地図で読む昭和の日本 定点観測でたどる街の風景
今尾恵介 著
白水社
刊行:2012/10/11、刷:2013/01/10(第4刷)
東京新宿の紀伊國屋書店新宿本店で購入
読了:2013/03/17
戦前から戦後、現在へと続く時代の流れを地形図から読むという本。私は昔の地図を眺めるのが好きなので、こういう趣向の本は大好きである。
カバーしている時代範囲で激変しているのは、郊外の都市化なので、そういったあたりの場所が中心になっている。
鉄道路線の移り変わりも見どころである。路面電車の敷設と廃止はよく取り上げられている事柄の一つである。
各種電子地図を参照しながら見てゆくと面白い。
私は、札幌→東京→名古屋→福岡と全国移り住んでいるうちに、いろいろな場所の土地勘ができたから、こういうのはけっこう楽しめる。
でも、本当は、ここで取り上げられている場所の中である程度馴染みがあると言えるのは、銀座有楽町、名古屋、博多くらいであった。
取り上げられている場所とポイントを個別に見てゆく。
- 銀座・有楽町:昔から都会。昔は細かく町名がついていたが、昭和 5 年、26 年、43-44 年の整理を経て、そこらじゅう一帯が「銀座」で大くくりになった。
近隣の町が銀座ブランドを欲しがったせいである。もともとの銀座は、今の銀座1丁目から4丁目までの中央通り沿いの部分である。
むかし外濠があった場所は今は埋められてその上を首都高が走っている。数寄屋橋は、外濠にかかる橋であった。
- 西新宿・代々木:淀橋浄水場→西新宿の高層ビル街。ここは変化が大きいので、こういう趣向の本や記事だとよく取り上げられるところである。
以前読んだのだと、原武史「「鉄学」概論」でも取り上げられていた。
- 船橋:塩田→三田浜楽園(遊園地)、船橋ヘルスセンター(温泉)→住宅地、商業施設と工業地帯。
- 荏原町:畑と三井邸→住宅地と戸越公園。
地名は、荏原郡平塚村→荏原郡平塚町 (大正 15)→荏原郡荏原町 (昭和 2)→東京市荏原区 (昭和 7)→東京都品川区 (昭和 22) [品川区と合併]、と変遷。
- 京都・蹴上:琵琶湖疏水と電車。琵琶湖疏水のインクラインは無くなっているものの、発電所と浄水場は今も現役だし、動物園も残っている。
電車は地下鉄へ。
- 川崎:塩田と養魚場→工業地帯。
- 横須賀:明治からの海軍の街。変わっていない所も多いが、汐入のドック跡地がショッピングセンターになったり、市民会館が横須賀芸術劇場になったり。
- 武蔵小杉:水田→工場の町→住宅地と商業施設
- 大阪・京橋:兵器工場と兵舎と郊外の水田→工場の町→ビジネス街
- 多摩湖畔:村山貯水池から多摩湖へと呼称が変化。村山ホテルが開業、多摩湖ホテルへと改称し、やがて取り壊し。西武遊園地の開業と拡張。
- 名古屋・中村:水田→中村遊郭→売春防止法による遊郭廃止。しかし、現在の地図でも町の名前(大門町、寿町など)や道路の付き方から
どこが遊郭地域だったかはっきりわかる。今でも当時の名残を残す建物が少しだけ残っているようである。
- 浮間:荒川が蛇行して袋状になっている部分→河川改修によって孤島のような地形になり、同時に埼玉県から東京都になる→
旧荒川(新河岸川)沿いに工場群ができる→埼京線開通による住宅地化。ちなみに、川向うの赤羽駅西側の台地は、かつて軍用地であった。
- 立川:陸軍航空隊の飛行場の町→米軍基地の町→米軍基地が返還され、自衛隊の飛行場となるとともに縮小。跡地には行政機関などが立ち、
一方モノレールも開通するなど交通の要衝になるとともに、多摩地域の中心地となる。
- 長町:仙台の南の宿場町と田んぼ→住宅地と商業施設
- 堺:古くから環濠都市として発展していた。堺の地名の由来は、摂津・河内・和泉の境目。
日本最古の私鉄とも言われる阪堺鉄道(いまの南海鉄道)が走っている。複数の路線の鉄道が走っており、その変遷も見どころ。
かつての海水浴場は工業地帯に。
- 習志野:習志野は広大な陸軍の演習場に対して明治天皇が付けた名前である。そこで、習志野駅は習志野市ではなく船橋市にあるなどということになっている。
その名の通り、津田沼には鉄道聯隊があった。現在では、聯隊があった場所は、千葉工大とショッピングセンターになっている。
聯隊の演習線は、今は新京成電鉄となっている。演習線と特徴で、線路がくねくねと曲がっている。
ただし、京成津田沼から新津田沼にかけておおきくS字に曲がっているのは、最初はもう少しまっすぐだったのを、国鉄津田沼との連絡を便利にするために
おおきく線路を曲げたために起こったもの。途中経過も紆余曲折あっておもしろい。昔は田舎だったのが、今や住宅密集地。
- 芦屋:浜沿いの農村だったのが高級住宅地に。官営鉄道が広い駅間隔で運行していたのに対し、明治 38 年、阪神電気鉄道が街道沿いに細かい駅間隔で
運行を始め、交通が格段に便利になる。その後、人口が急増、海岸線の埋め立ても進む。
