功利主義者の読書術
佐藤優 著
新潮文庫 9445, さ 62 4、新潮社
刊行:2012/04/01(発売:2012/01/25)
文庫の元になったもの:2009/07 新潮社刊
学生部屋から借りた
読了:2012/11/03
読書家として知られる佐藤優の読書案内である。彼らしく、マルクス主義とか宗教の本も多く紹介されているだけでなく、
小説まで入っているのがおもしろい。このなかで私が読んだことがある本は「蟹工船」くらいだ。しかし、だいぶん前に読んだので(中学生くらいか?)、
もう忘れてしまっている。
題名に功利主義とあるのは、哲学的意味の功利主義ではなく、小説なんかも実用的、実利的側面を重視して読むという意味である。
しかし題名のような目立つところで哲学とは違う意味で功利主義という単語を使うのは、私は気になる。
このような単語を使うのに抵抗を感じない所は、著者の限界ではないかとも思う。
もっとも、「功利主義」という言葉も utilitarianism の訳としてはちょっと変な感じがするけれども。
とはいえ、元外交官で、神学徒であるというバックグランドを持った著者の見方は、私にとっては新鮮でいつもおもしろい。
かなり一気に読んだ。
サマリー
以下、著者がどの本をどういう意味で紹介しているのかまとめていく。
- 資本主義の本質とは何か
資本主義には好況不況の波があるとか貧困化が進むとかいった限界があり、単純な資本主義(今でいう新自由主義)ではうまくいかない。
- 「資本論」第1巻 カール・マルクス 向坂逸郎訳 (岩波文庫)
- 「資本論」では、第2,3巻にはエンゲルスの手が入っているので、ここでは第1巻が取り上げられている。
「資本論」は資本主義の分析として優れており、知っておくと資本主義の欠点を抑えるのに役に立つ。
- 「うずまき」 伊藤潤二 (小学館)
- これはマンガである。主人公が謎の渦巻きに巻き込まれていく様子が、新自由主義的な資本主義の渦巻きに飲み込まれる様子を髣髴とさせる。
- 「夢を与える」 綿矢りさ (河出書房新社)
- この小説からは、新自由主義的な競争社会から降りると人間性が回復できるということが示唆される。
- 「資本論に学ぶ」 宇野弘蔵 (東京大学出版会)
- 宇野弘蔵は左翼でも右翼でもなくて、マルクス主義をきちんと継承して発展させた。この本は、講演記録と対談なので比較的わかりやすい。
労働価値説をちゃんと理解して、資本主義の限界を認識するのに役立つ。
- 論戦に勝つテクニック
攻撃的な論戦テクニック。
- 「山椒魚戦争」 カレル・チャペック 栗栖継訳 (岩波文庫)
- 論戦の問題としては、答えたくない質問に対して質問で答える技術が書かれている。
内容としては、徹底したリアリストでユーモアさえない山椒魚の自滅が描かれている。
- 「ふぞろいな秘密」 石原真理子 (双葉社)
- 標的(ここでは元夫)を定めて徹底的に貶める技術を学ぶことができる。直接非難せずに冷静に淡々と記述しながらも否定的イメージを埋め込む。
- 「負け犬の遠吠え」 酒井順子 (講談社文庫)
- 最初に「負け犬」と「勝ち犬」が明確に二分法的に定義される。しかし、だんだんとその図式が崩れるところが、古典論理から直観主義論理への移り変わりを思わせる。
- 実践的恋愛術を伝授してくれる本
泥沼型恋愛のような過ちを避けるために読む。
- 「孤独の賭け」 五味川純平 (幻冬舎文庫)
- 「人間の條件」と「戦争と人間」の間に書かれた小説で、欲にまみれた男女が描かれている。ポイントは、男と女の間で交わされる会話とか視線とか動作である。
- 「我が心は石にあらず」高橋和巳 (新潮社)
- 主人公の組合活動と不倫とが破綻してゆく様子が描かれている。進歩的なことを言っている主人公も、最後は組合活動からも不倫からも逃避する。
