科学を語るとはどういうことか 科学者、哲学者にモノ申す

須藤靖・伊勢田哲治 著
河出ブックス 057、河出書房新社
刊行:2013/06/30、刷:2013/06/20(第1刷)
福岡博多の紀伊國屋書店福岡本店で購入
読了:2013/07/15
物理学者の須藤氏が科学哲学に関していちゃもんをつけるのに科学哲学者の伊勢田氏が答えるという趣向の本。 対談形式でけっこう長いので、よくこんなに息が長く続かせることができるものだと感心した。 もちろん「終わりに」によれば、実際はメール対談の部分も多かったようではあるが、それにしても たいへんなものである。私のように相手の言うことにとりあえずすぐ納得してしまうような人間にはできないことである。

2人の見解は最後まで一致しないのだが、須藤氏の言っていることの方に共感を覚える部分が多い(ただし、自由意志と法律の関係は、 伊勢田氏の方がふつうの見解だと思うけど)。しかし、伊勢田氏が「終わりに」に書いている通り、 意図的に意見が合わなりそうな話題を取り上げたということなので、これは伊勢田氏の意図した通りなのかもしれない。 そのことによって、科学と哲学の視点の違いを浮き彫りにしたいということのようだ。

伊勢田氏は、科学哲学には哲学としての面白さがあるのだから、科学者に分かってもらわなくて良いというようなことを言う。 伊勢田氏はいつもわりとそのような発言をしがちなのだが(私は面識があるので知っている)、 しかし実は伊勢田氏の著書を読むと(たとえば「疑似科学と科学の哲学」とか「倫理学的に考える」とか)、 彼は折衷主義的な穏健派で、その主張はけっこう科学者にも受け入れられやすいものだと思う。 それなのに哲学の独自性にこだわるのはやや違和感を感じるところではある。とはいえ、この本では、意図的に最後まで二人は言うことをすれ違わせていたような 気もするので、演出かもしれない。

須藤氏が「80 点程度の優れた解答に対して、残りの 20 点の減点部分だけをあげつらうことで 逆に 40 点程度しかとれない不合格の解答を提案してしまう、という構図が科学哲学の議論では目につく気がします。」(p.56) と述べているのは、私も日ごろ何となく感じていることを言葉にしてあって印象的だった。 伊勢田氏は、ここでは価値判断の差ということで応答しているけれども、実は伊勢田氏的折衷主義を持ち出すと、 こういうのはわりと解決されるのではないかという気が私はしている。

第4章で取り上げられている因果の話は、数ある因果の話のごくわずかの部分で、全貌を見ようと思ったら The Oxford Handbook of Causation (2010, Oxford University Press) という最近出版された本を見ると良いのだそうだ (伊勢田氏本人に教えていただいた)。

ところで、この本の書評を私が知っている科学者が書いているので、以下にリンクしておく。

なお、この本はけっこうおもしろいと思う人が多いらしく、ググるといろんな感想文が出てくる。