ちいさな王子
Antoine de Saint-Exupéry 著、野崎歓 訳
光文社古典新訳文庫 K A サ 1-1、光文社
刊行:2006/09/20、刷:2007/08/10(第4刷)
原題:Le Petit Prince
原著刊行:1943
東京品川のあおい書店品川店で購入
読了:2012/12/10 ころ
あのときの王子くん
Antoine de Saint-Exupéry 著、大久保ゆう 訳
青空文庫 [電子書籍]
作成:2008/03/05
原題:Le Petit Prince
原著刊行:1943
読了:2013/01/02
サン=テグジュペリ 星の王子さま
水本弘文 著
NHK 100分de名著 2012 年 12 月、NHK 出版 [電子書籍]
刊行:2012/12/01(発売:2012/11/24)
電子雑誌書店 zinio で購入
読了:2012/01/02
小説と放送テキスト
言わずと知れた「星の王子さま」ではあるが、ずっと以前に読んだことがあるきりだったので、最初の象を呑み込んだボアの絵以外はほとんど覚えていなかった。
そこで、「100分de名著」で取り上げられたのをよいきっかけにして、読み直してみた。
もともと散文詩みたいなものなので、あんまり内容をああでもないこうでもないと書くと興ざめのような気がする。
そこで、100分de名著のテキストで引用されている部分のうちの題名、献辞、2章、21章からの部分の翻訳や解説を検討してみることにした。
テキストの訳は、著者の水本氏によるものである。あと私が持っているものは、上の野崎訳と大久保訳である。野崎訳、水本訳は比較的平易で、
大久保訳は子供でも分かるようにということでひらがなとやまとことばが多い訳である。
以下で検討するように、この中では野崎訳が一番素直な感じだし、誤訳も少なそうである。
大久保訳は今ひとつである。
- 題名
-
- [原文] Le Petit Prince
- [水本訳] 星の王子さま(これは長く普及していた内藤濯訳を踏襲したもの)
- [野崎訳] ちいさな王子
- [大久保訳] あのときの王子くん
-
もとの題を素直に訳してあるのは野崎訳の「ちいさな王子」である。もともと、私が野崎訳を買う気になったのはこのためである。
しかし、世間では「星の王子さま」があまりにも普及してしまったので、ほとんどの訳はそれを踏襲している。そうしないと、
これがいわゆる「星の王子さま」であることに多くの人が気付かないということになるからであろう。
しかし、私は野崎訳の「ちいさな王子」が一番素直で良いと思う。
- 大久保訳は変わっていて、なぜこうしたのかは、本人のあとがきに書いてある。それによると定冠詞 le のニュアンスを強調したものであることが分かる。
私の感覚だと定冠詞はちょっとニュアンスを添えるものなので、それを「あのときの」と訳すのは訳しすぎだと思う。「王子くん」も気持ち悪いし。
- もっとも、prince が王子かどうかは疑問の余地があるそうだ(Le Petit Prince 考究 第二の章)。モナコのような小国の王様は、prince(大公)と呼ばれる。
実際、le petit prince には父の王がいるわけでもなし、実際小惑星を支配しているのだから、
大公とか国王とか呼んだ方が良いのかもしれない。
そうだとすると、「ちいさな王様」の方が良いということになる。
- 献辞より
-
- [原文] Toutes les grandes personnes ont d'abord été des enfants. (Mais peu d'entre elles s'en souviennent.)
Je corrige donc ma dédicace:
À Léon Werth
quand il était petit garçon
- [水本訳] おとなはみんな最初は子どもでした(でも、そのことを忘れずにいるおとなは、多くありません) [中略]
子どもだったころのレオン・ウェルトに
- [野崎訳] どんなおとなだって、最初はこどもだった(それを覚えているおとなは、ほとんどいないけれど)。だから、捧げることばを次のように
書き直すとしよう――
ちいさな男の子だったころの
レオン・ヴェルトに
- [大久保訳] おとなはだれでも、もとは子どもですよね。(みんな、そのことをわすれますけど。)じゃあ、ささげるひとをこう書き直しましょう。
(かわいい少年だったころの)レオン・ウェルトに
- 私は、一番素直な野崎訳が好きである。ただ、私ならもっと素直に「捧げることば」は「献辞」にするけど。welt をウェルトと読むかヴェルトと読むかは
微妙である。もともとフランス語では w は外来語でしか使わないので、英語のような w の音で読む場合と、ドイツ語のような v の音で読む場合と両方ある。
- 2 章より
-
- [原文] Le premier soir je me suis donc endormi sur le sable à mille milles de toute terre habitée.