- 「交渉の達人」になるための参考書
外交のための交渉術。
- 「北方領土交渉秘録 失われた五度の機会」 東郷和彦 (新潮社)
- 東郷和彦は、よく知られている通り東郷茂徳の孫で、いわば血統書付きの外交官である。品も良く教養もあり、彼が一線で活躍し続けていれば、
北方領土返還も成就したかもしれない。東郷家の「秘伝」によると、交渉は、相手に 51 譲って、自分は 49 で満足することだそうだ。
- [吉田メモ1] 著者(佐藤優)は、ナチズムはファシズムを区別している。私は知らなかったので、興味深かった。
ナチズムは思想的には出来が悪いのに対して、ファシズムは思想的にもかなり洗練されているのだそうである。
- [吉田メモ2] 著者(佐藤優)によると、東郷和彦を外務省から追い出したのは、竹内行夫である。この人は、天木直人からも評判が悪い。
現在は最高裁判事になっている。
最近、参議院の一票の格差の違憲状態判決が出たが、その中でも現状維持に近い補足意見を出しているのがこの竹内行夫である。
それを読むと長々と意味不明な意見を述べたうえで「都道府県と同等あるいはそれ以上の意味のある選挙区単位を見いだすことは容易ではない」
などと現状を変えないことを支持している。どう見ても変だ。
ちなみに「竹内行夫」をネット検索すると、批判ページがたくさん出てくる。
- 「カラマーゾフの兄弟」 フョードル・ミハイロビッチ・ドストエフスキー 亀山郁夫訳 (光文社古典新訳文庫)
- 大審問官伝説をここでの読み解きのメインに据える。大審問官タイプの政治指導者は世の中にいる。そういった人の心を動かすことができるかどうか、を考えるための材料にしたい。
- [吉田メモ] ネット上で亀山訳を批判している文章を見たこともあるが、著者(佐藤優)は亀山訳を大絶賛している。
佐藤優によると、ロシア屋は、癖があって翻訳の悪口を言う人が多いので、新訳を出すのは大変だとのこと。
- 「カクテル・パーティー」 大城立裕 (岩波現代文庫)
- ミスター・ミラーを通して諜報のプロがどういうものかがわかる。国家のために人付き合いをするものの、本物の友情や相互理解は無い。
しかし、外交にはそういう役割をする人も必要である。
- 米国支配の沖縄において米軍人に対して弱い立場の沖縄人、戦争中において日本軍人に対して弱い立場だった中国人。
この2つの関係が重ねあわされて、こうした被害加害関係を真剣に受け止めるということがどういうことかも描かれている。
- 大不況時代を生き抜く智慧
- 「恐慌論」 宇野弘蔵 (岩波書店)
- 恐慌は、好況の時に起こる。資本によって生産手段は増やせるが、労働力は増やせない。したがって、好況の時には労働力不足になり賃金が上がる。
すると資本家は利潤が出なくなるので恐慌が発生する。
- 「恐慌前夜 アメリカと心中する日本経済」 副島隆彦 (祥伝社)
- 副島隆彦はリーマンショックを予測した。デリバティブ金融商品の元々の姿は保険であった。アメリカの金融業界はここからずるい利益を引き出してきた。
- 「経済学の国民的体系」 フリードリッヒ・リスト 小林昇訳 (岩波書店)
- 自由貿易が成り立つのは、ほぼ同程度の工業的発達をしている国の間でだけである。後発国は、先進国との貿易を制限して、
国民国家の経済的な基礎体力を蓄えなければならない。国の富は精神的資本を基盤にしており、精神的資本は教育によって蓄積される。
このようにして、資本主義の弊害の克服には、国や文化の力が重要である。
- 「蟹工船・党生活者」 小林多喜二 (新潮文庫)
- 「蟹工船」はあまりリアルではない。船の上では、限度を超えて強圧的なボスは船から突き落とされるのがオチだからである。
