旧約聖書

加藤隆 著
NHK 100分de名著 2014 年 5 月、NHK 出版 [電子書籍]
刊行:2014/05/01(発売:2014/04/25)
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読了:2014/06/09
旧約聖書は、創世記を読んだりとか簡単バージョンを読んだりとかはしたことがあるが、全体を読んだことは無い。 手早く全体像が分かるという意味ではこの番組はなかなかありがたい。 旧約聖書は複雑な歴史を経てきた文書の寄せ集めだということが分かり、 仏教の聖典ほどではないにしろいろいろな要素が集まっているのだということを初めて認識した。

テキストのメモ

旧約聖書ができた時代背景は大きく3期に分けられる。
  1. 前13世紀:出エジプト。集団でエジプトから逃走したことで、ヤーヴェを崇拝するユダヤ民族が成立する。
  2. 前12世紀~前6世紀前半:独立国の時代。部族連合国家→イスラエル統一王国→南北分裂→北王国滅亡→南王国滅亡。
  3. 前6世紀前半以降:バビロニアによるバビロン捕囚→アケネメス朝ペルシア(聖書編纂開始)→ヘレニズム時代→ローマ時代。

第1回 こうして“神”が誕生した

旧約聖書は、前5世紀ころから後1世紀ころにかけて行われた。その間に書かれた文書の集合体である。 歴史物語は、「申命記的歴史」と「歴代史的歴史」の2系統に分けられる。

カテゴリ特徴文書
申命記的歴史 善悪の判断がなされた歴史が描かれている。申命記の掟集は前7世紀に成立。 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記
歴代誌的歴史 理想化した歴史が語られる。歴代誌は前4世紀前半頃成立。 歴代誌、エズラ記、ネヘミヤ記

最初に作られたのは、「モーセ五書」と呼ばれる「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」であろう。 初めはヘブライ語で書かれていた。その後いろいろな文書が加えられた。 前2世紀の初めにギリシア語訳の「七十人訳聖書」が作られ、最初からギリシア語で書かれた文書も加わる。 ユダヤ教の立場では、ヤムニア会議でヘブライ語で書かれた39の文書のみを聖書とすることが決定され、これが現在でも守られている。 キリスト教は、「七十人訳聖書」の系統を受け継いだ。

創世記には2つの相矛盾する創造物語が書かれていることに注意しよう。第一の物語は神が6日間で行う作業である。 ここでは、最後に人間が作られる(男女同時)。第二の物語では、男(アダム)が最初に作られて、その後植物が作られ、 その後で女(イブ)が作られる。

前13世紀に、エジプトにいた非エジプト人の集団が、逃亡した。これが「出エジプト」事件である。 この集団脱走事件をきっかけに、ヤーヴェを崇拝するイスラエル民族(ユダヤ民族)が成立した。 その後、荒野をさまよったのち、十二部族連合ができた。前11世紀に統一王国ができた。

第2回 人間は罪の状態にある

イスラエル王国が出来て、前 932 年ころ、南北に分裂する。とくに北王国では多神教的な傾向が出てきた。 これは、人々の生活に余裕ができたことを反映している。 厳しい環境だと、人は一致団結するために一つの神だけを選びがちであるが、余裕が出ると、いろいろな御利益を得ようとして多神教的になる。

ところが、北王国が滅ぼされるという危機が訪れた。ヤーヴェがこれを救ってくれなかったということで、 南王国では、ヤーヴェを見捨てる人たちと、ヤーヴェに忠実であり続ける人たちがでてきた。 ヤーヴェに忠実な人たちが南王国に残る。ヤーヴェが守ってくれないのは、民が罪の状態にあるからだという論理が出てきた。 ここにおいて、民は神を選ぶことができないという本格的な一神教が成立した。 民が正しい状態にいるためにはどうすれば良いかということで、申命記の中の掟ができた。 この掟は、モーセが述べていることになっているが、実際は南王国のヨシア王のときにできた掟である。

