ところで、このように他人の文章の記述を借りてくるというのは、他の箇所でもあることが第3回で説明されている。 日本には、本歌取りなんていう和歌の技法もあるくらいだから、これはそれほど悪いことではなかったのに違いない。 むしろ、どのくらいうまく借用するかが、教養の表れるところだと思われていたのかもしれない。 そこで紹介されているのは以下の2か所である。
[吉田感想] 転落の人生とはいえ、食うに困ってはいないらしいのが不思議なところ。 やはり、下鴨神社の正禰宜の子なので、食っていけるくらいの仕送りはあったのだろう。
[吉田感想] ミニマルライフもここまで徹底していると気持ちが良い。 今の世間では「断捨離」なるものが流行っているが、これは方丈記から見れば、 ずいぶんと中途半端である。私は、そもそも「断捨離」は嫌いだし、 今の時代、ミニマルライフは無理だと思っているが、方丈記もひとつの美学ではある。 とはいえ、長明が本当は衣食をどうしていたのか疑問である。
ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず
小林「人と住処をうたかたにたとえている」
小林「方丈記は短くてコンパクト」
小林「前半には災害が書かれている。大火、竜巻、遷都、飢饉、大地震。これらを五大災害ということもある」
長明の人生はうまくいかなかった。
小林「引っ越すたびに、住まいが 1/10 になってゆく。」
小林「長明は鴨社の跡取り候補。財力もあった。」
長明は、父方の祖母の家を継いでいたが、その家を出ないといけなくなった。 30歳ころになって家を建てた。今までの家の十分の一の大きさだった。
小林「長明は鴨社の後継者になれなかった。それで世の中を悲観的に見るようになった。」
小林「父親が死んでから、長明の人生は転落の一途。」
伊集院「良い家に生れたからこそ、ショックが大きい。」
小林「長明は、和歌や音楽にのめりこんでゆく。ニートのような暮らしぶり。」
50歳で出家。生きづらい世の中を嘆く。
小林「長明は、人生の節目で負け続けてきた。」
47歳の時、人生最大のチャンスが訪れる。後鳥羽上皇の和歌所に出仕。後鳥羽上皇が 河合社の長に抜擢しようとしたが、うまくいかず、失意の出家。
小林「長明は、破滅型の芸術家。」
57歳の時、源実朝に会いに鎌倉に行く。このときのことは、 太宰治「右大臣実朝」に書かれている。その後、京都の日野に戻ってきてから「方丈記」を書く。
伊集院「掘立小屋みたいでしたね。」
島津「究極のシンプルライフですね。」
小林「長明は豊かなお坊ちゃんだったが、最後には究極のミニマル状態になった。仏教の教えは、執着を断つということ。」
小林「方丈の庵が終の棲家になったようだ。身軽なので、地震でも火事でも憂いは無い。」
島津「長明にとって家とは?」
小林「家は権勢の象徴。長明は、一種の反骨精神で、家は持つまいと転換した。」
方丈の暮らしはユートピアそのものだった。
伊集院「琵琶は、長明にとっては捨てられないもの。」
小林「長明は、やりたいことを縛られずにやりたかった。長明は、大人同士の社交は苦手だったけれども、子供とは心が通った。」
伊集院「子供との交流もベタベタしていない。」
長明は、方丈記の後半で、人間関係について語っている。いわく、「人は、友達を作るとき、うわべだけを考えることが多い。 だったら、音楽や自然を友とした方がましなのだ。」
小林「長明の生活は自給自足。体を動かすことが大事だと述べている。」
小林「方丈記を誰に対して書いたのか?おそらくは、貴族に向かって、自分は幸せだと説いている。」
方丈記より
世界の一切は心の持ち方次第。心が安らかでなければ意味が無い。このもの淋しい住まいを、私は深く愛する。
ここに帰れば、俗世間に心を悩ませる必要が無い。魚は水に飽きることが無い。鳥は森を願う。それらは魚や鳥でないとわからない。
