人はなぜ御用学者になるのか

島村英紀 著
花伝社
刊行:2013/07/25、刷:2013/07/25(第1刷)
福岡天神のジュンク堂書店福岡店で購入
読了:2014/06/08
題名と帯(科学者はなぜ簡単に国策になびいてしまうのか?)を読むと、いわゆる御用学者の分析をしてあるのかと思うのだが、 実はそうではない。基本的に言えば、著者の社会に対する悪口エッセイ集みたいなものである。 本来御用学者批判をするなら、それが発生する社会システムを分析するか、あるいは御用学者の個別批判をしないといけないのだが、 そのどちらも不十分で、題名や帯の通りだと思うと不充足感が残る。 しかし、悪口エッセイ集だと思えば、それほど腹も立たない。

その意味では、やはり個人的経験もたくさん交えて書いてある第5章「科学者の孤独」が一番面白い。 前半では、著者が経験したアメリカやカナダの汚いことをする科学者たちのことが書いてある。 アメリカなどでは、競争が激しいので、少し汚いことをしても業績を上げようとする科学者が少なからずいるようである。 著者もカナダの B 氏に地震計の設計図を盗まれたそうな。ところで、B 氏が誰かは、 今の Marine Geophysical Research という雑誌(Springer が出版している)が、以前は Marine Geophysical Researches で、 D.Reidel / Kluwer (オランダの会社)から出版されていたことに気付くとわかる。 後半では、南極における観測がいかに大変かを著者ならびにその周辺の人々の苦労話を交えて書かれている。

で、そのほかの章はといえば、社会体制批判にしては突っ込み不足だし、粗雑さも目立つ。 特に1章に関しては、かなり問題があると言わざるを得ない。気象庁の方にも少し事情を聞いて、 著者の側に問題がある点が多いことを確認した。ここは、特に下に別に細かく指摘しておく。

2章の「地震と原発」では、要するに、日本ではいつどこで地震が起こるか分からないのだから、 原発で想定している地震動が小さすぎるという批判である。これはその通りなのだと思うが、 ではどうすれば良いと著者が考えているのかが明確には述べられてはいないのがもどかしい感じがするところである。 おそらく、想定加速度を 4000 gal にせよということなのだろうと思うが、明確ではない。 それは著者の専門外だから明確に言わないということなのかもしれないが、専門外のところにどう口を出すかが 科学と社会の関係を考える上では難しい問題だと私は思っている。 地震学者や地震学会が原子力ムラに組み込まれているという言い方をするのは簡単だが、 では実際どう組み込まれたことになるのかはそう簡単ではない。この点も以下に別に関係しそうな事柄を書いておく。

3章の「科学と政治の舞台裏」では、前半は公害問題で、これは今やすでにいろいろな問題が明らかなになっているところである。 4節に地球温暖化問題が取り上げてあって、IPCC の政治性を非難しているのだが、IPCC に政治的な部分があるのはやむを得ないとしても、 だから科学的でないというのは、私は問題があると思う。IPCC の科学的な報告は、いろいろ異論はあるにせよ、 私にはだいたいその分野の科学者の平均的な考え方を示しているように見える。 私自身としては、異論の中にはけっこう好きなものもあるのだが、とはいっても IPCC 報告の内容は重要だと思っている。 政治的な問題は、科学報告の方ではなくて、むしろ温暖化することの是非の判断とその対策の方にあると思う。

4章「巨大科学と社会の危うい関係」は、全体としてのまとまりは無くて、巨大科学や技術の問題点みたいなものである。 それぞれの部分が短かすぎて、やや表面的に思える。新聞のコラム程度ならこれで良いのだろうが、 本なのだから、論じるならもっと詳しく論じてほしいと思う。

6章「警告はなぜ生かされなかったのか」は、主として今村明恒の話である。概要は地震学者なら誰でも知っている話だが、 細かいところでは勉強になる部分もあった。


以下、1章「地震と科学者」の問題点を指摘しておく。

東北地方太平洋沖地震に絡めて気象庁に対していろいろ文句を言っているのだが、 気象庁に対して不公平な物言いだと思う部分も多い。

津波の予測のしかたについては、気象庁の警報がオオカミ少年になっていて、海底津波計を設置すべきだと書いてある (p.45)。 しかし、そんな対策であれば、関係している専門家や気象庁の人なら、著者に言われなくても前から分かっていたと思う。 海底津波計を設置すればよいことはわかっていても、コストの面からそんなに大きく展開できなかったというだけの話なのではないだろうか。 実際、沖合に津波計を設置している機関もすでにいくつかあったし、 気象庁も国土交通省港湾局の GPS 波浪計に基づいて津波の高さの予測を15時14分に変更しているので、 必要だという認識は前からあって、データを受け取るシステムを予め作ってあったのであろう。 東北地方太平洋沖地震後には、 防災科学技術研究所が中心となって 東北日本沖に大規模な海底津波計を展開しようとしているようだ。 お金が付けば、著者に言われなくてもそのようになるということである。 ただ、これも本当はしばらく大津波が起きそうもない東北地方ではなく西南日本から設置した方が良いのではないかと思うが、 東北復興予算で付いているから東北日本になってしまったのだろうと想像される(私は事情を知らないので単に推測しているだけだが)。 これほどお金をかけないで、津波予測を改善する方法があれば良いのだが、それを著者は提案しているわけではない。