J'étais bien plus isolé qu'un naufragé sur un radeau au milieu de l'océan.
- [水本訳] そこで、最初の夜、ぼくは人の住んでいるところから千マイルも離れた砂の上で眠りました。大海原をいかだで漂流している人より、
もっとひとりぼっちでした。
- [野崎訳] こうして最初の晩、人の住んでいるところから千マイルも離れた砂の上で、ぼくは眠りこんだ。船が難破して、大海原のまんなかで
いかだに乗っている人よりも、ぼくのほうがもっとひとりぼっちだった。
- [大久保訳] 1日めの夜、ぼくはすなの上でねむった。ひとのすむところは、はるかかなただった。海のどまんなか、いかだでさまよっている
ひとよりも、もっとひとりぼっち。
- これも野崎訳が一番素直。un naufragé(舟の遭難者)を「舟が難破して」と処理しているところがうまい。
- 2 章より
-
- [原文] S'il vous plaît ... dessine-moi un mouton!
- [水本訳] お願いです…ぼくにヒツジを描いてよ!
- [野崎訳] おねがいします……。ヒツジの絵を描いてよ!
- [大久保訳] ごめんください……ヒツジの絵をかいて!
- 水本氏は、この王子のことばが、vouvoyer で始まり tutoyer に変わっているところに注目し、王子がパイロットの中の「おとな」と「こども」の
両方を瞬時に見て取ったせいだという分析をしている。
私の感じではちょっとそれはうがち過ぎで、王子であるがゆえの、丁寧さと威張った感じの
同居が表れているだけだと思うけど。これも、私には野崎訳が素直に見える。
- あるいは、もうちょっと違和感を丸出しにして未熟な王様っぽくするなら、たとえば、
「お願いします....羊の絵を描いてくれたまえ!」くらいが良いのではないか。
- 2 章より
-
- [原文] C'est tout à fait comme ça que je le voulais!
- [水本訳] そうだよ、こういうのが、ぼく欲しかったんだ!
- [野崎訳] これこそまさに、ぼくのほしかったとおりのヒツジだよ!
- [大久保訳] そう、ぼくはこういうのがほしかったんだ!
- 穴が3つ空いた箱の絵を王子に渡してこのなかにヒツジがいると言ったときの、王子の反応である。これはもちろんいろんな読み方があって良い。
水本氏は、パイロットが示した優しさを王子が受け取ったのだと読んでいる。
私は、想像力の賛美、あるいは、後で出てくる L'essentiel est invisible pour les yeux の例の一つだと思う。あからさまに形になっていない方が想像力がかき立てられるから良い、ということではなかろうか。
- 21 章より
-
- [原文] Qu'est-ce que signifie 《apprivoiser》?
C'est une chose trop oubliée. Ça signifie 《Créer des liens...》
- [英訳] "What does that mean --'tame'?"
"It is an act too often neglected," said the fox. "It means to establish ties."
- [水本訳] 「飼いならすってどういうこと?」
「みんなが忘れていることでね、きずなをつくるってことさ」
- [野崎訳] 「『なつかせる』ってどういう意味なの?」
「それはね、つい忘れられがちなことなんだよ。『きずなを作る』という意味なんだ」
- [大久保訳] 「<なつける>って、どういうこと?」
「もうだれもわすれちゃったけど、<きずなをつくる>ってことだよ」
- キーワードの apprivoiser の訳が皆さん苦心しているところである。
クラウン仏和辞典によると「飼い馴らす。(人を)従順にする、手なずける」ということだそうである。
その意味では、水本訳の「飼いならす」が一番素直である。
加藤晴久「憂い顔の『星の王子さま』」を立ち読みしたところでも、素直に「飼いならす」と訳すべきであるとしている。
他の普通の用例でも「飼いならす」が基本的な意味で、それと「絆を作る」こととを結びつけたのがサン=テグジュペリの独創ということのようだ。
上の英訳も tame(飼いならす)である。
- 野崎訳の「なつかせる」は、「飼いならす」ではあまりにも主従関係っぽいということで、
別の訳語を探した結果であろう。
online 上の LAROUSSE 辞典によると、apprivoiser の語源はラテン語の
apprivatiare で familiariser の意味らしいから、
「慣れさせる」に近い訳語を当てるのはありうるかもしれない。野崎訳はその線であると言える。
- 大久保訳の「なつける」は、私は余り使ったことも見たことも無い言葉だから
(ただし、広辞苑にはちゃんと載っているから、れっきとした日本語である)、
こうするくらいならより普通に使われる「手なずける」の方が良いのではないだろうか。
- 21 章より
-
- [原文] Tu n'es encore pour moi qu'un petit garçon tout semblable à cent mille petits garçons. Et je n'ai pas besoin de toi.
