夜と霧の隅で

北杜夫 著
新潮文庫 1592 草131=1
刊行:1963/07/31、刷:1982/11/30(第36刷)
廃棄してあったものを拾った
読了:2014/11/19

今やもう北杜夫の本は本屋の店頭ではあまり見かけなくなった。亡くなって3年で、何となく読みたくなって読んでみた。 本書は、初期の中短編集で「岩尾根にて」「羽蟻のいる丘」「霊媒のいる町」「谿間にて」「夜と霧の隅で」が収録されている。 著者は精神科医であるせいか、全体的なテーマは、不思議な心の働きと言えるように思う。

「岩尾根にて」は、山に登る主人公とそこで遭遇した男が経験する不思議な精神状態の話である。

「羽蟻のいる丘」では、ちょっと子供っぽい感じの女性とその友達らしい男性のちょっとすれちがいながら進行する会話が描かれている。 男女の心のはたらきの違いに関心を抱いて書かれたのであろう。

「霊媒のいる町」は、はじめは霊媒実験の話。主人公は、霊媒を冷ややかに見ており、「こいつあペテンだ」と言って会場を去る。 会場を出た主人公は、開店前のバーで酒を飲む。怪奇現象とか超常現象の話は、一昔前まではテレビなどでも時折あったと思うが、 インターネット時代になると流行らなくなったように思う。察するに、著者は、超常現象は無いと思ってはいたのだろうけど、 精神科医としてもどこかちょっと気になるところがあって、このような小説を書いたのではないだろうか。

「谿間にて」では、ある蝶採集人が台湾で珍しい蝶を採集したときの狂気じみた精神状態が描かれている。 ここにでてくるフトオアゲハは、とあるブログによれば、 台湾の国蝶だそうで、漢字では寛尾鳳蝶と書くのだそうな。日本人で台湾帝国大学教授の 素木得一(しらきとくいち)が 初めて記載したものだとのこと。別のとあるブログによれば、 今ではそこまで珍しくは無いようであるが、採集は禁止されているそうだ。

この小説は、第41回芥川賞の候補だったが受賞を逸している。 選評を見ると、 主人公が蝶採集人の話を聞くという形になっているのが無駄だと批判されている。たしかに、主人公がいなくても 蝶採集人だけで書けそうではある。ただ、私が思うに、著者としては、蝶採集人を誰かと会話させて、そのちょっと異様な様子を描きたかったということだろう。 解説(埴谷雄高著)によれば、著者はこの小説を書いたときには台湾に行ったことが無かったそうで、それでやや迫力不足ということになり、 芥川賞を逸したのかもしれない。

「夜と霧の隅で」はナチスが精神病者を殺してゆく中で苦しむ精神病院の物語である。医者はたいした抵抗はできない。 それでも空しくジタバタするが徒労に終わる。最初は障碍のある子供たちが親衛隊員に連れ去られる場面から始まる。 太った看護尼が「私の子供たち、私が育てた子供たち、私がいないところでどうして…」と嘆くのが印象的である。 そこからが精神病院の話になる。不治と判断された患者が連れ去られるおそれのなかで、医師たちがもがく。 女医のヴァイゼは、患者と長い時間話をするようにした。主人公のケルセンブロックは、危険な治療法や新しい薬を試して 何とか治らないか努力してみたもののかえって患者の症状を悪化させたりしていた。 しかし、いずれにしても結局患者は連れ去られていくのであった。連れ去られるとき、ヴァイゼは「ここに我身をめぐらして日の下に 行わるるもろもろの虐げを視たり、ああ虐げらるる者の涙ながる、これを慰むる者あらざるなり、また虐ぐる者の手には権力(ちから)あり、 彼等はこれを慰むる者あらざるなり」とつぶやいている。これは旧約聖書の「コヘレトの言葉(伝道の書)」の 4:1 の文句である。 これも印象的である。不治と判定された患者が皆連れ去られたとき、ケルセンブロックは専門の脳細胞の研究に静かに帰ってゆく。 もうひとりの主人公として高島という日本人が出てくる。精神分裂病が悪化してきていたが、ケルセンブロックの実験的な治療が どういうわけか効いて症状が良くなる。しかし、退院を目前にして自ら首を吊って死ぬ。 妻がユダヤ人で、高島の入院中に自殺していたことがひとつの原因であったことが暗示されてはいるが、本当のところはよくわからない。 統合失調症が自殺につながることもあるらしいので、そうなのかもしれない。

脳神経の病気のうちで、原因が分かるものは神経内科が扱い、良く分かっていないものは精神科が扱うのだと聞いたことがある。 最近は効く薬がだいぶんあるようだが、それでも精神病は難しい。まして、戦時中はあまり有効な治療法がなかったのであろう。 そうすると、不治と言われるとなかなか抵抗ができない。 それでケルセンブロックたちはジタバタするものの、結果は空しい。空しいとは分かっていてもジタバタする。 そこに著者は人間性を見出したのであろう。この小説「夜と霧の隅で」は第43回芥川賞を受賞している。 選評によれば、 ほぼ満場一致で決まったようだ。