このわびしい住まいもまた同じである。住まなければわからない。
小林「長明は完全な世捨て人でもない。都に行くと恥ずかしいと述べている。」
伊集院「われわれもテレビにいっぱい出てるけど、それで満足なのか?」
小林「人間には背反する気持ちがある。今の状態を維持したいという気持ちと、もっと違う自分がいるんじゃないかという気持ち。」
方丈記に学ぼうという人が増えている。高齢者が多い。
小林「人生の整理をしたいと考える高齢者が多い。」
小林「方丈記は断捨離本のルーツ。」
玄侑「現在福島県に住んでいる。新潟県に行ったら稲が青々としていた。そこで「方丈記」を読んでいたら泣けてきた。」
玄侑「福島では当たり前のことが当たり前では無くなっている。」
伊集院「まさに無常ですよね。」
平安末期には数多くの天変地異が起こる。 長明は、人も住まいも無常で脆く儚(はかな)いと説く。 長明は50歳で出家し、方丈の庵を建てる。方丈の生活はユートピア。 念仏をする気が起こらないときは、気ままに休む。 長明によれば、「世界の一切は心の持ち方次第でどのようにでも変わる。心が安らかでなければ意味が無い。」
玄侑「方丈記は、最初は外の景色を描いているけれども、最後に心の問題に到達する。」
島津「玄侑さんは「無常という力」という本を書かれている。」
玄侑「禅の世界では、自分が変わり続けなければいけない。」
玄侑「無常とは、自分が変わり続けること。とどまることは精神の死。」
玄侑「常に新しい体験があるから、自分を組み直し続けなければならない。」
伊集院「常識は常に変わり続ける。これに対応しないといけない。」
長明のことば:
物うしとても心をうごかすことなし(憂鬱でやる気が起きなくても思い悩むことはない)
玄侑「「物うし」というのは、自分がどういう気分なのかはっきりしない状態。」
小林「「物うし」というのは、憂鬱で何もやる気が起きない状態。」
玄侑「津波に襲われたらどんな気持ちになるかわからない。だからなかなか言葉にできない。
言葉にできないことが、とても「物うい」。これはしょうがない。」
玄侑「新しい体験があるということは仕方がない。」
伊集院「そこを無理やり整理しようとしてもしょうがないということですね。」
方丈記の最後:
私の人生も残りわずか。私は間もなく冥土に行くのに何の弁明をしようとしているのだろう?
仏様は執着心を持つなと教えている。なぜこんなに書くのか?
心を清めたくて出家したはずなのに、心は煩悩に染まっている。
心が汚れきった挙句に狂ったのか?
わからないので、ただ阿弥陀仏の名を二三度唱えただけである。
小林「長明は執着を恐れていた。だから捨てて捨ててシンプルライフをしていた。
しかし、捨てて暮らす楽しさをくどくど述べるのも執着だということに気付く。」
小林「長明は本当には悟りきっていない。それこそが方丈記の魅力。」
玄侑「無常は自然の特徴。人間も自然の一部だから無常。」
玄侑「法然は、念仏を何枚回も唱えた。でも、やりすぎると不自然。」
玄侑「長明は、シンプルライフにこだわるのもまた不自然だと気付く。」
玄侑「念仏2,3回というのは、多くも少なくもなく自然な程度ではないか。」
玄侑「書き物としては中途半端ではないと思う。書き物としては完璧だと思う。」
玄侑「悟りというのはどんな状況でも通用する状態ではない。答えはその都度立ち上げてゆくもの。
自力ですべてできるわけでもなく、他力も使って生きてゆくという表明。」
伊集院「人間はこうなんですという断定に反発したくなる。」
玄侑「長明はゆらぎを書いて見せた。」
島津「方丈記は何を投げかけているのか?」
玄侑「維摩経では、心の持ちようでは方丈も広いと説かれている。そこを気取りたい。
それが、こんなにコンパクトで便利だという風にずれているところが良い。」
小林「方丈記は説教ではない。生身の人間は悟りには到達しない。
方丈記は、そういう生身の人間が書いた文章。だから共感を呼ぶ。」