Et tu n'as pas besoin de moi non plus. Je ne suis pour toi qu'un renard semblable à cent mille renards.
Mais si tu m'apprivoises, nous aurons besoin l'un de l'autre. Tu seras pour moi unique au monde. Je serai pour toi unique au monde ...
- [水本訳] おれにとっちゃ、あんたは、まだほかの十万もの男の子たちと同じに見える。おれはあんたがいなくてもいいし、あんたもおれがいなくったっていい。
あんたの目には、おれはほかの十万のキツネと同じだろう。だけど、あんたがおれを飼いならすと、おれたちはお互いなくてはならないようになるんだ。
あんたは、おれにとってこの世でただ一人の人になるし、おれは、あんたにとってこの世でただ一匹のキツネになる……」
- [野崎訳] ぼくにとってきみはまだ、たくさんいるほかの男の子たちとおなじ、ただの男の子でしかない。ぼくにとっては、きみがいなくたってかまわないし、
きみだって、ぼくなんかいなくてもいいだろ。きみにとってぼくは、ほかのたくさんいるキツネとおなじ、ただのキツネでしかない。
でも、もしきみがぼくをなつかせてくれるなら、ぼくらはお互いが必要になる。きみはぼくにとって、この世でたった一人のひとになるし、
きみにとってぼくは、この世でたった一匹のキツネになるんだよ……」
- [大久保訳] おいらにしてみりゃ、きみはほかのおとこの子10まんにんと、なんのかわりもない。きみがいなきゃダメだってこともない。
きみだって、おいらがいなきゃダメだってことも、たぶんない。きみにしてみりゃ、おいらはほかのキツネ10まんびきと、なんのかわりもないから。
でも、きみがおいらをなつけたら、おいらたちはおたがい、あいてにいてほしい、っておもうようになる。きみは、おいらにとって、せかいに
ひとりだけになる。おいらも、きみにとって、せかいで1ぴきだけになる……」
- キツネによる apprivoiser の説明である。キツネの一人称を「おれ」にするか「ぼく」にするか「おいら」にするかは、まあお好み次第。
- 21 章より
-
- [原文] Je veux bien, répondit le petit prince, mais je n'ai pas beaucoup de temps. J'ai des amis à découvirir
et beaucoup de choses à connaître.
- [水本訳] 「そうしたいんだけど」と王子は答えました。
「でもあまり時間がないんだ。友だちを見つけなくちゃいけないし、知らなくちゃいけないことがたくさんあるんでね。」
- [野崎訳] 「そうしたいけど、でもぼく、あんまり時間がないんだ。友だちを見つけなきゃならないし、知っておかなきゃいけないこともたくさんあるし」
- [大久保訳] 「よろこんで。」と王子くんはへんじをした。「でもあんまりじかんがないんだ。友だちを見つけて、たくさんんことを知らなきゃなんない。」
- まだ絆を作るということがよくわかっていない王子のことばである。
- 21 章より
-
- [原文] Bien sûr, ma rose à moi, un passant oridinaire croirait qu'elle vous ressemble. Mais à elle seule
elle est plus importante que vous toutes, puisque c'est elle que j'ai arrosée.
- [英訳] To be sure, an ordinary passerby would think that my rose looked just like you
-- the rose that belongs to me. But in herself alone she is more important than all the hundreds of you other roses:
because it is she that I have watered.
