反哲学入門
木田元 著
新潮文庫 8960, き 33 1、新潮社
刊行:2010/06/01、刷:2012/06/10(第6刷)
文庫の元になったもの:2007/06 新潮社刊
単行本の元になった連載:2006/06ー2007/08 「波」(新潮社)
札幌札幌駅近くの紀伊國屋書店札幌本店で購入
読了:2014/05/04
新潮社の「波」に連載するために、編集者の風元正が著者にインタビューをしたものをまとめたもの。談話をまとめたものだけあって、読みやすくわかりやすい。高校で勉強するような哲学者が出て来るのだけれど、高校の教科書と違って通して一つのストーリーになっているので、よくわかる。第1章の「哲学とは何か」という説明からして目から鱗が落ちる。ただし、最後のハイデガーの説明は今ひとつわかりづらかった。
本当はもっと書きたかったらしいが、分量オーバーでやめたとのこと。
哲学の基本には存在論が置かれ、それが時とともにどう変遷してきたかがよくわかる。自然科学は、哲学を変革するきっかけになっていることがわかる。ケプラーやガリレオはデカルトに影響し、ニュートン力学はカントに大きな影響を与え、数理物理的世界像が正当化されることになった。進化論はニーチェに影響して、生の力を認識させるきっかけとなった。しかし、ヒッグス粒子みたいなものが出てきた現代にあっては、哲学的存在論はもう存在意義がなくなってきていると思う。
以下、サマリー
- 第1章 哲学は欧米人だけの思考法である
- 哲学とは、超自然的な原理を参照して自然を見るという思考様式のことである。これは西洋独特のものである。超自然的原理は、「イデア」(プラトン)、「純粋形相」(アリストテレス)、「神」(キリスト教神学)、「理性」(カント)、「精神」(ヘーゲル)と変わってゆく。この考えの下で、自然は単なる物質になる。哲学は、その意味で反自然的である。
- 「哲学」においては、存在論が根本にあり、「存在するものの全体は何か」というような問い方をする。
- この哲学は、プラトンに始まり、ヘーゲルあたりまで続いた。この行き詰まりに気づいたのが、ニーチェやハイデガーらである。ニーチェが「反哲学」を始めた。
- philosophia という語を使い始めたのはソクラテスである。無知ゆえに知を愛し求めるという意味で、ソフィストに対する当てこすりであった。西周は、これをはじめ「希哲学」と訳した。希=philein、哲=sophiaというわけだった。ところが、後でなぜか「希」を削って「哲学」にしてしまった。
- 自然を表すギリシャ語はフュシスである。これは、「なる、生える、生成する」といった意味のフュエスタイという動詞から派生した語である。ギリシャでもプラトン以前は、反自然的ではなかったことを反映している。ラテン語ではnaturaである。
- 第2章 古代ギリシャで起こったこと
- 哲学を作ったソクラテス、プラトン、アリストテレスの解説。
- ソクラテスは、従来の知を否定し、従来の政治を否定するということをした人で、思想として積極的なものは無い。
- プラトンは、魂の目でしか見えない「イデア」が真に存在するもので、目の前に見えているものはその似姿に過ぎないとした。ここに西洋哲学が始まった。
- プラトンにおいて、自然は単なる「材料•質料(ギリシャ語でヒュレー、ラテン語ではマーテリア)」になる。「物質的自然観」の始まりである。
- イデア論はおおよそ次のような考え方である。机を例にして考えると、理想形としては idea があり、実際の机は、その実際的な形である「形相 eidos」が材料である「質料 hyle」を用いて実現されている。
- アリストテレスは、プラトンの極端な考えを修正して、ギリシャ伝来の自然的思考と折衷した。
- プラトンのイデア論においては、形相と質料の組み合わせはいろいろありうる。しかし、木でも机に向いているものと柱に向いているものとは別であろう。そのように質料は形相を可能性として含んでいると見て、「可能態 dynamis」の状態にあるとした。可能性が現実化された状態を「現実態 energeia」と呼んだ。木の自然の状態を考えると、種は可能態、巨木は現実態ということになる。このように、すべての存在者を目的論的運動のうちにとらえた。
- アリストテレスは、目的論的運動の最終的目標を「純粋形相」と呼んだ。この意味で、アリストテレスにおいては、イデアは否定されているけれども、超自然的思考形式は受け継がれた。
