万葉集

佐々木幸綱 著
NHK 100分de名著 2014 年 4 月、NHK 出版 [電子書籍]
刊行:2014/04/01(発売:2014/03/25)
電子書籍書店 honto で購入
読了:2014/04/30
「万葉集」は、高校の教科書に出てくる程度の事しか知らなかったのだが、あらため紹介されてみると、和歌の形成期における 非常に多彩な試みがあることが分かって面白い。こうして読んでみると、高校までの教科書では、長歌があまり扱われないのも問題かなと思う。 長歌の綿々と積み重ねられていく感じが私は好きなのだけど。

この時代には、長歌も短歌も五七・五七…と「五七」が一組の歌が多いそうである(実際紹介されているものを見るとそうである;p.46)。 そういう歌を読んでいていつも疑問なのは、当時はどういうリズムで読んで(あるいは歌って)いたのかということである。 今、短歌を読むときは、ふつう四拍子に乗せて○○○○|○×××|○○○○|○○○×|という感じで読んでいくから、 五と次の七の間に間が開く。そこで、「七五」を一組で読みたくなる。だから、「五七」を一組で読むのは普通の四拍子では具合が悪い。 とすれば、どう読めばよいのだろうか?


テキスト+放送のサマリー

「万葉集」が実質的に作られたのは、舒明天皇の時代(629 年即位)から 759 年までの 130 年間。 「万葉集」は9世紀ごろ成立する。「万葉集」は、時期によって大きく4期に分かれる。1回に1期を取り上げてゆく。

第1回 言霊の宿る歌

今日は第1期:舒明天皇の即位から壬申の乱で大海人皇子が勝利するまで。

万葉集の時代には、宮廷の宴席で歌が大きな役割を担っていた。そこで、宴席の歌が多い。 万葉集の歌の主なジャンルは、雑歌(宮廷行事など公的な場における歌)、相聞歌(恋の歌)、挽歌(死を悼む歌)の3つである。

取り上げられている歌より

(1) 最初の歌
籠(こ)もよ み籠(こ)持ち ふくしもよ みぶくし持ち  この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(なの)らさね  そらみつ やまとの国は おしなべて 吾(われ)こそをれ しきなべて 吾(われ)こそませ  我こそは 告(の)らめ 家をも名をも
雄略天皇が女の子に、俺は偉いんだぜ、と言っている歌。とはいえ、実際に雄略天皇が作った歌だとは考えられていない。 農耕に先立って歌われた伝承歌だろう。
(2) 長意吉麻呂(ながのおきまろ)が宴席で即興で作ったユーモアたっぷりの歌
蓮葉(はちすば)はかくこそあるもの意吉麻呂(おきまろ)が家なるものは芋(うも)の葉にあらし
[意味] この宴席にいる美女たちは蓮の葉のように美しい。蓮の葉とはこのようなものだったのか。 自分(意吉麻呂)の家にいるのは芋の葉であるらしい。
(3) 舒明天皇の国見の歌
大和には群山あれどとりよろふ天の香具山登り立ち国見をすれば国原は煙立ち立つ海原はかまめ立ち立つうまし国そあきづ島大和の国は
国が豊かになることを祈る歌。しかし、良く考えると、奈良県からは海は見えないはず。
(4) 額田王が、朝鮮出兵を送り出すために作った歌
熟田津(にきたづ)に船(ふな)乗りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今はこぎ出(い)でな
当時は斉明天皇という女帝の時代。気魄のこもった言葉である。事実を歌っているわけではなく、そうあってほしいことを歌っている。
(5) 政争の中で非業の死を遂げた有馬皇子の歌
磐代(いはしろ)の浜松が枝(え)を引き結びまさきくあらばまたかへり見む
[意味] 岩代の浜松の枝を引き結んでゆく。幸いもし無事だったら、また帰ってきてこれを見よう。