- [水本訳] もちろん、ぼくのバラの花も、ただの通りすがりの人が見れば、あなたたちと同じに見えるでしょう。だけど、あの一輪の花だけで、
ぼくには、あなたたちみんなよりも大事なんだ。だって、ぼくが水をかけた花なんだから。
- [野崎訳] そりゃ、通りすがりの人にとっては、ぼくのバラも君たちと区別がつかないだろうね。でも、きみたちみんなを集めたより、
あの一輪のバラの方が大事なんだよ。だってぼくが水をあげたのはあのバラなんだもの。
- [大久保訳] もちろん、ぼくの花だって、ふつうにとおりすがった人から見れば、きみたちとおんなじなんだとおもう。でも、あの子は
いるだけで、きみたちぜんぶよりも、だいじなんだ。だって、ぼくが水をやったのは、あの子。
- こんどはキツネを apprivoiser して成長した王子のことばである。水本氏の解説では、王子が「関係価値」に気付いたという言い方をしている。
- 加藤晴久「自分で訳す星の王子さま」を立ち読みしたところだと、à moi は所有形容詞 ma を強調したものである。
- 同書によると、à elle seule は、「彼女だけで」という意味だそうである。
上の英訳も「そのバラそれ自体で」という感じに訳されており、水本訳でも「あの一輪の花だけで」
と訳されている。大久保訳では「あの子はいるだけで」なので、ちょっとずれている。
野崎訳では、とくに訳していない。
- 21 章より
-
- [原文] Il est très simple: on ne voit bien qu'avec le cœur. L'essentiel est invisible pour les yeux.
- [英訳]
a very simple secret: It is only with the heart that one can see rightly;
what is essential is invisible to the eye.
- [水本訳] とても簡単なことなんだ。心で見ないとよく見えない。大事なことは目には見えないってことさ。
- [野崎訳] とてもかんたんだよ。心で見なくちゃ、ものはよく見えない。大切なものは、目には見えないんだよ。
- [大久保訳] すっごくかんたんなことなんだ。心でなくちゃ、よく見えない。もののなかみは、目では見えない、ってこと。
- 小説を代表する名文句である。ところが、l'essentiel の訳が曲者ということが、大久保氏のあとがきにも書いてある。
内藤訳だと「かんじんなことは、目には見えない」だそうだ。l'essentiel は、クラウン仏和辞典によると「本質的な点、重要な部分、大事なもの」である。
これとは別に l'essence「本質」という語がある。だから、「ものごとの基本的な部分(or 本質的な部分)は」と訳すのが一番素直そうである。
ただ、それだと長すぎるので、訳者それぞれ工夫をしているということだろう。
なお、「本質は目に見えない」だと当たり前すぎるし、l'essence ではないことにも注意する。
英語にも essence と essentials の2つの語があって、後者は「ある主題についての重要で基本的な事実や知識。あることをしたり、ある状況に置いて不可欠なことがら。」の意味で、前者は「本質」である。
上の英訳では、what is essential(本質的なことがら)としている。
- 21 章より
-
- [原文] C'est le temps que tu as perdu pour ta rose qui fait ta rose si importante.
