ファーブル昆虫記

奥本大三郎 著
NHK 100分de名著 2014 年 7 月、NHK 出版 [電子書籍]
刊行:2014/07/01(発売:2014/06/25)
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読了:2014/07/23
『ファーブル昆虫記』は、子どもの時に子供向けバージョンを読んで以来遠ざかっていた。 なんとなく憶えているのはフンコロガシの話くらいだった。 今回の「100分de名著」でそんな話だったのかと再認識した。

テキスト+放送のサマリー

第1回 命には必ず役割がある

ファーブルの生い立ち
ファーブルは南フランスのサン・レオンで貧しい家に生まれる。
3歳から6歳までマラヴァルの祖父母のもとで過ごした。家畜に囲まれた生活であった。
ファーブルは幼い頃から利発だった。祖母が彼の好奇心を暖かく見守ってくれた。
大人になって教師になり、物理や化学を教えていた。
『ファーブル昆虫記』基本情報
原題 Souvenirs Entomologiques「昆虫学的回想録」
1879 年に第1巻を出版、30 年かけて全10巻を書き上げる
スカラベ・サクレ(フンコロガシ)の研究
必死で障害物を越えて進むフンコロガシの様子が描かれている。
スカラベ・サクレはコガネムシのなかま。
「スカラベ・サクレ」は、「神聖な甲虫」という意味。古代エジプトでは太陽を転がす神の化身とされていた。
『昆虫記』における実験
『昆虫記』の面白さは実験と工夫。たとえば、糞をピン留めして動かないようにする。そうすると、虫は糞を2つに分ける。
スカラベの卵
スカラベを飼育して、卵がどこにあるのか探した。なかなか見つからなかったが、ある日、 助手の若者が尖ったところのある梨型の糞玉を見つけて持ってきた。それを割ってみると、尖ったところに卵があった。 そこでその玉があった場所に行って、巣を掘り返した。すると、その梨球が見つかった。幼虫はこの糞球を食べて成長する。 卵が尖ったところにあるのは、呼吸ができるようにするためである。材料も上質のヒツジの糞である。

第2回 昆虫観察を天職と知る

ファーブルの青年時代
9歳のときロデーズの街に移り住み、両親はカフェを開く。ファーブルは王立学院で学ぶ。
ところが、親のカフェの経営がうまくいかず、各地を転々とした挙句、14歳のとき一家離散。 ファーブルは、肉体労働をしながら、その日暮らしをしていた。 そんななかでも、昆虫への愛は失われなかった。とくに、マツノヒゲコガネの姿を印象的に憶えている。
成績が優秀だったので、15歳で師範学校に行く奨学金を受けられるようになり、18歳で教師になる。
あるとき、一月分の給料をはたいて「節足動物誌」を買い、貪り読む。そこで、昆虫の生活史を書こうと思い始める。
25歳のとき、コルシカ島の高校に赴任。そこで博物学者モカン•タンドンと会い、互いの才能を認め合うようになる。
29歳になると、アヴィニオンの高校で物理教師になる。そこで、レオン•デュフールによる狩りバチの生態の論文に出会って感動する。 それは、狩りバチの行動の研究だった。 従来の虫の論文が標本を扱っているものが主だったのに対し、これは生きた虫を研究する論文だった。
狩りバチの研究
デュフォールの論文では、カリバチの獲物が腐らないのは、未知の防腐剤の注射するせいではないかと書かれていた。 ファーブルはこれに疑問を持った。
ファーブルは、獲物が実は生きていることに気がついた。獲物は、排便したり、電気刺激に反応したりする。 ファーブルは、狩りバチが獲物を巣に持ち帰っている最中に、獲物を生きて動いているものと交換してみた。 すると、狩りバチは獲物に針を刺した。刺した場所を調べてみると、狩りバチは獲物の神経節が集まっているところを傷付けて、 獲物を麻痺させていることを発見した。