第2回 プロフェッショナルの登場

今日は第2期:壬申の乱から平城遷都まで。壬申の乱で勝利した大海人皇子は天武天皇として即位する。そして、律令制度が整ってくる。

宮廷では、歌の専門家が現れる。その代表が柿本人麻呂。しかし、人物像はよくわからない。 天皇を賛美する歌を詠んだり、恋の歌を詠んだり、多彩で華麗である。

中央集権制度が整ってくると、旅の歌が増えてくる。地方と中央のやり取りが必要だからだ。当時の旅は危険が多かったので、 安全を祈るような意味もあった。

取り上げられている歌より

(1) 天皇の権威を賛美する歌3首
大君は神にしませば赤駒のはらばふ田居を京師(みやこ)となしつ [大君は神であられるので、赤毛の馬が腹までつかるような田を造成して都を造り上げられた]
大君は神にしませば水鳥の多集(すだ)く水沼(みぬま)を皇都(みやこ)となしつ [大君は神であられるので、水鳥がたくさん集まる湿地を造成して都を造り上げられた]
大君は神にしませば天雲の雷(いかづち)の上にいほりせるかも [大君は神であられるので、雷の上に庵していらっしゃる]
壬申の乱の後で、天皇の権威が増したことを示している。最後のは柿本人麻呂による歌で、天皇が雷丘という小さな丘に登ったことを、 天空の上にあらせられるという大きなスケールの話に変えて天皇賛美している。
(2)柿本人麻呂による天皇賛美の歌「吉野讃歌」
やすみしし わが大君 神ながら 神さびせすと 芳野川 たぎつ河内に 高殿を 高しりまして のぼり立ち 国見を為(な)せば  たたなはる 青垣山 山祇(やまつみ)の 奉(まつ)る御調(みつき)と 春べは 花かざし持ち 秋立てば もみちかざりせり ゆき副(そ)ふ 川の神も 大御食(おほみけ)に 仕へまつると 上(かみ)つ瀬に 鵜川を立ち 下(しも)つ瀬に 小網(さで)さし渡す  山川も 依りて奉(まつ)れる 神の御代かも
柿本人麻呂の宮廷歌人としての面目躍如たる歌である。
最初の「やすみしし」は枕詞。これは、「八つの隅を知っている」→「何でも知っている」、という意味で「吾大君」にかかる。
そのへんの神様(山祇、川の神)も天皇に仕えているというような言い方で天皇を持ち上げている。
春と秋、山と川、上つ瀬と下つ瀬など、対句も巧みに用いられている。
(3)柿本人麻呂の「石見相聞歌」より
ささの葉はみ山もさやに乱(さや)げども吾は妹(いも)おもふ別れ来ぬれば
[意味] 笹の葉は山全体にさやさやとそよいでいるけれども、私は一心に妻を思っている。別れてきてしまったので。
妻への愛を歌っているが、おそらくフィクションであろう。女官たちのリクエストに応えて物語を創作したのかもしれない。
(4) 柿本人麻呂の旅の歌
淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐吹きかへす
[意味] 淡路島の野島崎の浜を吹く風に、家を出るとき妻が結んでくれた服の紐がひるがえる。
地名を詠み込むのは、そうすれば土地の神が守ってくれると思われていたから。
故郷の妻や家を歌うことで、そのつながりが安全を保証してくれると思われていた。

第3回 個性の開花

今日は第3期:平城遷都から山上憶良の死までの約20年間。国家体制が整ってきた時代。

この時代には、多様な歌人が出てきた。

取り上げられている歌より

(1) 赤人:行幸の時の歌
み吉野の象山(きさやま)の際(ま)の木末(こぬれ)にはここだも騒く鳥の声かも
赤人の行幸の歌は天皇賛美ではない。自然の美だけを歌っている。これは、宮廷での公式行事の歌が、和歌から漢詩に変わってきたことを反映している。和歌がだんだん私的なものになってきたのに伴って、芸術性が高くなってきた。
(2) 赤人:有名な富士山の歌
田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽(ふじ)の高嶺に雪は降りける
田兒之浦従 打出而見者 真白衣 不盡能高嶺尓 雪波零家留 [出典:河童老「万葉集を訓む」]
馬に乗って海沿いを来てパッと視界が開けたときの歌。
青空のことは書かれていないけれども、鮮やかな雪の白から青空を連想させるところが味わい深い。
(3) 旅人:無常の悲しさ
世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり
太宰府で詠った歌。太宰府に赴任して間もなく妻と義理の兄弟を亡くす。その無常感を歌った。
これを含んで十三首の亡妻挽歌が収録されている。
(4) 憶良:旅人になり代わって妻の死を詠んだ歌
悔しくもかく知らませばあをによし国内(くぬち)ことごと見せましものを
[意味] こうと知っていればいろいろな所に連れて行ったのに。
(5) 虫麻呂:浦島伝説を基にして。
常世(とこよ)べに住むべきものを剣刀(つるぎたち)己(な)が心から鈍(おそ)やこの君
[意味] ずっと常世の国に住めたのに、浦島太郎は馬鹿だなあ。「つるぎたち」は「な」にかかる枕詞。
動物報恩譚は中世にできたもので、この時代の浦島伝説は亀が出てこない。魚が釣れるので沖へずんずん進んでいった浦島が 海神の娘と結婚する。開けないでと言われて玉手箱を託された浦島が、故郷で玉手箱を開けてしまうと、お爺さんになって死ぬ。

第4回 独りを見つめる

今日は第4期:山上憶良の死から 759 年まで。律令制度が行き詰まりつつある時代である。

この時代を代表するのが大伴家持。家持は、旅人の子。名門ではあったが、ちょうど大伴氏が没落しつつある時代の人である。富山に赴任してから、自分を見つめる歌を歌うようになる。万葉集の編纂にも関わっている。万葉集に 470 首も収録されている。本格的な芸術家で、鬱々とした気分をも歌にしている。

万葉集の特徴のひとつに東歌と防人歌が収録されていることがある。

取り上げられている歌より

(1) 家持の歌
春まけて物がなしきにさ夜ふけて羽ぶき鳴く鴫誰が田にか住む
春の野に霞たなびきうらがなしこの夕かげにうぐひす鳴くも
うらうらに照れる春日(はるひ)に雲雀(ひばり)あがり情(こころ)悲しも独しおもへば
万葉集に感傷的で繊細な歌が出てきた。その代表が大伴家持。孤独感を歌った。
(2) 東歌
多麻川にさらす手作りさらさらに何(なに)ぞこの児(こ)のここだ愛(かな)しき
[意味] さらにさらになんでこの子がこんなにかわいいのだろう。
東歌を代表する歌。素朴な恋心が歌われている。
「多麻川にさらす手作り」は「さらさら」を導く序詞。当時多摩川は布の産地だった。
(3) 防人の歌
唐衣裾に取りつき泣く子等を置きてぞ来のや母(おも)なしにして
置いてゆく子供を心配する歌。
(4) 家持による万葉集最後の歌
新(あらた)しき年の始めの初春の今日ふる雪のいや重(し)け吉事(よごと)
最後は縁起の良い春の歌で終わる。雪が降ると害虫が減ったりするので、雪は縁起が良いものとされた。
「新し」はもともと「あらたし」と読む。「あらたし」は「改む」に通じる。「あたらし」は平安朝時代に出てきた読み。
万葉集は春の歌で始まり春の歌で終わる。縁起の良い歌で始まって、縁起の良い歌で終わる。