- [水本訳] あんたが時間を使ったから、あんたのバラはそんなに大事な花になったんだよ
- [野崎訳] 時間をかけて世話したからこそ、きみのバラは特別なバラになったんだ
- [大久保訳] バラのためになくしたじかんが、きみのバラをそんなにもだいじなものにしたんだ。
- キツネによる l'essentiel のさらなる説明である。ここは大久保訳が構文的には直訳。
しかし、これだと直訳調が気になる。「バラを重要なものにする」みないな直訳調使役構文は避けて
「バラが重要なものになる」のようにするのが欧文翻訳のテクニックというものである。
その意味で、水本訳もしくは野崎訳の方が自然な感じである。
放送時のサマリー
第1回 子どもの心を忘れずに
挿絵は作者自身が描いたもの。今回は絵を鍵にして作品を見てゆく。
- (1) ヒツジの絵
- パイロットはさびしい男だった。仕事にも情熱を持てずに人生を生きてきた。砂漠の中でパイロットはますます孤独だった。
そんなとき小さな王子がやってきて、ヒツジを描いてくれと言った。何枚か書いたものの、王子は満足しない。
なげやりになって木箱を描いてこのなかにヒツジがいると言ったら、王子は満足した。
- 水本「王子は、ヒツジに子供のころのやさしい気持ちを見ているのではないか」
- 水本「S'il vous plaît... dessine-moi un mouton .... 最初は vous を使って、次に tu になっている。
王子は、最初パイロットを大人と見ていたが、すぐに子供の心を見出して tu にしたのではないか?」
- (2) 象を呑み込んだ大蛇の絵
- パイロットは、子供のころ像を呑み込んだ大蛇の絵を描いた。でも、周囲には理解されなかった。以来、パイロットは心を閉ざした。
- パイロットは、子供のころに描いた大蛇の絵を王子さまに見せた。すると、王子さまはこの絵が何であるかすぐに分かった。
王子は子供の心の理解者だった。
- 水本「作者は、自分にとって大事なものは何か問い直してほしいと、読者に問いかけている。」
- (3) 木箱の絵
- 水本「木箱の絵は投げやりだけど、いたわりがある。箱には空気穴が開いている。」
- 水本「王子さまは、パイロットのちょっとしたやさしさを受け取ったのだと思う。箱は覆いであり、中身を守っていると同時に、
外に出られなくしている。その意味では、箱は大人の役割。」
サン=テグジュペリの生い立ち
フランスの名門貴族の家に生まれる。学校では成績は振るわなかった。就職しても長続きせず挫折。夢見がちでぼんやりした不器用な青年だった。
サン=テグジュペリは航空郵便会社にパイロットとして就職。しかし、当時のパイロットは死と隣り合わせ。
- (4) バオバブの絵
- 王子さまの星は小さな星だった。バオバブが成長しすぎると王子さまの星は破裂する。だから小さいうちにバオバブは抜いてしまわないといけない。
王子さまはバオバブをヒツジに食べさせたかった。
- 水本「バオバブは悪いものの象徴として使われている。たとえば、憎しみとか。バオバブの毒気をヒツジのやさしさで中和する。」
- 作者は心のバランスを取ることが必要だと言う。
- 水本「子どもは、主観的で無知で無邪気。大人が子どもが足りない部分を補う。」
第2回 悲しい勘違い
今日は大切なバラが登場する。
王子はなぜ地球にやってきたのか?王子は、自分の星に咲いたバラとの関係に悩んでいた。バラは我儘だったので、王子は困って星を去ることにした。
王子はバラを愛していた。バラも王子を愛していた。
水本「王子は表面にとらわれてしまっている。それは幼さ。王子には、バラの真意がつかめない。それは素直ではあるのだが。」
伊集院「王子はバラの棘は何のためにあるのだと思っているのですか?」
水本「星にいたころは、意地悪だと思っていた。でも、今はバラの立場になって考えられるようになってきた。」
伊集院「バラのくだりはリアルですね。」
バラにはモデルがいたと言われている。コンスエロ・スンシン。コンスエロは奔放な女性だった。サン=テグジュペリは女性の優しさを必要としていた。
しかし、二人は互いにいつも不倫を疑い、喧嘩が絶えなかった。
王子は星めぐりをした。それらの星で勘違いをしている大人に出会う。
- 無力な王様。権力を持つことにこだわる大人。
- 自惚れ屋。褒められたくて仕方がない男。賞賛されることが幸せにつながると勘違いしている。
- 自分を許せない男。お酒を飲むことを嫌いながらもお酒を飲み続ける。
- 毎日星を数えているビジネスマン。それらの星は自分のものだと主張しているが、実は何も持ってはいない。
- 点灯夫。自転が速い星で言われたとおりあかりを付けたり消したりしている。
- 地理学者。自分の星には興味が無く、他の星の記録ばかりしている。足元を見ていない。
