あのとき、大川小学校で何が起きたのか

池上正樹(文)・加藤順子(文・写真) 著
青志社
刊行:2012/11/11、刷:2012/11/11(第1刷)
H 氏と福岡市図書館から借りた
読了:2013/04/24
2 月に H 氏から借りて7割くらい読み、残りを最近図書館で借りて読んだ。

東北大震災の津波で多くの小学生と先生が亡くなった石巻市立大川小学校の遺族や関係者に対する取材の記録である。読んでいて胸が痛み、やりきれない思いがする。

起こったことは、単純と言えば単純であった。おそらくは、亡くなった教頭が判断を誤って(校長は外出中だった)逃げ遅れたために、小学生や先生に多くの犠牲者を出してしまったということである。裏山があって簡単に逃げられたはずなのに、逃げなかったところが悔やまれる。 釜石の小中学校の事例と比べるとその差に愕然とする。 小学生の中には裏山に逃げようとした子供もいたらしいが、先生に止められたということだった。 逃げなかった原因もおそらく単純であろう。ひとつには岩手県ほどの津波常襲地帯ではない上に海沿いではなかったために津波防災の意識が低かったこと、もうひとつはおそらく田舎の小さな学校で問題も少なかっただろうから校長・教頭にあまり有能でない人が充てられたことだろう。

ここで生き残った二人の教員のその後の行動が問題とされている。 一人は校長で、遠くに出かけていて助かった。その後、遺族にちゃんと向き合わない態度を遺族から批判されている。いろいろな記述を見ると、やはりおそらく校長はあまり有能な人ではないようだ。事なかれ主義な人で、防災意識も低かったのだろう。 もう一人は A 教諭で、一人だけ逃げて助かった。この人は、山に逃げろと言ったらしいが、教頭に聞いてもらえなかったので、一人でこっそり逃げたのだろう。しかし、津波の後で、遺族の前ではきちんとは証言していない。とはいえ、おそらく精神的には重圧に押しつぶされて逃げ出したい気持ちであろうことはよくわかるので、遺族の前でちゃんと証言していないことをもってこの先生を責めるのは酷な感じがする。このような場合は、本来は校長がうまく証言を聞き出して遺族に伝えなければならない。

この本で特に批判されているのは、校長の他には教育委員会である。きちんと遺族の前で明らかにできることは明らかにすることが大切だと考えられるのに、何かと隠そうとしている。これは確かに問題である。このような難しい事態をまとめきる手腕のある人がいないのであろう。

この本では、校長や教育委員会の事後対応の悪さははっきり書かれているのだが、仮に事後の対応がしっかりしていたとしても、亡くなった命が返ってくるわけではない。 そこでもう一つの問題は、津波対応がまずかったことの原因究明である。ひとつは、なぜこんな校長や教頭だったのかということである。この点に関してはまったく取材されていない。とくに教頭の人物像が見えてこない。そんな取材は難しいだろうけれども、もう少し追究してほしかった。もう一つは、石巻市の津波防災対策がどうであったかの全体像である。これもこの本では全く見えない。