ブッダ 真理のことば

佐々木閑 著
NHK 100分de名著 2011 年 9 月、NHK 出版
刊行:2011/09/01(発売:2011/08/26)
福岡博多のあおい書店博多本店で購入
読了:2011/09/29
最近は、仏教ブームであるが、仏教の神髄に触れる機会はそう多くはない。本書は、仏教の原始的な姿を伝える「真理のことば」の解説である。 著者は、もともと理系の大学に行った人であるためか、字句をそのまま受け取るのではなく、科学を踏まえて現代に生かすためには どうしたら良いかを考えているところが好感が持てる。

以下、本のサマリーと放送時のメモ


本のサマリー

第1回 生きることは苦である

本講座で扱うお経は「ダンマパダ(真理のことば、法句経)」で、上座部仏教では広く知られている。

ブッダの本名はゴータマ・シッダッタ。ブッダは「目覚めた人」「悟った人」という意味の敬称である。

ブッダは、この世は苦しみであると考えた(一切皆苦)。人は、老、病、死を免れることができない。さらに、インドの考え方では輪廻があり、何度生まれ変わっても苦しみが続く。輪廻を停止させるには、煩悩を断ち切らねばならない。

この世の真理には「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」の4つの局面がある。苦諦は、一切皆苦ということ。集諦は、苦の原因が煩悩であること。滅諦は、煩悩を消すことで苦が消えるということ。道諦は、煩悩を消すためには8つの正しい生き方(八正道)を実践することである。

釈迦の仏教の特徴は、自分の力で道を切り開くということである。出家して、瞑想によって悟りに至らなければならない。

第2回 うらみから離れる

世の中で起きることは因果(縁起、因縁)で結びついている。とくに、苦しみの原因は煩悩である。煩悩の大本は「無明(むみょう)」である。無明は、愚かなことである。無明の考え方は「無知の知」に通じるものがある。
愚かな者が、自分を愚かであると自覚するなら、彼はそのことによって賢者となる。愚かな者が自分を賢いと考えるなら、そういう者こそが愚か者と言われる。(63)

煩悩の一つに「恨み」がある。恨みを捨てなければならない。

因果関係によって作られたすべてのものごとは移ろいゆく(諸行無常)。これを正しく認識することによって、人は苦しみから離れることができる。

第3回 執着を捨てる

煩悩の中で重要なものに「執着(執著 しゅうじゃく)」がある。金銭、贅沢、家庭生活などに執著してはならない。息子や娘は自分のものではない。さらに、自分さえも仮の存在である。すべての存在に自我というものはない(諸法無我)。ここで、法とは、因果によって作られたもの(行)と、因果の影響を脱した涅槃の両方を合わせたものである。

「私」は、いろいろな物質的ならびに心的な要素の集合体である。したがって、人は死ぬとその要素はバラバラになってしまう。ただし、その人の影響は周囲の人の中に残っている。そこで、釈迦の仏教では遺骸や遺骨を大事にしない。

執著を捨てる方法として、ブッダは出家を勧める。出家すると「サンガ(僧)」という組織に入る。サンガに入るときは、財産を放棄する。サンガに入ると、生産活動はせず、托鉢で生活する。このような組織の中で執著を絶って、仏法僧(ブッダ・ダンマ・サンガ)を大切にして生きる。

第4回 世界は空なり

仏教は自己鍛錬の宗教である。煩悩を捨て、涅槃寂静の境地を目指す。修行の基本は瞑想である。

現代社会では、出家の必要はない。出家はあくまでも手段なので、個人で瞑想して心を清らかにするようにすればよい。

大乗仏教では、釈迦の仏教とは異なり、因果律を超えた神秘的な作用を考える。


放送のサマリー

第1回 生きることは苦である

ブッダは、世の中は苦しみの世界であると考えた。苦しみの中でどう生きていったらよいかのアドバイスが「ダンマパダ」に書いてある。 人間の苦しみには2つある。外の世界が生み出す苦しみと、自分の心が生み出す苦しみと。

諸行無常

ものごとには発生と消滅があるということを理解せずに百年生きるよりも、発生と消滅の原則を見通しながら一日生きるほうが優れている。(113)

苦しみを受け止めるためには自分自身を変える必要がある。世の中は、自分の思いとは別に常に変わってゆく。

四聖諦(4つの聖なる真理)