「蟹工船」はインテリの想像力が作った創作である。一番リアルなのは、性処理の描写である。
- 「世直しの罠」に嵌らないために
単純な「世直し」はうまくいかない。新自由主義も社会主義も単純すぎる。
- 「邪宗門」 高橋和巳 (朝日文庫)
- 主人公は、「ひのもと救霊会」という新興宗教を利用して社会主義革命を行おうとする。しかし、それはやがて破滅する。
- 「レッド」 山本直樹 (講談社)
- 連合赤軍側の視点で描かれた連合赤軍事件とあさま山荘事件
- 「歌集 常(とこ)しへの道」 坂口弘 (角川書店)
- 連合赤軍幹部だった死刑囚坂口弘の歌集。「あさま山荘事件」のようなことを二度と起こさないために読む。
- 人間の本性を見抜くテクニック
- 「長いお別れ」 レイモンド・チャンドラー 清水俊二訳 (ハヤカワ文庫)/「ロング・グッドバイ」 レイモンド・チャンドラー 村上春樹訳 (早川書房)
- 佐藤優は、「法律は正義じゃない」という言葉に共感。さらに、清水訳と村上訳を比較して、村上役を絶賛。
- [吉田メモ] この翻訳の問題に関しては後述。
- 「死と生きる 獄中哲学対話」 池田晶子・陸田真志 (新潮社)
- 死刑囚陸田真志と哲学者池田晶子との往復書簡集。死刑を前にして、自分を見つめ直す陸田真志の心の軌跡がわかる。殺人を犯した理由に
自分がいつも一番でいたいという欲望があったことが突き止められる。
- 「沖縄問題」の本質を知るための参考書
沖縄の内在的論理を知る。佐藤優の母親は久米島出身なので、沖縄には思い入れがある。
- 「琉球王国」 高良倉吉 (岩波新書)
- 琉球王国は、伝統的に中国との関係が強く、易姓革命の考え方も浸透している。琉球は中継貿易国家として繁栄していた。
- 「テンペスト」 池上永一 (角川書店)
- 幕末の琉球を舞台としたエンターテインメント小説。
それ自体として面白いだけでなく、小国の外交を考えることは、現在米中という超大国に挟まれた日本の外交を考える上で役に立つ。
- ふたたび超大国化を目論むロシアの行方
- 「ソビエト帝国の最期 “予定調和説”の恐るべき真実」 小室直樹 (光文社)
- 小室直樹はきわもの扱いされているが、ロシアの分析は鋭い。ロシアの自由は西ヨーロッパの自由と違うことが良く理解されている。
ロシア人が自由を感じるのは、たとえ個人の行動が制限されていても、全体としてうまく動くときである。アルコール事情の記述には誤りがあるものの、
酔っ払い問題が重要であることはよくとらえられている。ロシア人は、国際法に非常にこだわっている。これはある種の田舎根性である。
むしろ日本人はあまり国際法を大事にしていない。
- 「イワン・デニーソヴィチの一日」 A・ソルジェニーツィン 木村浩訳 (新潮文庫)
- ソルジェニーツィンは反共主義者だが大国主義者なので、プーチンは褒章を授与した。
- 「イワン・デニーソヴィチの一日」には、ロシア人の勤勉さ、宗教観などが描かれている。
- 「他者の受容 多文化社会の政治理論に関する研究」 ユルゲン・ハーバーマス 高野昌行訳 (法政大学出版局)
- 国民国家の概念には 100~250 年程度の歴史しかない。資本主義経済がグローバル化してくると、資本は国家の枠から離脱してくる。
国から見ると、資本から税金が取れなくなる。国家が生き残るためには超越性が必要になる。そのことがロシア・グルジア戦争の背景にある。
グルジアは自民族独裁主義を唱え、ロシアはファシズムに近づいている。
- 日本の閉塞状況を打破するための視点
- 「はじめての唯識」 多川俊映 (春秋社)
- 一人一人の言語体系は少しずつ違っている。その根元にあるものを阿頼耶識と呼ぶ。これは無意識の世界である。阿頼耶識は過去のすべてを蓄積している。
