アンネの日記

小川洋子 著
NHK 100分de名著 2014 年 8 月、NHK 出版 [電子書籍]
刊行:2014/08/01(発売:2014/07/25)
電子書籍書店 honto で購入
読了:2014/09/13
言わずと知れた「アンネの日記」ではあるが、私はちゃんと読んだことが無い。この「100分de名著」で読んだふりをしようというわけである。 昔教科書の一部で扱われていたこと以上のことは知らず、それさえほとんど忘れているのだから、この「100分de名著」で、そうだったのか知らなかった、ということが最初から出てきた。たとえば、 など。全体としても、思春期の只中に入る女の子が書いた瑞々しい青春文学、というのが著者小川氏の視点であった。

ところで、小川氏が青春文学という視点を取ったのは、政治的に難しい問題を避けるためだったかもしれない。 やはりユダヤ問題というのは難しいということを藤永茂氏のブログで最近知った。


テキストと放送のサマリー

第1回 潜伏生活の始まり

「アンネの日記」は、思春期の女の子の心情が率直に描かれている名著である。著者小川が文章を書き始めるきっかけになったものは、この「アンネの日記」であった。
小川談「思春期の只中にある人が書いた文学というのはなかなか他に無い。」

アンネの父親は、ドイツで銀行業を営む裕福な一族の出だった。母親も裕福な家で育った。 1933-34 年、ユダヤ人であった一家は、ナチスのドイツを逃れて、アムステルダムに移住した。 しかし、1940 年、オランダもナチスに占領された。 アンネは 1942 年の 13歳の誕生日の時に父親から日記帳をプレゼントしてもらい、日記を書き始める。 同年、姉マルゴーへの出頭命令を機に、一家は隠れ家に移る。 2年後、一家がゲシュタポに連行されたところで日記が途切れる。 支援者の女性のミープ・ヒースがその日記を回収して保管した。戦後、日記は生き残った父親のオットーに手渡され、最初はオランダ語で出版された。1991年には、父親がカットした部分も含めた完全版が出版された。

アンネは、日記帳にキティーという名前を付けて、それに語りかけるというスタイルを取った。 そのことによって、日記に文学性が出てきた。感情にひとりよがりではない言葉を与えることができた。

第2回 思春期の揺れる心

小川談「アンネは、皮肉屋でうぬぼれ屋で、おしゃべりでおしゃまな女の子。日記に友達の寸評を書いているのが率直で面白い。アンネは空想家だった、とアンネの友達から聞いた。」

「アンネの日記」にはユーモアがある。

じっさい、ファン・ダーンのおばさんというのは、すばらしいひとです!模範的なお手本を示してくれます…見習うべきです、反面教師として。(1943年 7 月 29 日)

伊集院「ネタにすることで救われる、ということだと思う。」
小川「本当にそうですね。書いて、笑いで流す。」

一家が何とか生活を送ることができた背景には、父親の会社の従業員たちが献身的に支援をしていたことがある。

母と娘の葛藤が書かれている。アンネには母親の欠点が許せない。時が経って少しずつ関係が緩和されるところで日記が終わっている。一方で、アンネは父親を深く信頼していた。

外の世界に出ていけない中で、アンネの筆は自分の内面に降りて行く。

第3回 性の芽生えと初恋

アンネの日記には、三つのバージョンがある。原型(A)、アンネ自身が編集したもの(B)、父オットーが編集したもの(C)の三つである。父オットーの死後、1991年に「完全版」(A+B)が出版される。「完全版」やその後に出た「増補新訂版」には性に対する率直な気持ちが書かれている。

同居していたペーターへの恋心がだんだん芽生える。ペーターは、嫌味なく飼っていた猫の生殖器について語ってくれた。それを機に、二人の心は急接近。初々しいやりとりが描かれている。 そして、1944 年 4 月 16 日の日記には、ペーターと初めてキスをしたと書かれている。 恋に伴う激情も素直に描かれている。

一方で、母親から独立して大人になってゆく心の動きも描かれる。1944 年 4 月 11 日の日記には「わたしがわたしとして生きることを許してほしい」と書かれている。 しかし、母親への反抗心が完全に乗り越えられる前に日記は終わってしまう。

第4回 希望を抱きながら

1944 年 6 月にノルマンディー上陸作戦が始まり、戦争が終わる希望が見えてくる。 しかし、日記は 8 月 1 日に終わる。8 月 4 日には、密告により隠れ家が見つかり、アンネたち隠れていた8人は連行される。 支援者だったミープ・ヒースが日記を回収した。

隠れ家の8人のユダヤ人は収容所に送られ、そのうち7人が命を落とす。アンネは、ベルゲン・ベルゼン収容所でチフスで亡くなる。たった15年の生涯だった。 父のオットーだけが生き残り、やがて「アンネの日記」を出版することになる。

アンネの日記によって死者たちの声に耳を傾けられるようになった。「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!」(1944 年 4 月 5 日)

アンネは隠れ家の中で日記に語りかけることで心を癒していたのだろう。 言葉を使うことで、人は自己の内面に降りてゆくことができる。