17歳のための世界と日本の見方 セイゴオ先生の人間文化講義

松岡正剛 著
春秋社
刊行:2006/12/25、刷:2013/02/25(第31刷)
福岡天神のジュンク堂書店福岡店で購入
読了:2014/01/05
著者が帝塚山大学で行った講義をまとめたもの。書評家としても知られていて広範な知識を持った著者が、 人間の文化とは何か、日本の文化とは何かといったことを大学生相手に講義している。 17世紀までのヨーロッパと日本の文化史がまとめられている。 キーワードは、「情報」とか「編集」とかいうことで、いわば人間が扱うソフト的な部分である。 こういう広い知識を持った人が話をすると、いろいろな文化の間のつながりが良くわかってたいへん面白い。

以下、サマリーである。

第一講「人間と文化の大事な関係」は導入部である。著者が文化を考えるようになる契機となるような経験をいくつか散りばめておいてから、 そもそも人間とはいかなる生物かというところから語り始める。 やはり人間を考えるには、人間とはいかなる生物かという生物学的あるいは地学的な知識が必要だということは、もはや文理の別を問わず常識ということであろう。 本書では、生命は情報であるとし、ヒトの特徴として以下のような点を挙げてある。

ただ、この最後の点には私はあまり賛成できない。動物的なのは悪くて、人間的なのは良いという偏見が反映されているように見える。 同じ種の間で大規模な殺し合いをするのは他の動物ではあまり見られないし、騙すというのはそこそこ脳が発達していないとできないことである。

第二講「物語のしくみ・宗教のしくみ」は、主に古典思想の紹介である。概要は以下の通り。

人間は情報を保存するのに、最初は文様を用いていたが、やがてそれでは足りなくなって 自然に口承物語を使うようになる。

物語には基本的なパターンがあるということを、Joseph Campbell というアメリカの神話学者がとくに英雄伝説に関して突き止めた。 英雄伝説は、旅立ち(separation)→通過儀礼(initiation)→助言者との出会い →「隠れた父」との出会い→闘いの勝利→帰還(return)、という構造をしている。

紀元前6世紀から5世紀にかけて、世界中で宗教や哲学が「編集」された。宗教では、ゾロアスター教、ユダヤ教、仏教が出てきた。 哲学では、中国の老子・孔子・荘子、ギリシャのピタゴラス・ヘラクレイトスがこの時代の人々である。 以下、そういった思想をざっと順にみてゆく。

第三講「キリスト教の神の謎」は、ヨーロッパの中世を支えたキリスト教の歩みの紹介。概要は以下の通り。

イエス・キリストは、ユダヤ人でありユダヤ教徒だった。 紀元前2世紀頃からユダヤ教は、エッセネ派、サドカイ派、パリサイ派に分裂する。 エッセネ派は禁欲的で宗教活動だけを重んじる。サドカイ派は富裕層、 パリサイ派は中間層を中心とした一派だった。イエスはエッセネ派に属していたようだ。 エッセネ派には救世主信仰が見られる。イエスは、おそらく宗派のリーダーだったのだが、 すぐに殺されてしまう。そこにパウロが登場する。パウロは、はじめパリサイ派に 属していたものの、イエス信仰に「回心」する。 そこで、キリスト教を作ってゆく。ユダヤ教は律法重視だったのに対し、 キリスト教ではイエス信仰を中心にする。イエスの死を贖罪ということにして、 復活伝説をつなげる。パウロは精力的に異教徒に対してイエス信仰を広める。

その後のキリスト教の思想の深化で重要なことは以下の通り。

第四講「日本について考えてみよう」では、日本文化の起こりを考える。概要は以下の通り。

日本文化の特色は、素材としてのコードを外国から取り入れて、様式としてのモードを生み出すことにある。 たとえば、たらこスパゲッティや照り焼きバーガーがそういうものである。以下、時代を追って考える。

第五講「ヨーロッパと日本をつなげる」では、さらにその後の世界と日本の文化史である。 概要は以下の通り。

ヨーロッパの方は、ルネサンスとバロックを中心に紹介する。

日本の方は、ルネサンスやバロックの時期は、室町時代から江戸時代初頭に対応する。
気になった細かい点をいくつか:
p.38 4-10 行目あたり
生命の元となる高分子が宇宙から来たということが定説であるとしてある。が、これはまだ定説じゃないと思う。 そういう考えの科学者も多いことは確かだが、著者は何を基にして定説だと書いたのだろうか?
p.49
発情期を adolescence というと書いてある。でも、ふつう adolescence は「青年期」「思春期」などと訳し、発情期は estrus。