ヘンな日本美術史

山口晃 著
祥伝社
刊行:2012/11/10、刷:2012/12/15(第3刷)
福岡天神のリブロ福岡天神店で購入
読了:2013/06/17
著者の山口晃の名前は、東大出版会の情報誌「UP」の連載「すずしろ日記」で初めて知った。 気楽な漫画エッセイみたいな感じのもので、時々読んでいる。 そのうち、この人がけっこう売れている画家であることも知った。 そういう人の書いた本だから、面白いかなと思って買ったら、果たして面白かった。 とても読みやすく、なおかつ個性的なので、一気に半日くらい(行き帰りの電車と、寝る前)で 読んでしまった。

こういう美術論は、どういう絵を取り上げているかがひとつのポイントである。 いまさら良く知られた画家を取り上げても面白くないし、マイナーな画家ばかりでも面白くない。 そのへんの配合がなかなか良い。気に入った点を挙げておこう。

定型的であんまりおもしろくないように見える絵を取り上げている。
たとえば、伊勢物語絵巻。伊勢物語の解説のサブタイトルは、「毒にも薬にもならない絵」である。 贅沢な家を飾るものなので、毒を吐いてはいけない。職人的になされた仕事の職人的な工夫を楽しむべきものである。こういうものは、いわゆる芸術論からは外れてしまいがちで、博物館で見ても、物語と対比する以外に何を楽しんで良いのか分からない。そういう絵の見方の一つが書かれている。
下手な絵を取り上げている。
「松姫物語絵巻」というそんなに知られてもいないと思うけど、下手な絵が取り上げらている。 下手な絵など放っておけば良いというわけにはいかないのは、まずそれが残っていて大事に伝えられているのがなぜかということを考えなければならない。そういう趣向があったというのが答えだとのこと。
さらに、下手な絵に対する感想も書いてある。プロから見ると一番見られない絵というのは、中途半端にちょっと上手いものだそうで (pp.144-146,162-167)、こういう本当に下手くそなのはまだしも見られるそうである。そのような美意識が昔からあったことに感動している。
有名な方で取り上げているのが、雪舟と洛中洛外図屏風
有名な方もあまりにも良く論じられている画家では面白くない。 雪舟と洛中洛外図屏風というのがまた良い。どちらも確かに博物館や美術館に大事に飾ってあるけれども、祭り上げられているだけという感があるものである。これをどう見るか、雪舟の新しさや、洛中洛外図屏風の多様性が解説されている。
幕末から明治で取り上げられているのが、河鍋暁斎、月岡芳年、川村清雄
明治画壇で取り上げられるのは、岡倉天心でも黒田清輝でも横山大観でもなく、暁斎、芳年、清雄。このうち、暁斎、芳年は最近だいぶん評価されている気もするけど、川村清雄は全然知らなかった。もっとも「江戸城明渡の帰途(勝海舟江戸開城図)」は歴史の本で見たことがあるように思うけど。 河鍋暁斎も変な絵を描く人というイメージがあったのだが、そうではなくて、あらゆる種類の絵が描ける人というのが正しい評価だとのこと。

書いてある考えもストレートな感じなのが良い。上記の下手な絵に対する論考の他に、近代日本画の抱えている矛盾が何カ所かに書かれているのが目につく。写生だとか遠近法が入ってくると、それが無かった時代の空間構成ができなくなる (pp.58-64,111-116,173-174,182-185,228-230,241247-252)。それを克服できたのが良い画家ということになる。それが、暁斎、芳年、清雄だったりするわけだ。

河鍋暁斎に変な絵を描く人というイメージが私にあったのは、理由が無いことではなかったようだ。 ちょうど東大出版会の情報誌「UP」の2013年6月号に、樋口一貴「”河鍋暁斎”というイメージ戦略」という記事があり、破天荒な画家というイメージは、明治20年に出版された「暁斎画談」によるところが大きいらしい。 この「暁斎画談」は、戯作者の梅亭金鵞こと瓜生政和が逸話を編集し、暁斎自身が挿絵を入れたものである。中身は大袈裟なところがあって、事実と違うことも多いようである。

というわけで、河鍋暁斎が気になるようになり、東京出張の帰りに太田記念美術館で行われていた「北斎と暁斎展」を見てきた。北斎も暁斎も絵が素晴らしくうまい画家だということが良くわかった。 もちろん、私がうまいといってもしょうがないのだが、構図や筆の勢い、人物や動物の動きの捉え方、どれをとってもこれこそが画家の技というものだと言いたくなるようなものなのである。