寝ながら学べる構造主義
内田樹 著
文春ウェブ文庫、文芸春秋 [電子書籍]
刊行:2004/04/20
底本:2002/06/02 文春新書
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読了:2012/11/09
わかりやすく構造主義の解説をしてある本。少なくとも、私が読んだ構造主義の本の中では一番わかりやすかった。
代表的な人物ごとにその考え方が紹介されている。
忙しかったのでちょっと経ってから (今日は 11/22,23) これを書いていて、だいぶん忘れているので、読み返しながら書いてみる。
一言で言えば、構造主義というのは、今まで無意識で考えていたことを表に出してきた考え方である。
私たちの考えは、文化だとか社会だとかに根差した偏りを持っていて、それはふだん意識されることがない。
構造主義を学ぶことによって、私たちの考えが、そういった意識されない背景に支配されていることが理解される。
サマリー
この本では、重要人物に一人ずつ焦点を当てるという形で書かれている。源流として、マルクス、フロイト、ニーチェの3人を紹介し、
始祖としてソシュール、メインの立役者として、フーコー、バルト、レヴィ・ストロース、ラカンの4人(四銃士)を紹介してある。
[源流]
- マルクスは、「階級意識」を見出した。「私」は、生産と労働のネットワークの中で作られる。
- フロイトは、「無意識」を見出した。われわれは自分がどう思考しているかを知らない。われわれは、考えたくないものから無意識のうちに目をそらしている。これを「抑圧」と言う。
- ニーチェは、人が、特定の地域と時代に固有な偏った見方をしていることに気付いた。ニーチェは、「みんなと同じ」でいようとする「畜群道徳」を激しく批判した。相互模倣をする人々をニーチェは「奴隷」と呼んだ。
[始祖ソシュール]
- ことばは、ものの名前ではない。言語は、もともと切れ目のない世界に切れ目を入れることで観念を作り上げる。
- 「私のことば」の多くは「他人のことば」である。言語を使うということは、否応なくその言語の共同体の価値観の中に取り込まれるということである。
[四銃士]
- フーコー
- あらゆるものごとは歴史の中に位置づけることで初めて理解できる。歴史は「いま・ここ・私」に向かって直線的に進化しているわけではない。そこで、ものごとを歴史的背景に乗せてみると、常識が覆されることがある。
- 正気と狂気を分離したのは近代になってからだ。むかし、狂人は身近にいた。狂人は、18世紀になって病人ということになり社会から排除されるようになった。
- 身体も社会制度である。日本における例としては、「体操」は兵隊を作るために導入されたのであり、「体育坐り」は生徒を管理するために導入されたものである。
- バルト
- バルトは、「記号学」を展開した。
- 文体には style と ecriture がある。style は、個人的な好みで無意識のものである。ecriture は、集団として選択される好みのことである。
たとえば、「ぼく」が「おれ」に変わるときのことばづかい(に加えて生活習慣なども含めて)の全体的な変化のことである。「おれの ecriture」とか「おじさんの ecriture」などいろいろな種類のものがある。
とくに、中立に見えるecritureには、覇権を握ったイデオロギーが潜んでいる。
- texte は読者と相互作用しながら変容する。texteは読者を変えてゆく。一方で、とくにネット上のtexteは、カット&ペーストやリンクなどを通じて変容する。作者は溶解し、読者が誕生する。
- 俳句は、無垢なecritureである。
- レヴィ・ストロース
- 「文明人」と「未開人」の間に優劣は無い。
- どのような社会集団においても、親族構造は2項対立の組み合わせで表現できる。
- 親族構造は、近親相姦の禁止のために存在し、近親相姦の禁止は、女の贈与のためにある。
- 贈与こそ人間性の基本。その結果、人間集団には次の2つのルールがある。(1) 人間社会は同じ状態にあり続けることができない(少なくとも、贈与と返礼を繰り返す)。(2) 私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない。
- ラカン
- ラカンは、精神分析の仕事をした。
- 人は、鏡像段階とエディプスを経て大人になる。
- 鏡像段階とは、幼児が鏡の中の像を見てそれが「私」だとわかるときである。しかし、この像は「私」なのだが、もちろん像に過ぎないので「私そのもの」ではない。これは一種の狂気である。
- エディプスとは、子供が言語を習得することによって、否応なく世界の分け方を受け入れることである。人は不条理なことを受け入れることで初めて他者と言葉を交わすことができるようになる。
不条理なことを強制するものを「父」と呼ぶ。己の無力と無能を「父」による介入の結果だというふうに説明するようになれることが「成熟」である。
- 精神分析は、エディプスの通過に失敗した被分析者を対象にする。分析者を「父」とし、「父」と「自分に関する物語」を共有する形で治療が行われる。
物語は真実でなくても良い。分析者と被分析者との間に対話とコミュニケーションが成立するようになれば良い。