天地明察

冲方丁(うぶかた とう)著
角川文庫 17398/17399, う 20-6/7、角川書店
刊行:2012/05/21
文庫の元になったもの:2009/11 角川書店刊
H君より借りた
読了:2012/05/25
2010 年本屋大賞を取ったことでも有名で、読み物としては実におもしろく書かれた本である。 暦の作成という地味な題材を扱っているのだが、ところどころに高揚している場面を入れて (大袈裟だなと思わないでもないが)、楽しく読めるようになっている。

主人公は、江戸時代の碁打ちで、日本で初めて日本独自の暦を作り、かつ公式の暦とした 渋川春海(二世安井(保井)算哲)で、この暦作りがメインの話である。当時の知識では暦作りは たいへんな労力を要したことは想像に難くない。が、こういうことはまあこつこつやるものなので、 本当はどれくらいドラマチックだったかはよくわからない。

改暦最終盤で、新しい暦を公式に認めさせるために、いろいろ裏工作をやるというのも面白かった。 陰陽頭の土御門泰福を味方につけて朝廷を動かすとか、京の町中でパフォーマンスをするとか、 悪どい商人を取り込むとか。もっとも、そういうしたたかさが史実として本当にあったと言えるのか どうかは不明。

挙がっている参考文献(参考文献が書いてあるところがすごい!が、以下の指摘によるとこの参考文献の挙げ方には問題がある)の一つの著者である 佐藤賢一氏のブログで、史実と違う点などがいくつか触れられている。

フィクションにいちいち目くじらを立てるなという反応もあったらしいけれど、 史実との比較をいろいろしてみるのもまた小説を読む楽しみの一つなので、 専門家の人がこういうことを書いてくれるのは、私にとってはうれしい。 あと、碁打ちの春海が「必至」という将棋用語を使っているのが問題という指摘もある。 これは確かに私も読んでいて違和感を感じた。

ところで、上の「レポート課題」にもあるように、歴史小説・時代小説と史実との関係は微妙である。 歴史小説と言うからには、史実と異なっていてはいけない。史実と抵触しない範囲内で、 歴史家ではできない大胆な解釈を加えてみたり、人物像を描き込んでみたりするのが、 歴史小説の楽しみというものであろう。ただし、もちろん史実と抵触しないという線引きは微妙ではある。 それにしても、上のブログで指摘されているところで言えば、小説で描かれている観測旅行は、 伊能忠敬と渋川春海を混ぜていて、さすがに問題があると思う。

というわけで、アホっぽく言えば、主人公の成長を描く軽い「教養小説(ビルドゥングスロマーン)」として楽しく読めるけれども、歴史小説としてみると、リアリティが薄いと言わざるを得ない。 もともとライトノベルの作家なので、歴史小説の作家から見れば、そのへんはちょっと甘いということだと思う。それが直木賞を取れなかった原因だろう。 ひょっとすると、作者としては、小説は史実にインスパイアされたフィクションで構わないという考えなのかもしれない。 歌舞伎の時代物なんかはそういう意味が強いわけで、この小説も歌舞伎風エンタテインメントということで、「渋川春海」ではなくたとえば「甘川秋海」などを主人公にすれば良かったのかもしれない。