変身/掟の前で/判決/アカデミーで報告する

Franz Kafka 著、丘沢静也 訳
光文社古典新訳文庫 K A カ 1-1、光文社
刊行:2007/09/20、刷:初版第1刷
原題:(1) Die Verwandlung (2) Vor Dem Gesetz (3) Das Urteil (4) Ein Bericht für eine Akademie
原出版社:この訳が元にしているのは Stroemfeld Verlag の史的批判版カフカ全集
原著刊行:(1) 1912 に書かれ、1915 に雑誌出版 (2) 1914 に書かれ、短編集「田舎医者」(1920) に収録 (3) 1912 に書かれ、1916 に出版 (4) 1917 に書かれ、短編集「田舎医者」(1920) に収録
九大生協で購入
読了:2012/05/04

変身

Franz Kafka 著、原田義人 訳
青空文庫 [電子書籍]
作成:2010/11/28
底本:筑摩書房「世界文学大系58 カフカ」 1960/04/10
読了:2012/10/20

カフカ 変身

川島隆 著
NHK 100分de名著 2012 年 5 月、NHK 出版
刊行:2012/05/01(発売:2012/04/25)
福岡箱崎の明林堂書店箱崎店で購入
読了:2012/05/23

小説と放送テキスト

NHKの「100分de名著」で「変身」が取り上げられたので、文庫本も買って読んでみた。「変身」は、ずいぶん前、大学生だったかあるいは高校生だったかのときに読んだことがあったと思う。内容は憶えていなかったので、それほど共感したわけでもなかったようだ。一方で、NHKで解説の川島氏は高校生のときに読んでたいへん共感したのだそうだ。今読んでみてわかるのは、これに共感できる若者がいても不思議はないということだ。NHKの解説で書かれているとおり、これは引きこもりの物語だからだ。僕もかつては悩める若者だったけど、この悩み方ではなかった。でもこの悩み方をする人も少なくはあるまい。

カフカは、不条理文学とも言われる。しかし、同様に変テコな世界を描いた安部公房とはだいぶん趣が違う。安倍の小説は、作り込まれ計算された感じがするのに対し、カフカは、感じたままのような雰囲気なのだ。実際、NHKの解説によると、カフカは、頭に浮かんだイメージを一気に吐き出すように書いていくタイプだったらしい。だから、読むのも一気に読んでイメージで感じるのが良いように思う。ただ、新訳文庫版収録の4編のうち後半の「アカデミーで報告する」「掟の前で」は、仕組んだ感じがあった。作家生活も年月が進むと少しずつ作風が変わってくるということだろう。

主人公のグレーゴル・ザムザは、ある日起きてみると虫になっていた。ザムザという名前も、脚の多い虫を連想させる気がするのだが、ドイツ人もそう思うのだろうか?しかし、川島氏の解説によれば、この「虫」は、ドイツ語では Ungeziefer で、必ずしも虫ではないとのこと。Ungeziefer は、害虫や害獣の総称で、人間にとって役に立たないか有害な動物を指すのだそうだ。つまり、「変身」の「虫」は、役にたたないという意味で世界から疎外されていると感じるグレーゴルの心そのもので、だから引きこもりなのだ。なお、その意味では、昔の訳の「毒虫」(青空文庫版がそう)はちょっと違うとのこと。

物語の終わりに、虫はどんどん居場所がなくなって死に、家族は解放されてホッとする。川島氏は、ここにマイナス面だけではなく、プラスのメッセージも読み取っている。それは、核家族化に伴う家族関係の過度の濃密化からの解放である。

翻訳はやはり最近のものの方が読みやすいと感じる。青空文庫版、NHK解説版、新訳文庫版を比べてみると、青空文庫版は古い翻訳なので訳がこなれておらず、光文社古典新訳文庫の訳が一番すうっと読める。中ほどの一節で以下に比べてみる。

「青空文庫版」(原田義人訳)
そして、グレゴールが天井にぶら下がってほとんど幸福な放心状態にあるとき、脚を離して床の上へどすんと落ちて自分でも驚くことがあった。だが、今ではむろん以前とはちがって自分の身体を自由にすることができ、こんな大きな墜落のときでさえけがをすることはなかった。
「NHK解説版」(川島隆訳)
天井にいると、ほとんど幸せなくらいぼんやりするので、自分でも驚いたことに、天井から剝がれてポトリと床に落ちてしまうこともあった。しかし、もちろん今では前と違って、身体をうまく扱えるようになっていたので、そんなふうに盛大に落下しても傷を負うことはなかった。
「光文社古典新訳文庫版」(丘沢静也訳)
高いところにいて幸せでうっとりしていると、ときどき、床にパタンと落ちて、自分でもびっくりすることがある。だがいまは、もちろん以前とちがって、からだをうまくコントロールすることができるので、こんなに高いところから落ちても、けがをすることがない。

光文社古典新訳文庫収録のほかの3編についてもいくらかメモしておく。

「判決」
カフカは一晩で書き上げたそうな。老いた父親が、あるときあまり意味もなくだんだん怒り出して「おぼれて死ぬのだ!」と言ったので、主人公が川に飛び込むという話。カフカの父親に対する屈折した感情を読むというのが一つの読み方。父親に対する息子の感情は、自分の経験からしても微妙なところがあるので、わかる感じがする。
「アカデミーで報告する」
人間になった猿の話。これは寓話性が高い。
「掟の前で」
段落が一つしかない超短編。どう読むかはまさに読者しだいだろう。川島氏の解釈だと、カフカがあたりまえに生きること難しさを感じていたことの反映だとのこと。なるほど!

