が報告されている。