「鉄学」概論 車窓から眺める近現代史

原武史 著
新潮文庫 9090, は 50 1、新潮社
刊行:2011/01/01、刷:2011/01/01(第1刷)
文庫の元になったもの:2009/06 刊「NHK 知る楽 探究この世界 鉄道から見える日本」に加筆・再編集
福岡博多のメトロ書店博多デイトス店で購入
読了:2014/04/20
2011 年の 2 月ごろ買って一度読んだはずなのではあるが、そのとき読書記録を書きそこなったので、もう一度読んでみた。 「鉄学(=鉄道学)」と銘打ってある割に、本書の主題は鉄道そのものではなく、鉄道をめぐる社会とか人々の紹介であるのが面白い。 とはいえ、著者が子どものとき、武蔵小金井から中野に行くときわざわざ新宿まで行っていたというエピソード(第7章)を読んで、 これはやっぱり鉄道に愛着を感じる人の本なのだということが分かる。

まず文学から入る(第1章、第2章)のが良い。第1章の鉄道紀行文学で、鉄道好きの旅情に引き込まれ、第2章では 鉄道から見える風景を文学を通して眺める。これで鉄道の風景が文芸の抒情の中に浮かび上がる。

第3章では、明治時代から戦後しばらくまで鉄道による行幸啓が盛んに行われ、 これが天皇による支配を視覚的に意識させる道具として使われたことが解説されている。 東京駅は、もともと天皇が使う表の駅として作られたのだそうな。裏の駅は原宿宮廷駅とのこと。 とはいえ、今や鉄道(御召列車)による行幸啓はすたれ、 原宿宮廷駅は 2001 年 5 月を最後に利用されていないのだそうである。

第4章では、阪急の小林一三と東急の五島慶太が対照的に描かれる。 本書によれば、どちらも周辺の宅地開発をしながら大きくなっていったというような似た点はあるが(これは五島が小林の真似をしたのだが)、 小林が官に反発していたのに対し、五島はもともと官僚だったせいもあって官に寄り添っていたという大きな違いがある。 たとえば、阪急梅田駅はJR大阪駅と乗り換えるときにいったん外に出ないといけないのに対して、 東急渋谷駅とJR渋谷駅は寄り添うような作りになっている。一般に、関東の私鉄の方が関西よりも相互乗り入れに熱心である。 私は、京都に行くたびに、どうして京都のJRと私鉄の連絡が悪いのかがいつも疑問だったのだが、これでわかった。 ほかに、小林と五島の権威に対する姿勢の違いを示すこととして、小林の逸翁美術館には国宝が無いのに対し、 五島美術館には国宝が五点もあるということが紹介されている。

第5章から第8章までは、いわゆる高度経済成長期の1960年代の首都圏を中心とした話である。日本が大きく変貌した時代である。以下、これらの章のサマリーである。主に3つの話が絡まり合って出てくる。それらは、(1) 団地造成に象徴される人口増加 (2) 暴動の頻発 (3) 路面電車の消滅、である。これを順番に見てゆこう。

  1. 高度経済成長期には首都圏の人口が激増する。そのために公団団地が多く建設された。公団住宅は、1950年代末から建設が始まり、初期には、アメリカ風ライフスタイルへの変化を象徴する光輝く存在だった。1970年代になると、団地のイメージは「狭い、遠い、不便」に変わっていって、団地の時代は終わった。殊に、西武沿線は、西武鉄道を作った堤康次郎が沿線の住宅開発をあまりしなかったので、公団団地がたくさんできた(第5章)。一方で、山手線のすぐ外側あたりでは、木賃アパートが数多く建てられた。団地が核家族のための住居であるのに対し、木賃アパートは学生など単身者が多く入居していた。団地では共産党の支持率が高かった。こういったことが、(2) や (3) の背景となる。
  2. 駅で暴動が数多く起こった(第7、8章)。例を挙げる。
  3. モータリゼーションや人口増加への対応ということで、東京では1960年代に路面電車が地下鉄に置き換えられた(第6章)。これに伴い人々は地名を体感できなくなった。特に、皇居を目にすることがなくなったので、皇室に対する関心が下がったのではないか。

こんな風にして、鉄道は時代と世相を写しているのである。