- 「形而上学」にあたる metaphysica は、もともとギリシャ語では ta meta ta physika で、これは「自然学 ta physica」の後に置かれた講義録という意味であった。アリストテレスの講義録を編纂したとき、「第一哲学」の講義録が「自然学」の後に置かれたことによる。metaphysica は、教父たちが使っていくうちに、「超自然学」という意味になってきて、以後その意味が定着した。日本語の「形而上」は「易経」の「形より上」から取られている。意味の分からない悪い訳語である。
- 第3章 哲学とキリスト教の深い関係
- アウグスティヌス(354-430)はプラトン哲学を基にしてキリスト教の教義を整備した。プラトンのイデアと現実世界という二分法を「神の国」と「地の国」という二分法に置き換えた。529年のオランジュ宗教会議でこれが正統とされ、13世紀まで続いた。
- 一方で529年には、東ローマ帝国でギリシャ哲学の研究が禁止された。このため、研究者はアラビアに逃れ、ギリシャ哲学はイスラム文化のうちに組み込まれることになる。11世紀末の十字軍の運動を機に、アリストテレス哲学がイスラム圏からヨーロッパに伝わることになる。
- トマス•アクィナス(1225/26-74)は、アリストテレス哲学を基盤にしてキリスト教の新しい教義を作った。アリストテレスにおいては、世界観が二分法でななく純粋形相と現実世界の間に連続性がある。そこで、神の国と地の国も不連続ではなく、ひいては教会と世俗権力も不連続ではないということになるので、教会の世俗政治への介入を正当化することになった。以後、ルネサンス期になるまで、これが正統な教義となった。
- その後、キリスト教においては、教会の腐敗への批判に伴って、プラトン主義が復興したりしている。
- ヨーロッパにおいては、自然は、長らく有機体的なものと見られ、質的にしかとらえられないものと考えられていた。ところが、ケプラー(1571-1630)やガリレオ(1564-1642)によって、量的な自然科学の方法が作られてきた。これは、自然という感覚的経験に基づく世界が、感覚とは無関係にわれわれの精神にそなわっている数学的認識によって解明できるということになるので、たいへん不思議なことである。
- デカルト(1596-1650)は、数学的自然科学を以下のように考えることで正当化した。世界の感覚的性質は仮の姿で、精神によって洞察される数量的な関係の方が自然の真の姿である。
- デカルトは、まず方法論的懐疑により、私の精神は疑い無く存在する実体であることを示す。身体は、たまたま精神にくっついているものであると考える。神は人間に理性を与えた。理性は、神の理性の出張所なので、正しく使えば世界を正しくとらえることができる。
- デカルトによれば、「物体」も神が作ったものだが、真に存在しているものは、精神がとらえることができるものであって、感覚がとらえるものではない。物体に関して、感覚的な性質を取り除いた後で残るものは、空間的広がり(延長)だけである。そこで、物体の運動の幾何学的な記述だけが真の自然の記述であるということになる。
- 第4章 近代哲学の展開
- 18世紀のヨーロッパは啓蒙の時代で、人間が神から脱してゆく。
- 大陸では、17世紀から18世紀にかけて、経験よりも理性(生得観念)を重視する「理性主義的形而上学」がいくつも作られた。しかし、これらは独断的だった。
- 一方、イギリスでは、生得観念を否定する経験論が現れた。われわれの観念はすべて経験的だとした。しかし、そうすると、数学や物理学の知識の確実性をも否定することになる。
- カント(1724-1804)は、世界のうちわれわれに見えているのは、われわれの理性に合っている部分だけだと考えた。それを「現象界」と呼ぶ。対象はわれわれの認識に依存する。現象界の構造は人間の理性が決めているのである。このような理性を「超越論的主観性 transzendentale Subjektivitat」と呼ぶ。
- カントによれば、自然は、「直観の形式」(感性)を通して受け入れられ、「思考の形式」(悟性)に従って整理される。直観には、空間と時間という2つの形式があり、思考には3×4の12の枠組がある。因果もその枠組の一つである。[吉田注:ニュートン力学の理解に都合が良いように作られている。]