第3回 本能の謎を解き明かす

狩りバチの幼虫が獲物を食べるやり方の研究
狩りバチは、獲物に卵を産み付ける。獲物は幼虫のエサになる。
幼虫は、獲物の命にかかわらない重要でない部分から食べていって、最後に神経や呼吸器官を食べる。
この素晴らしい本能にファーブルは注目した。獲物が腐らないような順番で食べて行っている。
そこで、ファーブルは以下のような実験をしてみた。(1) 幼虫を腹側から背側に移すと、幼虫は獲物を食べられなかった。 (2)獲物を麻痺させずに単に固定しただけにしておいて、そこに幼虫を置いたら、獲物の筋肉が収縮して幼虫が混乱し、やみくもに食べるだけになり、獲物が腐った。
つまり、本能は素晴らしく巧妙であるものの、柔軟性が無く、決して状況判断をしているわけではない。
こうした緻密な本能を目にしていたので、ファーブルは進化論を信じることはできなかった。
ガの性行動の研究
オオクジャクヤママユという蛾のメスがオスを引き寄せることを発見した。
これがなぜかをいろいろ実験してみた。(1) 触角を取ったオスはやってこない。 (2) メスを密閉するとオスはやって来ない。
ファーブルは、メスが「知らせの発散物」を発していると推測した。今で言うフェロモンを予言したことになる。
ファーブルの生活の困窮
ファーブルの生活は苦しかった。
そこで、発明で稼ごうと思い、茜から赤い染料を取り出す方法を発明した。 その特許で収入が入り始めた矢先に、ちょうどドイツで人工染料が開発されて、ファーブルの方法の意味がなくなった。
その上、成人学級の女性がいる授業で植物の性のこと(おしべとめしべの話)を教えたということで、 カトリックから非難され、教師の辞めた。
そこで、たくさんの本を書くことで、生活を支えた。

第4回 昆虫から学んだ生と死

ファーブルの老年
ファーブルの生活は 50 歳を過ぎて安定する。
1877 年、最愛の息子ジュールが 16 歳で死ぬ。『昆虫記』第二巻は、ジュールに捧げられている。
1879 年、セリニャン・デュ・コンタの村はずれの庭付きの館に引っ越す。 そこで、思う存分昆虫の研究ができるようになる。 ファーブルは、その地を「アルマス(荒地)」と名付けた。 同じ年、55 歳の時、『昆虫記』の第1巻を刊行する。
その後、晩年までこの地で過ごし、『昆虫記』全 10 巻を書き上げる。
61 歳の時に妻マリーが亡くなり、63 歳でジョゼフィーヌと再婚。
1915 年、91 歳で死ぬ。その墓石には「死は終わりではない。より高貴な生への入り口である。」と書かれている。
サソリの研究
サソリは、クモはすぐに攻撃して殺す。ムカデと一緒にすると、互いに逃げ惑う。バッタと一緒にすると、互いに無関心。
サソリは、周囲を火で囲まれると自殺すると言われていたが、実際に実験してみると単に気絶するだけで、取り出すとまた動き出した。
[『昆虫記』からの引用] 人間以外では、いかなる生き物も自分で命を絶つという最後の手段を知ってはいない。(中略)死についてはっきり思い描くことができるのは人間だけであり、死後について素晴らしい本能的直観をもつことができるのも人間だけである。
ツチハンミョウの過酷な運命の研究
ツチハンミョウは 4000 個を超える多くの卵を産む。孵化した幼虫はそのへんにいる虫に取りつく。 そのうち、運よくハナバチに取りついたものだけが生き残る。ハナバチの巣では、ハナバチの卵を食べて成長する。
[『昆虫記』からの引用] これらの生き物は、かわるがわる盗る者、盗られる者となり、食う者、食われる者となる。 それは種の保存のために自然が課す、宿命的で情け容赦のない闘いなのである。
『昆虫記』の和訳
日本初の和訳は大杉栄による。第1巻を訳したが、関東大震災の混乱の中で憲兵隊によって殺害される。
人々に普及したのは 1930-52 年に出た岩波文庫版全 20 分冊。フランス文学者の山田吉彦と思想家の林達夫の共訳であった。