経度への挑戦
Dava Sobel 著、藤井留美 訳
角川文庫 16328, ソ 1-1、角川書店
刊行:2010/06/25、刷:2010/06/25(第1刷)
文庫の元になったもの:1997/07 翔泳社刊
原題:Longitude -- The True Story of a Lone Genius Who Solved the Greatest Scientific Problem of His Time
原出版社:Walker
原著刊行:1995
福岡天神のジュンク堂書店福岡店で購入
読了:2013/07/14
海外ではベストセラーになった本らしいということで、いつか読もうと思っていたところ、文庫本になっているのを見つけたので読んでみた。
海上での経度測定は長い間困難であった。それに成功した時計職人の John Harrison を中心とした、経度測定競争の物語である。
経度が測れないと、海上での自分の位置が正確に分からず、事故につながる。そこで、正確な経度の測定法は長年にわたって切望されていた。
経度を測るには、時計があれば良い。しかし、船の上で正確に動く時計を作るのは至難の業であった。
Harrison が時計開発をした当時は、むしろ天文観測の方が有望だと考えられていた。
それを Harrison が覆して、船の上で使える正確な時計を作った。天文観測派からは数々の意地悪をされたものの、
結局最後には時計による経度測定が勝った。
天文観測派も別の貢献をしている。それは、経度の基準がグリニッジになったことだ。John Harrison の仇敵(天文観測派)で
王立天文台長の Nevil Maskelyne は天文観測用の「航海暦」を天文台長時代に発行し続けていた。これが事実上の世界標準になったことで、
経度の基準がグリニッジになった。時計による経度測定が普及してからも、精度チェックのための天文観測が必要だったので、「航海暦」が使われた。
その結果、1884 年の世界子午線会議で経度の基準がグリニッジになることに正式に決まった。こんなことは、この本で初めて知った。
以下、書いてあったことを時間の順にだいたいまとめ直してみる。
- 1514 ドイツの天文学者 Johannes Werner が月の運行を利用して経度を測定する月距法を発案。しかし、
当時は星の位置も月の運行も正確には分かっていなかったので、使い物にならなかった。
- 1610 ガリレオ・ガリレイが木星のガリレオ衛星を発見。
- 1611 ガリレオは、ガリレオ衛星の食を時計にして経度を測定する手法を考案。
- 1650 以降 陸上では、ガリレオの方法が経度測定の方法として普及し始める。しかし、海上では観測困難。
- 1671 ルイ 14 世の下、パリ天文台が創設され、Giovanni Dominico Cassini が台長となる。目的は、ガリレオ衛星を使った経度測定の精度を高めることだった。
- 1676 チャールズ 2 世の下、グリニッジ王立天文台が創設され、John Flamsteed が台長となる。目的は、天体の運行表と恒星の位置表を整備することで、
海上での経度測定法を確立することだった。
- 1693/03/24 John Harrison 誕生。
- 1707/10/22 イギリスの軍艦が座礁、2000 名近くが死亡。→正確な経度測定へのニーズが高まる。
- 1713 John Harrison が初めて振り子時計を作った。ほぼすべてが木製だった。
- 1714 イギリスで経度法制定。海上で経度を正確に測定する技術開発に成功した者には賞金を与えることにした。
審査のために経度評議員会が設置された。
- 1720 Edmond Halley が王立天文台の2代目の台長になる。
- 1725-27 John Harrison と弟の James が Grandfather clocks を2個作製。気温変化に強くて、摩擦が少なく、1か月で1秒しか狂わなかった。
- 1728 John Harrison に息子 William が誕生。
- 1730 John Harrison が Edmond Halley に時計についてのアイディアを相談。
- 1731 イギリスとアメリカでほぼ同時に四分儀が発明される。月距法で経度の測定ができるようになる。
- 1735 John Harrison が船舶用の時計の第一号 H-1 を完成させる。
- 1735/05-06 H-1 がセンチュリオン号に乗り、その性能の高さが確認された。
- 1737 第二号 H-2 が完成。
- 1742 James Bradley が王立天文台の3代目の台長になる。
- 1749 John Harrison が王立協会から Copley Medal を授与される。
- 1752 Tobias Mayer が正確な月の運行表を作った。これによって、月距法でも経度の十分な精度が得られるようになった。
- 1757 John Harrison が息子 William とともに第三号 H-3 を完成。
- 1759 第四号 H-4 完成。
- 1761/11-1762/03 William Harrison が H-4 を持ってデッドフォード号に乗船して、ジャマイカまで航海。往復で 2 分しか狂いが無かった。
- 1762 Nathaniel Bliss が王立天文台の4代目の台長になる。
- 1764 William Harrison が H-4 を持って二度目の実験航海。16 km の誤差しかないことが分かる。経度法の賞金の半分が H-4 に出されることに決まる。
- 1765 Nevil Maskelyne が王立天文台の5代目の台長になる。
- 1769 Larcum Kendall が H-4 の複製 K-1 を製作。
- 1770 John Harrison が H-4 の複製 H-5 を製作。
- 1772 国王ジョージ 3 世が John Harrison の訴えを聞いて H-5 をテストし、擁護することにした。
- 1773 John Harrison が議会から賞金を受け取る。
- 1775 Captain James Cook が K-1 を賞賛。
- 1776/03/24 John Harrison 死去。
- 1779 John Arnold が懐中クロノメータ―(海上時計)No.36 を作った。小型で1日に 3 秒も狂わない。大量生産にも取り組んだ。
- 1780 年代 Thomas Earnshaw が高性能で注油不要のクロノメーター(海上時計)を作った。
- 19 世紀 クロノメータ―による経度測定の普及。
John Harrison は、原題にある通りの「孤独な天才」ではなかったことが、最近わかってきたらしい。
New Scientist の記事
によれば、Harrison にも協力者がいたようだ。Jonathan Betts が Harrison の時計 H-1 を修理のために分解してみたところ、玄人仕事の真鍮細工があった。
Harrison は、もともと大工だったので金工は得意でないはずだ。さらに、鎖を使った精巧な fusee も独力でできたとは思えない。
John Harrison については、Royal Museums Greenwich の web page にも記載がある。