仏法僧に帰依する者は4つの真理「苦(苦諦)」「苦の発生原因(集諦)」「苦の超越(滅諦)」「苦の終息へとつながる八つの聖なる道(道諦)」とを 正しい智慧によって見る。(190-191)

八正道:正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定

「正」とは、正しく世の中を見ること。自分中心の見方という錯覚を捨てることが大切。

ブッダは、釈迦族の王子であった。ある時、外の世界を見て、世の中が生老病死という苦しみに満ちていることを知った。 出家し修行を続け、35歳で悟りを開いた。私という自我の世界は虚構であることを知った。そのとき苦しみが消えた。

ブッダのことばは心の病院である。世の中が苦しいと考えている人が行く病院である。

第2回 うらみから離れる

今回のテーマは、自分で作り出す苦しみの元、とくに「うらみ」を考える。 「うらみ」の連鎖を捨てなければならない。
うらみを抱く人たちの中で私はうらみを抱くことなく安楽に生きよう
うらみを抱く人たちの中でうらみを抱くことなく暮らしていこう (197)
この世ではうらみがうらみによって鎮まるということは絶対にあり得ない
うらみは、うらみを捨てることによって鎮まる
これは永遠の真理である (5)

大本の煩悩は無明(むみょう)である。無明はこの世を正しく見ることができない愚かさである。

その汚れよりもいっそう汚れた汚れの極み
それが無明だ (242-243)
愚かな者が自分が愚かであると自覚するなら
彼はそのことによって賢者となる (63)

ブッダは、苦行によっては煩悩は消えないことを悟った。煩悩を消すには心を集中することが必要。 「うらみ」を捨てるには、一歩一歩心をトレーニングしなければならない。 客観的にものを見るためには訓練が必要である。

第3回 執着を捨てる

大きな煩悩の一つである執着について。諸行無常を理解していれば、執着することはない。そうすると執着が元となる苦しみがなくなる。
貪欲(とんよく)に染まった人は流れのままに押し流されていく。それはまるで蜘蛛が自分で作り出した糸の上を進んでゆくようなものだ。
自分自身がそもそも自分のものではない。ましてやどうして息子が自分のものであろうか。財産が自分のものであったりしようか。

自分の所有の世界を作るから苦しみが生まれる。

ブッダは、自分の教えにさえも執着するな、と説く。ブッダの教えは、悟りを開いたらもう要らない。その場その場で一番大事なものは何かを考える。

自灯明、法灯明:自分を灯明にせよ、法を灯明にせよ
自分の救済者は自分自身である。他の誰が救ってくれようか。

苦しみの原因となる執着が何かを常に突き詰めて考えることが重要。

第4回 世界は空なり

いつも物事の本質を考えるようにして、 「ここに自分というものがある」という思いを取り除き この世のものは空であると見よ。 そうすれば死の苦しみを越えることができるであろう。 (スッタニパータ1119)
自分は絶対的な存在物ではない。私はいろいろな要素が集まってできたものであって、私という本質はない。「空」とは、形はあるが本質がないということ。世の中のものは常に移り変わる=諸行無常。「私」も「空」である。世の中を客観的に見れば、世の中が「空」であることがわかる。

ものごとは心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。もし人が汚れた心で話し行動するなら、その人には苦しみが付き従う。(1)
ゆがんだ心で物を見ると、苦しみが生まれる。煩悩によって、世界観が自分中心になってしまう。世の中を客観的に見るための訓練が必要。

客観的にものを見るには科学が必要。というわけで、認知脳科学者(視覚が専門)藤田一郎を迎えてのインタビュー。

佐々木:科学の因果関係に基づく合理精神が仏教の基礎。
藤田:脳科学は 1980 年代から始まった。
藤田:錯視の例。脳には存在しない情報を補完するはたらきがある。網膜に映っているものと、脳が解釈するものとは異なる。
佐々木:瞑想、すなわち精神を集中すると特別な力が出てくる。
藤田:瞑想においては、感覚を遮断する。
佐々木:感覚を遮断して、正しい判断を目指す。
ナレーション:苦しみから逃れるには、強い意志が必要。
佐々木:世の中を正しく見て判断を下すことが必要。これは現代にも活きる教えである。