- カントによれば、幾何学•数論•理論物理学(ニュートン力学)は、理性的認識であり、経験に依存せず、確実である。それ以外に確実な知識は無い。
- 以上は『純粋理性批判』の内容である。道徳の問題は、物自体としての人格に関することなので、理論理性ではなく実践理性の問題である。それは『実践理性批判』で扱われている。有機的自然の問題は『判断力批判』で取り扱われている。
- カントが区別した理論理性と実践理性は、やがてドイツ観念論の中では、実践理性寄りに「精神」としてまとめられる。ヘーゲル(1770-1830)によると、精神と世界とは相互作用しながら発展し、やがて「絶対精神」へと成長する。[吉田注:これだけ読むと、ヘーゲルはカントをオカルト的に改悪したように思える。なぜヘーゲルがドイツ観念論の究極の到達点のように言われるのだろうか?」
- 第5章 「反哲学」の誕生
- ここはニーチェ(1844-1900)の話。ニーチェはプラトン以降の哲学をひっくり返した。
- ニーチェは、ダーウィニストではないが、進化論から大きな影響を受けた。人間の認識も進化をするものだとすれば、絶対的な真理など無いということになる。
- 高校の教科書では、ニーチェは実存主義者になっていたりするが、これは誤りで、むしろ西洋哲学の伝統に乗っている。たとえば、『悲劇の誕生』(1872)の中心的な原理は以下のように伝統的な二元論に沿っている。
哲学者 | A | B |
ライプニッツ | 意欲(アペテイトウス) | 表象(ペルケプテイオ) |
カント | 物自体の世界 物自体の世界で生きる「意志」 | 現象界 現象界を形成する「表象」 |
ショーペンハウアー | 意志としての世界 | 表象としての世界 |
ニーチェ『悲劇の誕生』 | ディオニュソス的なもの 暗くて厭世的 | アポロン的なもの 明るく晴朗 |
ただし、ここでA欄にある「意志、意欲」は、生命が持っている原初的な衝動のようなものである。
- ニーチェの「神は死せり」というのは、超自然的(形而上学的)価値が失われたという意味である。その結果ニヒリズムが時代を覆うようになった。
つまり、ヨーロッパは、イデアのようなありもしない価値に向かって文化形成の努力をしていたが、それが無いことが分かったので心が空しくなった。
- 超自然的な価値を否定すると、価値の源は「生 Leben」であるということになる。
ニーチェは、「生 Leben」の概念を「力への意志 Wille zur Macht」であるとした。これは、より強く大きくなろうとする衝動が
生のダイナミズムの本質であるということである。
- ニーチェによれば、「価値」とは、生が現段階を確保しさらに高揚してゆく条件の目安(Gesichtspunkt)である。
価値は、生のための機能である。
- 生が現段階を確保し安定するためにつける目安(価値)は「真理」であり、それを設定する働きが「認識」である。
「真理」は、転変するカオティックな世界にわれわれの側から押し付けた目安に過ぎない。
- 生が高揚するための価値は「美」であり、それを設定する働きが「芸術」である。芸術は真理よりも価値が高い。
芸術は肉体的であり、肉体は精神よりもとらえやすい。
- 「力への意志」と「永劫回帰」との関係は分かりにくい。ハイデガーによれば、
「力への意志」は存在者が大きくなろうとする衝動であり、「永劫回帰」はその結果存在者は己自身に回帰することになるということだ。
しかし、ハイデガーは、この「永劫回帰」においては、ニーチェは存在を生成ではなくて現前性(ウーシア)と見ているとして、
不徹底だと批判している。
- 第6章 ハイデガーの二十世紀
- ハイデガーの『存在と時間』では現存在(人間存在のこと)の分析がなされているが、『存在と時間』は未完成で、
存在一般の分析をするはずだった。が、うまく書き継げず頓挫した。
- 伝統的存在論では「存在」を「作られたもの」とみなすのだが、ハイデガーは、
「存在」を「成りいでたもの」とみなすように変えることを目指している。
- ハイデガーは、人間よりも存在の方が、存在よりも言葉の方が先だと主張する。
存在は、人間がどうこうできるものではなく、存在から人間の方に現れてくるものであり、人間はそれを受け入れなければならない。