- 私たちの心の働きを含めたあらゆるものごとには依起他性(えたきしょう)がある、すなわち、外界との相互作用に依存していて常に変化する。
- 「公共性の構造転換 市民社会の一カテゴリーについての探究」 ユルゲン・ハーバーマス 細谷貞夫・山田正行訳 (未來社)
- ハーバーマスは、マルクス主義を発展させたフランクフルト学派の第二世代である。
- 市民文化は公共圏において育まれてきた。それは、イギリスにおいては喫茶店、大陸ヨーロッパにおいてはサロンであった。喫茶店は議会や新聞などに発展してゆく。
ところが、現代では、公共圏はマスメディアに浸食されビジネスの論理に汚染されている。公共圏の回復に期待したい。
- 「共同幻想論」 吉本隆明 (河出書房新社)
- 「共同幻想論」は宗教書のようなものである。体系も論理的整合性もない。国家は古事記という神話に基づくべきだとしている。
著者(佐藤優)も国家は神話という共同幻想に基づくと考える。男女論では、他者が理解不能であると示唆されている。
- 「新約聖書 新共同訳」 (日本聖書協会)
- キリスト教の開祖であるパウロは、絶対他力にすがることによって救済を求めている。キリスト教の特徴は受肉 (incarnation) にある。
神が人間の最もさびしい姿で肉となったのが、イエス・キリストである。これによってわれわれが救済される。
The Long Goodbye の翻訳について
著者は、村上訳と清水訳を比べて村上訳が良いとしている。村上訳の方が新しいから当然といえば当然ではあるし、引用されている部分を読むと、たしかに村上訳の方が良さそうである。
しかし、著者は原文と比べていないので、原文と比べて考えてみることにする。ついでに自分でも訳を試みた。
すると、確かに村上訳の方が流暢だけれども、やや意訳が行きすぎるきらいもあることが分かる。
- 訳と原文の比較
- [原文] We were three guys in a foxhole eating.
- [清水訳] おれたち三人は塹壕の中で飯を食っていた。
- [村上訳] 俺たちは三人でたこつぼの中にいて、飯を食っていた。
- [吉田試訳] 俺たちは、三人で狭い塹壕の中に押し合うように収まって飯を食ってた。
- 評価
- 著者(佐藤優)は村上訳のたこつぼが雰囲気が出ているとする。foxhole は、たこつぼのような小さな壕ということだから、どちらも間違いではない。
どちらが良いかは微妙なところ。
- 訳と原文の比較
- [原文] Terry grabs it and he's out of the foxhole before Randy and me can even start to get unstuck.
- [清水訳] テリーがいきなりそいつをひっつかんだ。ランディとおれは塹壕からとび出した。
- [村上訳] 俺とランディーが状況を呑み込む前に、テリーはその砲弾をひっつかんでたこつぼの外に飛び出していた。
- [吉田試訳] テリーはその砲弾をつかむとパッと塹壕から外に飛び出したんだ。その時、ランディと俺はといえば、まごまごしてその狭い壕から抜け出そうとさえしてなかった。
- 評価
- 著者は、村上訳の方が物語として面白いと書いているが、原文を見ると、そもそも清水訳は誤りである。村上訳は even start to get unstuck を
「状況を呑み込む」と変えてしまうところがたしかに要領が良い。
- 訳と原文の比較
- [原文] The krauts got him. They worked him over for about a year and a half. They did a good job but they hurt him too much.