放送のメモ

第1回 2012/05/02 しがらみから逃れたい

「変身」は、孤独なカフカが書いた20世紀不条理小説の原点。

グレーゴルはある朝起きると虫になっていた。

「虫」は Ungeziefer で、有害な小動物のこと。虫とは書かれていない。カフカは、表紙の絵に虫を使わないように頼んでいた。Ungeziefer は、語源からいえば、「ささげものに使うことができない、役に立たない」ということ。

変身は、カフカの願望であるといわれている。虫になることで、仕事に行かなくてすむ。

カフカは、父親にコンプレックスを抱いていた。父ヘルマン・カフカは、貧乏だったが商売で成功して金持ちになった人。父は、フランツがエリートになることを望んだ。そこで、フランツは官僚になった。フランツは、作家になりたくて作家と官僚の二重生活をしていた。

カフカは、周囲との葛藤で生きづらさを感じていた。

第2回 2012/05/09 前に進む勇気が出ない

第2章前半では、グレーゴルが虫であることに慣れてゆく。後半では、家族との距離が離れてゆく様子が描かれる。家族が皆働きはじめる。母親はグレーゴルの姿を見てショックを受け、父親はグレーゴルにリンゴを投げつける。

[カフカの恋愛] 一番長くつきあったのは、フェリーツェ・バウアー。2度婚約したものの、婚約解消。一度目は、カフカが自分が結婚に向かないと考えたため。二度目は、カフカが結核にかかったため。カフカは手紙をたくさん書いた。その中には、地下室に引きこもる願望が書かれている。「変身」は、その意味でカフカの願望の反映でもある。

カフカは、結婚に対して葛藤があった。結婚しようと考えると、結婚できないと思った。葛藤が創作の原動力だった。

カフカの葛藤は、「変身」にも反映されている。当たり前のコースからドロップアウトして前に進めない状況。

第3回 2012/05/16 居場所がなくなるとき

第3章では、主人公が家族に見放されて居場所がなくなる。背中に刺さったリンゴのせいで、グレーゴルはあまり動けなくなった。グレーゴルの部屋のドアは少し開けられた。家族は仕事が忙しくなってきた。そんなある晩、妹のグレーテがバイオリンを弾いた。間借り人に対して怒ったグレーゴルは部屋から出てきてしまった。家族は、グレーゴルはもはや家族ではないと言う。翌朝、グレーゴルは死ぬ。家族は安堵する。

とくに妹のグレーテの変わりようが印象的。食事の世話や部屋の掃除もおろそかになってゆく。仕事が忙しくなると、そうなるのは仕方がないかもしれない。

当時、プラハはドイツ人が支配していたが、チェコ人が力を付けてきた。そこで、ドイツ語を話すユダヤ人が憎まれ役になってきていた。それで、居場所のなさを常に感じる環境にあった。

作品「城」のあらすじ:Kは伯爵に呼ばれた測量士。しかし、なかなか城にたどり着けないし、来なくてよいと言われる。何とか城に入ろうと手を尽くすものの、結局城にたどり着けない。 「城」の主人公はけっこうしつこい。「変身」と「城」の間には第一次大戦があり、心境の変化があったようだ。強く生きるユダヤ人難民の姿を見て、心境が変わったのではないか。

第4回 2012/05/23 弱さが教えてくれること

ゲスト:頭木弘樹(カフカ研究家)

[あらすじ]
サラリーマンのグレーゴル・ザムザは、ある朝突然虫に変身。家族はグレーゴルを部屋に閉じこめる。妹が世話をする。あるとき母親がグレーゴルを見て失神。それで父親がリンゴを投げつける。間借り人の前に姿を見せる。翌朝、グレーゴルは死ぬ。

頭木:若いとき、「変身」に共感した。
頭木:年齢が経つと、まわりの家族の気持ちもわかるようになる。
頭木:妹の視点。家具を部屋から出そうとする。これが兄を追いつめてしまう。助けるためには、相手が困っていないといけない。それで相手を困らせるという二重性。
川島:グレーテの変化。まず、兄の世話をすることで変わる。次に、仕事をすることで変わる。

カフカの言葉

将来に向かって歩くことはできません。将来に向かってつまづくことはできます。一番うまくできるのは倒れたままでいることです。

頭木:カフカは、自分の弱さに固執する。弱いということは、いろいろなことに気付くことができるということ。
頭木:私は突然難病になった。「変身」は、一緒になって泣いてくれる友だった。わかり合えていることが救いになった。
川島:カフカの書く世界は乾いている。一緒には泣いてくれない。
川島:カフカは結核になって解放されたけれども、そうすると書かなくなった。別の葛藤が始まってふたたび書くようになった。
頭木:「変身」のようにネガティブな小説も必要。
川島:解決策のない世界、人間のネガティブな面が書かれている。