パスカル パンセ

鹿島茂 著
NHK 100分de名著 2012 年 6 月、NHK 出版
刊行:2012/06/01(発売:2012/05/25)
福岡姪浜の福岡金文堂姪浜店で購入
読了:2012/06/27

テキスト

今でもよくありそうな悩みに答えるという形で、パンセの言葉を紹介している。非常にぴったりした言葉があることに驚く。

なぜ、パスカルは、現代的な悩みにも答えているのか?著者の答えは、パスカルは、飢えなくなって幸福追求が自由にできるようになった最初の時代に「幸福とは何か」を深く考えた思想家だから。現代は誰もが飢えなくなった時代で、幸福とは何かを皆が考えるようになった。

パスカルは、最終的に、人間の偉大さと悲惨さの源を「考えること」に求めている。

人間は一本の葦にすぎない。自然の中で最も弱いものの一つである。 しかし、それは考える葦なのだ。(中略) 私たちの尊厳は、そべてこれ、考えることの中に存する。(中略) よく考えるよう努力しよう。ここに道徳の原理があるのだ。

放送のメモ

第1回 2012/06/06 人生の選択

具体的な悩みに即して考える。
仕事ってどうやって選んだら良いの?本当にこの仕事が向いているのかなあ?
どんな職業を選ぶか?それは偶然によって左右される。習慣が職業を作る。[ここで、「習慣」とは周囲の環境とか流れとか]
人は、生まれつきあらゆる職業に向いている。[解釈:人は、忙しく働いていれば、そのうち慣れてくる]
われわれの本性は運動のうちにある。完全なる静止は死。
仕事がつまらない。転職しようかなあ。
私たちはいつも不幸。私たちの願望が、幸福な状態というものを、私たちの心に描き出してみせる。

パスカルの人生をひもとく。パスカルは裕福な家庭に生まれた。数学や物理で才覚を現す。父を失ってから、パスカルは人間を研究するようになる。苦しみながら、冷静な目で人間を見つめる。

パスカルと現代の共通点:飢えのない時代には、自我を独り占めできるようになった。豊かになるほど、選択肢が増えるので、より悩むようになる。→選択するという苦悩

第2回 2012/06/13 もっと誰かに誉められたい

ふたたび悩みに即して考える。今日は「自己愛」がポイント。
諫めるのが難しい。
真実を伝えると憎まれる。
部下の指導が難しい。
相手を傷つけまいと気を使っても、叱責すると相手の自己愛を傷つける。そこで、恨まれることになる。
ブログではよく自慢してしまう。すごいねって誰かに言ってほしい。やめようと思ってもやめられません。
他者と関わっている以上、自己愛から逃れられない。みんな賛嘆者を欲しがる。それを批判する人も、的確だと誉められたい。

自己愛とは、自分しか愛さず、自分しか尊敬しないこと。でも、自分が欠点だらけであることを知ったらどうだろう。すると、自分の欠点を覆い隠すように努力する。つまり、自己嫌悪も自己愛。

自己愛からは逃れられない。好奇心というのも、見つけたものを他人に話したいから生じるのだ。謙虚な人も、謙虚さを自慢している。すべての行動は「ドーダ」から生じる。名声を得たいというのは、人間が優れていることを示しているともいえる。人間は、何より理性で尊敬されたい。そこで、最終的には考えることが一番大切。

第3回 2012/06/20 生きるのがつらいのはなぜか?

人間というのは、生きるのがつらいものだ、とパスカルは考える。

たとえば、衝動買いをたくさんしてしまう人がいる。パスカルは書いている。「打ちひしがれていた男が、今や不幸のことを考えていないのはなぜか?男はイノシシ狩りをしているからだ。人間は、どれほど悲しみでいっぱいでも、気晴らしに引き込まれていると、その間は幸せになれる。」

またたとえば、退職して暇になって退屈している人がいる。そうすると、熟年離婚とか孤独死とかいう言葉が頭に浮かぶ。人生がむなしくなる。パスカルは、人間にとって無為が一番つらいと書いている。「人間の不幸はたった一つのことから来ている。人は部屋の中でじっとしてはいられない。人が賭事にふけるのは、じっとしていられないから。」目的無しの休息は辛い。労働もまた気晴らし。

では、何から気晴らしをするのか?パスカルによれば、それは死の予感である。人間は死に向かって突進している。それに向き合わないですむように、人間はいろいろな気晴らしをする。死について考えることは、死よりももっと怖い。人間が動物と違って不幸なところは、死について考えることである。これが、人間の「原罪」である。人間はマイナスを最初から背負って生きている。人間は、死を考えることができるから、不幸であることを運命づけられている。

パスカルはさらに言う。「人間は考えるために作られている。考えることが人間の尊厳のすべて。」考えるということを考えるならば、それが人間の尊厳である。人間は客観的に自分のことを考えることができる。考え続けることができることが、人間の尊厳の起源である。考えることが惨めさと尊厳との両方につながっている。

第4回 2012/06/27 人間は考える葦である

ゲストの福岡伸一と語る。

今日は改めてパスカルに触れる意味を考える。

福岡:科学万能の時代にパスカルの思想を再評価すべきだ。17世紀にはにデカルトがいた。
解説:パスカルは、デカルトよりも27歳若い。パスカルは、デカルトと対照的。デカルトは理性が万能であると考えたのに対し、パスカルは理性には限界があると考えた。デカルトはものごとには原因があると考えたのに対し、パスカルは偶然を重視した。
福岡:デカルトは近代科学の考え方の基礎。メカニズムを追及する。世界の中の因果関係を突き詰めれば世界が理解できると考えた。しかし、これは自然に対する謙虚さが欠けている。
福岡:たとえば、生物の発生は、プログラム化されていると言うより、細胞間の相互作用から創発する部分がある。
パスカルのことば:人は皆変わる。過去の自分は、もはや同じ人間ではない。
福岡:現代の科学は、上の言葉を再発見している。私たちの細胞は次々に入れ替わっている。私たち自身の自己同一性は幻想だ。一方、デカルトの「私」は一貫した同一性を持っている。
パスカルのことば:彼女は昔の彼女ではない、私も昔の私ではない。

パスカルなら現代社会をどう見るだろうか?
福岡:原発問題を考える。システムを合理的に突き詰めれば、絶対安全なものができると信じられていた。パスカルならば、合理性からこぼれ落ちるものが常にあると考えていただろう。
鹿島:合理的ということは、自己利益最大化。でもそれを突き詰めると非合理になる。

ではどう生きるか?
福岡:現代社会は、何かを完成させなければならないという強迫観念にとらわれている。そうではなくて、更新させるプロセスに参加していればよいのではないか?
鹿島:世の中変われば、次々に新しい問題がでてくる。だから、考え続けなければならない。

人間は一本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦なのだ。考えるように努力しよう。ここに道徳の原理があるのだ。
福岡:人間は弱い存在だが、考え続けなければならない。日々発見。未完成であるゆえに考え続ける。
鹿島:パンセは完成しなかった。パスカルがもっと長生きしたとしても未完だったんじゃないか。