- [清水訳] ドイツにつかまったんだ。一年半、ドイツの病院に入ってた。手術はまずくはなかったが、ずいぶん痛い目にあわせたらしい。
- [村上訳] ドイツ軍の捕虜になったんだよ。そしてやつらはテリーを、おおよそ一年半かけて徹底的に治療した。手際はよかったが、
それはとんでもなく手荒なものだった。
- [吉田試訳] テリーは、ドイツの野郎に捕まったんだ。ドイツでは、一年半の間ひどい目に遭ったらしい。奴らはうまくやった、と言うよりやりすぎて、テリーをボロボロにしちまった。
- 評価
- work over は、ひどい目にあわせるとか、半殺しにするという意味の slang のようなので、手術とか治療とか訳すのは誤りである。
著者は、人体実験をされたんじゃないかと言っているが、そうかもしれない。ここだけ読む限りでは拷問とか強制労働とかいうこともありうるけど。
- 訳と原文の比較
- [原文] I got badly hurt and it wasn't any fun with those Nazi doctors. It did something to me.
- [清水訳] そして、重傷を負った。ナチの医者の手にかかった時もずいぶん苦しんだ。それがぼくをこんな人間にしたのかもしれない。
- [村上訳] 重傷を負い、ナチの医者には口では言えないような目にあわされた。そして僕はかつての自分ではなくなってしまった。
- [吉田試訳] ひでえ傷を負った。ナチの医者にも面白くないことをされたよ。それでこんなになっちまった。
- 評価
- ここまで来ると人体実験をされた可能性濃厚である。ただ、清水訳ではその雰囲気が出ていない。苦しんだ理由がナチの医者によるものだとしていないからである。
- 訳と原文の比較
- [原文] "Of course. An act is all there is. There isn't anything else. In here ---" he tapped his chest with the lighter --
"there isn't anything. I've had it, Marlowe. I had it long ago. Well--I guess that winds things up."
- [清水訳] 「もちろんさ。芝居だけしかないんだ。そのほかにはなんにもない。ここには―」と、ライターで胸をたたいて、
「何もないんだ。どうにもならないんだよ、マーロウ。宿命だったんだ。どうやら、もういうこともなくなったらしいな」
- [村上訳] 「もちろんだ。何もかもただの演技だ。ほかには何もない。ここは―」、彼はライターで胸をとんとんと叩いた。
「もうからっぽだ。かつては何かがあったんだよ、ここに。ずっと昔、ここには何かがちゃんとあったのさ、マーロウ。わかったよ、もう消えるとしよう」
- [吉田試訳] 「もちろんさ。芝居しか残っちゃいないよ。他にはなんにもない。ここは―」と言って、彼はライターで胸をとんとんと叩いた。
「もうからっぽだ。俺はもうボロボロだよ、マーロウ。ずっと昔にはここにあったんだけどな。ま、こんなとこでおしまいにしよう。」
- 評価
- 著者は、胸に無くなったものが「こころ」だということが村上訳ではよく分かるが、清水訳ではわかりにくいとしている。同感である。
村上訳は「…胸をとんとんと叩いた。「もうからっぽだ」」という処理が実に上手い。私の訳でも拝借した。
I've had it. をどう訳すのが良いのかよく分からない。決まり文句と見れば「もうだめになった」ということだし、
it が「こころ」を指すと思って、現在完了であることに目をつぶると村上訳のようなことになる。私は、とりあえず前者の方で訳してみた。
著者は、村上訳の「消えるとしよう」も絶賛。しかし、ちょっと意訳のしすぎな気もする。
- 訳と原文の比較
- [原文] We were pretty good friends once.
- [清水訳] われわれはかつて大変親しい友だちだった。
- [村上訳] 我々はかつて心を通いあわせた。
- [吉田試訳] 俺たちは良い友達だったよな。
- 評価
- 著者は、村上訳が「心」を出してきたことを高く評価している。しかし、そこまで意訳しなくても良いような気はするけど。