- 横浜:とくに今の横浜駅周辺の変化に注目。今の横浜駅のある部分は、カーブした帯状に埋め立てた土地の上に線路が引かれていた部分だった。
したがって、両側は海と湾であった。その後、埋め立てが進み、線路のつながり方や駅の位置も少しずつ変化して現在に至る。
今の横浜駅は昔の神奈川駅の場所に近く、今の桜木町駅が昔は横浜駅であった。今の「みなとみらい」地区は、かつては高島貨物駅だったり
横浜船渠(のちの三菱重工横浜造船所)だったりした場所(全部埋立地)。
- 武蔵浦和・中浦和・西浦和:武蔵浦和・中浦和・西浦和の3駅で囲まれた部分の真ん中あたりの地名は鹿手袋である。昔は田んぼの広がる農村だった。
昭和 48 年に武蔵野線、昭和 60 年に埼京線が開通して、今や住宅地である。
- 二子玉川:今の二子玉川駅は、もともと多摩川の砂利を運ぶことを主目的としていた玉川電気鉄道(玉電)の終着駅(玉川)であった。
玉川駅周辺は、明治時代には河原の集落で、田んぼが広がっていた。その後、沿線の人口が増えるとともに、玉電は溝ノ口まで延伸した。
昭和になって目黒蒲田電鉄大井町線ができ、やがて戦時下には東急に統合された。高度成長期になると路面電車は廃止され、玉川線は
地下化され新玉川線になった。今や「ニコタマ」の愛称でお洒落なショッピングの街に変貌。
- 砂町:北砂、南砂、東砂、新砂は、もともとは砂村新田という地名に基づく。砂村新四郎が開発した新田ということである。
地名は、砂村新田→砂村→砂町→砂、と変遷。田んぼだったのが、小名木川沿いに工場が建つようになり、人口が増加。
今では、工場もなくなり、住宅密集地になった。
- 広島・宇品:日清戦争当時、広島が山陽鉄道の終点だったので、広島の宇品港が拠点軍港となった。終戦後は、工場や貯木場やらができ、
やがて埋め立てが進み、宅地化も進む。今は、西側の埋立地には港の倉庫や物流センターが広がり、東側の埋立地にはマツダの巨大な工場がある。
昔からある部分は、住宅地と商業施設になっている。
- 東京・尾久:荒川(今の隅田川)周辺の農村→川岸に工場が集まるとともにこの地域に住宅も集まる→工場が減って住宅地化。
都電荒川線が走っているのが一つの特徴。元は、王子電気軌道であった。最近では、日暮里・舎人ライナーが開通した。
- 埼玉・八潮:昭和 30 年代くらいまでは蛇行する綾瀬川・垳(がけ)川(むかしは利根川の水が流れていたかもしれない)の周辺の水田地帯であった。
その後、宅地化が進み、つくばエクスプレスの開業で、さらに宅地化が加速。
- 明大前:今、明治大学和泉キャンパスがあるところは、江戸時代には焔硝蔵、明治・大正時代には和泉新田火薬庫であった。
鉄道では、まず京王電気鉄道(今の京王電鉄京王線)ができ、次に帝都電鉄(今の京王井の頭線)ができた。帝都電鉄は、昭和 15 年、小田急の経営となり、
戦時下には、京王も小田急も大東急に組み込まれた。戦後独立を取り戻したが、帝都電鉄は京王の路線となり、社名も京王帝都電鉄となった。
平成 10 年、京王の社名から帝都が取れて、京王電鉄となった。桜上水の地名は、京王の駅名が先にできて、あとから町名になったもの。
- 名古屋:名古屋は、慶長 13 年以降の数年で清須から引っ越してできた城下町である。このときの町割りに対応した町名が、昭和 41 年の住居表示で一掃されてしまった。
今の名古屋鉄道瀬戸線は、元は瀬戸電気鉄道で、瀬戸物を堀川まで運んでいた。瀬戸電は、昭和 53 年まで名古屋城外堀の空堀の中を通っていた。
- 吹田:地名は、平安時代の吹田荘に遡る。昔から神崎川沿いの水運の要であった。明治 22 年にできた大阪麦酒会社が明治 24 年に吹田村に工場を作ったのが、
現在のアサヒビールの始まりである。吹田駅より北側には大正 12 年、巨大な吹田操車場ができた。以来、吹田はビールと鉄道の町であった。
アサヒビールの工場は現在でも操業しているが、操車場は昭和 59 年にその役割を終え、現在跡地利用が進められている。官営鉄道吹田駅ができたのは
明治 9 年。その後、北大阪電気鉄道(今の阪急千里線)ができたのが、大正 9 年、新京阪鉄道(今の阪急京都本線)ができたのが、昭和 3 年である。
明治時代には、街の周囲には田んぼが広がっていたのが、戦後急速に宅地化した。
- 博多:博多は古くからの国際貿易港である。明治 40 年代に、福博電気軌道と博多電気軌道の路面電車が開業した。両社は昭和 9 年に合併して福博電車となった。
路面電車は、昭和 54 年に姿を消した。博多の町名はもともと通りに沿って付いていた。これは昭和 41 年の住居表示で消滅したものの、歴史的な地名は
残っている。さらに祇園山笠が辛うじて昔の「流(ながれ)」を引き継いでいる。キャナルシティは、鐘紡博多工場跡地にできたもの。
これで新たに知ったことのひとつ:戦時にアメリカで作られた日本の都市の地図が
テキサス大学のサイトで簡単に見られること。
戦時中、アメリカが日本の地理をきわめてよく把握していたことが分かる。