第3回 聖書の成立

バビロン捕囚後のペルシア支配の時代に、ユダヤ教聖書の編纂が開始される(前5~前4世紀)。

ユダヤ教の聖書は一字一句変更できないものとされている。それには2つの理由がある。 (1) 聖書ははじめ「律法」として、ペルシア政府に提出された。これを変えようとするとペルシア政府の認可が必要になるが、 ユダヤ民族以外の者たちの認可を受けて「律法」を変えることは、ユダヤ教の立場からは容認できなかった。 (2) ペルシア滅亡後も、律法を完全に遵守することを不可能にするために、律法は変更できないことになった。 これは神に救われようという無駄な努力をしないで済む状況を作り出すためのものだったとも言える。 [吉田感想:ずいぶんひねくれた論理だ!]

結局のところ、神は偉大で、人間は及びもつかないし考えてもしょうがないので、畏れ敬いましょうということになる。

あなたは全能であり、あなたのどんな企ても妨げることはできないと悟りました。(「ヨブ記」42章)
すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」(「コヘレトの言葉」12章)

第4回 沈黙は破られるのか

ユダヤ人が惨めな状態にとどまっているのを神は救ってくれない。これを合理化する一つの考え方は、 神はユダヤ人だけの神なのではなく、全人類の神だと考えることである。このような普遍主義的な神の考え方が 「ヨナ書」や「ルツ記」には現れている。一方で、民族主義的な流れも「エステル記」からは読み取れる。 このように聖書にはいろいろな立場の物語が混ざっている。

前3~前2世紀には黙示思想が目立ってくる。 神はこの悪い世の中を滅ぼして、一部のものだけが来たるべき良い世の中に迎えられるという考え方である。

ヤーヴェは結局沈黙したままだが、聖書を全く変えなかったことによって、ユダヤ教徒のアイデンティティは現在に至るまで長く保たれた。


放送時のメモ

第1回 こうして“神”が誕生した

旧約聖書は、古代のユダヤ民族の歴史物語である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通する聖典。 その3つの宗教では崇拝している神が共通している。

創世記
まず、6日間にわたって天地が創造される(天地創造)。
その後の話の流れ:アダムとイブ→カインとアベル→ノアの方舟→アブラハム(イスラエルの祖先)
アブラハムは、約束の地カナンに向かって旅をして、定住する。しかし、子孫は飢饉のためにエジプトに向かう。
出エジプト記
エジプトではイスラエル人は奴隷として働いていた。
モーセは荒野で神と出会う。神の命を受けたモーセは、民をカナンへ連れてゆこうとする。
ファラオはイスラエル人の脱出を妨害するが、神はエジプトに罰を与え、イスラエルの民を解放した。
エジプトを脱出するとき海が割れる。
神はシナイ山でモーセに十戒を授ける。
人々はシナイ半島をさまよい、モーセはカナンに着く前に亡くなる。
その後、カナンに入ったイスラエルの民は国をつくることに成功する。

モーセは王ではなくて、神が直接民を支配する。

第2回 人間は罪の状態にある

第3回 聖書の成立

第4回 沈黙は破られるのか

ユダヤ民族の神への問いかけの記録「ヨブ記」を読む。知恵文学の傑作といわれる。ゲストに姜尚中氏を迎える。

[あらすじ] 悪魔が神に賭けを持ちかける。ヨブに試練を与えても、信仰を捨てずにいられるか?試練を与えられてもヨブは信仰を捨てない。あるとき、友人が訪ねてゆくと、凄まじい呪いの言葉を吐く。そして、神に抗議をする。やがて、神の声がする。ヨブが悔い改めると、神に祝福される。

加藤「神の沈黙の問題が背景にある。」
姜「「問い」を投げかけることが重要」

ユダヤ民族が他国の支配を受け続ける中で、黙示思想、終末思想が出てくる。将来は、世界が滅んで、選ばれた人が素晴らしい世界に入ることができると考える。

そのような苦難の時代にイエスが登場する。数々の奇蹟を起こした。イエスは、当時のユダヤ教のありかたを批判し、自らが神に救われているとした。数年の活動ののち、処刑される。