王子は、地理学者のところで、バラは儚いということに気付く。
第3回 本当の絆の作り方
ある日、王子さまの星にバラが咲いた。王子さまは大事にバラの世話をする。でも、王子さまはバラとの関係がうまくいなかくなって、星を去る。
王子さまは、地球で友達となる人間を探す。その途中でたくさんのバラが咲く庭園に着いた。そこで、王子はバラがありふれた花であることに気付いてショックを受ける。
そんなときにキツネが現れた。キツネ「あんたとは遊べないよ。飼いならされていないもの。それが絆を作るってことだ。辛抱が必要だよ。」
キーワード「飼いならす apprivoiser」
伊集院「飼いならすっていうのは、わざと耳慣れない言葉を入れているのでしょうか?」
水本「そうだと思います。飼いならすというのはお互いを飼いならすということ。」
水本「相手が自分の中に入ることを受け入れる。自分も相手の中に入る。相手を受け入れることで自分が変わる。」
水本「王子は、友達を探そうと焦っている。」
伊集院「若いと、理想の人がどこかにいると思ってしまう。」
水本「最初から出来上がった友達などいない。友達はお互いに作っていくもの。」
伊集院「友達は見つかるものではないんですね。」
水本「そう。見つかるのは友達候補でしかない。」
キツネ「あんたが俺を飼いならしたら、日が差したようになる。あんたがおれを飼いならしてくれたら素晴らしいことになるだろうね。」
水本「個人的なことが大切。それまでの積み重ねを考えれば、王子のバラは、王子にとって大切な花になる。自分にとっての真実の大切さ。」
伊集院「カミさんのフィルターを通すと、ディズニーランドが違って見えた。」
水本「成長は、変化すること。」
王子さまは自分のバラの大切さに気付き、王子さまはバラを置いてきたことが心配でたまらなくなった。
王子さまの質問「バラの棘は何のためにあるの?」でも、パイロットはこの質問の大切さをわかってくれない。
パイロットは、飛行機の修理の方が気になっている。王子さまは、大切なことがわかっていないと怒る。
水本「私たちにとって大切なのは、単に生き延びることではない。」
水本「王子は、自分が愛するもののために生きることが大切であることをパイロットに分かってほしい。」
王子さまはパイロットに絆についてのもう一つの話をした。砂漠で出会った花は、人間たちには根が無くて大変だと言った。
水本「絆という形で、私たちは社会に根を張っている。自由が大事なのではなく、自分が根付いて充実した生活をすることが大事。」
伊集院「僕は下町出身だけど、地元では周囲の過干渉がうっとうしかった。」
水本「私たち人間は不自由を覚悟で根を張るものだ。」
サン=テグジュペリは、若いころ砂漠の飛行場を守る役目をしていた。そこで、地元の部族と付き合うことを覚えた。それが絆づくりだった。
水本「サン=テグジュペリは、絆の大切さをわかっていた。」
水本「人と付き合いながら変化することを楽しもう。」
第4回 すべては心で変わる
ゲスト:中島朋子(俳優)
キツネのセリフ「大事なことは目には見えない。」
王子はキツネのおかげで大事なことが分かった。
中嶋「高校くらいになって、大事なものは自分でつかみ取らなければならないという責任感に気付いた。」
水本「相手と自分との結びつきには責任を伴う。」
王子はキツネのおかげで大事なことが分かった。パイロットの飲み水が尽きたので、パイロットと王子は井戸を探す。
王子「砂漠が美しいのは、井戸を隠しているから。」
パイロット「美しくしているものは、目に見えない。」
夜明けに二人は井戸を見つけた。
中嶋「二人の関係性が美しくなってきた。」
伊集院「井戸はどうして見つかったのか。」
水本「パイロットが見えない世界に目を開いてきたので、井戸が見つかった、という印象で読んだ。」
水本「井戸は友情の証し。王子とパイロットが同じ地平に立った。」
中嶋「井戸が現れなくても良かったんじゃないかしら。二人が寄り添えば十分では。寄り添えば何かほかの物でも見つかったんじゃないか。」
砂漠の井戸には、滑車も釣瓶もついていた。村にあるような井戸だった。
水本「村の井戸は、懐かしいけれども忘れられている。絆もみんなが忘れているもの。それを重ねたのではないか。」
大事なことを見極めれば、心の井戸が湧きあがってくる。
島津「井戸が見つかればめでたしめでたしでは、と思うとそうではないんですよね。」
水本「まだバラが残ってたんですよね。」
王子は、バラとの責任を果たすために星に帰る。
島津「王子は、体を毒蛇に咬ませて、魂が星に帰る。」
水本「王子の星のバラは、ただ一つのバラ。」
中嶋「心のふれあいで、世界が一変する。」
サン=テグジュペリは、星の王子さまを書いた直後、ふたたび兵隊になる。最後は、偵察飛行で消息を絶つ。