もう少し細かい点でいけば、現在の津波の予測にはS波の情報を全く使わないように書いてある (p.45) が、 これは正確にいえば誤りであろう。気象庁は、マグニチュードの速報値を予測に使っているはずで、 そのマグニチュードは変位の最大振幅からきめているから、S波の情報が入っているはずである。 著者に好意的に解釈すれば、地震の(専門用語の意味での)メカニズムが使われていないと言いたいのだろうが、 地震波が来てから2分半で決めるという現在の制約条件下では無理であろう(時間をかけて良ければ可能である)。

以上のように、気象庁もいろいろな制約の中で予測を出しているのだから、一方的に批判するのは問題がある。

マグニチュードの話も出ている。 東北地方太平洋沖地震に関しては、気象庁がモーメント・マグニチュードを初めて発表したとして問題にしている (p.31)。 しかし、これも正確さを欠いている。マグニチュードの確定値としてモーメント・マグニチュードを採用したのは、 これが現在まで唯一の例だが、モーメント・マグニチュードの値自体は、それ以前から計算して公表されている。 実は、私自身は、東北地方太平洋沖地震だけを例外扱いにはせずに、従来通りの気象庁マグニチュードを確定値にしては どうだったかとも思っているのだが、しかし、それを「「想定外」に持っていこうという企み」(p.25) というのはいくらなんでも穿ちすぎだろう。 というのも、仮に気象庁マグニチュード(暫定値)の 8.4 を気象庁の確定値にしたとしても、 モーメント・マグニチュードが 9 程度であったこと自体は事実であるからだ。 確定値をどちらに選ぼうが、それぞれの値が変わるわけではないし、この地震の前にはモーメント・マグニチュードが 9 程度の地震が近い将来このあたりで起こることが想定されてはいなかったと言う意味では「想定外」であったことは確かだからだ。 貞観地震のような地震が起こることが想定されかけていたとはいえ、それでも M9 クラスかどうかはわかってはいなかった ( M8.4 の想定はあった)。とはいえ、無論、だからといって、福島第一原発のような事故が免罪されるわけではない。 M9 クラスでなくてもあの程度の津波が来る可能性は想定されていて良かった(以下の2章に関する項参照)。 何が「想定外」で何が「想定内」だったのかははっきり区別されなければならない。

モーメント・マグニチュードに関しては p.25 の図で、14時59分にすでに気象庁が 9.1 という値を求めていたとしているのも問題がある。 実際は、気象庁の国内の広帯域地震計は振り切れていて、9.1 という数字には意味がなかったようである。 気象庁がモーメント・マグニチュードを求めたのは、国外の地震計のデータを使って15時40分に 8.8 という数字を出したのが最初で、 その後さらに検討を進めて 9.0 に修正したそうである。

6節の緊急地震速報を批判している部分も、気象庁がかわいそうである。 本当に揺れが激しい場所には間に合わないという批判なのだが、そのことは導入する前から承知の上でやっているはずである。 もともとこのようなシステムを作るという話は、地震学の泰斗である金森博雄先生がリアルタイム地震学として10年くらい前に広く宣伝したことが背景にあり、 それは地震予知はできなくても地震学として少しでも社会に役に立てることをしましょうということだった。 さらに、日本の場合、それより以前から同様のシステムをJRが作っており、新幹線の安全対策として役に立っていたという実績もあった。 したがって、p.58 に「フルスピードで走っている新幹線はこの時間では到底止まれない」と批判しているのはおかしい。 JRはそんなことは百も承知で、それでも1秒でも早く減速しようという努力をしているということである。 新幹線が今まで一度も死亡事故を起こしていないのは、運が良かったこともあるが、このような努力が背景にあることも間違いなく大切なことである。 緊急地震速報は使い方が難しいのは事実だが、列車の運行のようなことには役に立つはずである。 間違いが多いことも批判されているが、これは経験が少ないうちはやむをえないことであろう。少しずつ改善されてゆくことを期待しよう。


次に、2章「地震と原発」に関連した問題をメモしておく。

地震学者や地震学会が原子力ムラの一部になるということに関しては、分析不足な感じがする。 広い意味での地震学者はけっこう数が多いから、一部の地震学者が丸め込まれるのは、これは防ぎようがないと思う。 問題は地震学会の方なのだが、私は内部事情はよく知らないけれども(聞いてもいない)、外から見た感じでは 原子力ムラの一部と言われるほど取り込まれてはいないだろうと思う。 著者は、学会のどこが悪くてどうしろと言っているのかがよくわからない。 基本的には学会は研究のための団体だから、学会として原発に反対などと言うことは、 これは領分をはるかに超えているからできないであろう。そもそも著者自身、原発に対する立場を明記していない。

著者は、活断層を調べるのは、地震は活断層のところだけで起こるわけではないからあまり意味がないのではないかという書き方をしている。 しかし、これは半分正しくない。それは、活断層を調べている変動地形学者が常々言っていることで、 活断層で考えないといけないのものは、「ずれ」による被害と「揺れ」による被害とがあってそれを区別しないといけないということである。 「揺れ」による部分は、著者が書いている通りの意味もあるが、「ずれ」の部分が書かれていないのは活断層学者に対して不公平だと思う。 建築の耐震はたいてい「揺れ」に対して行われる。その意味は、地震波の波長はたいてい建物の大きさよりも大きいので、 建物全体がある加速度なり速度なりを受けるとしてそれに耐えられるように設計をするということである。 ところが、活断層の真上に建物がある場合は、建物のある一部と別の一部で異なる変位を受けることになる。 つまり建物が引きちぎられることになる。これに対する対策は容易ではない。それを避けるために活断層の上には建造物を建てない、 というのが活断層を調べる大きな意義である。このことを全く書いていないのは問題がある。 実際、最近話題になっていることは、かなり多くの原発で活断層が敷地内を走っているということなのである。 これに対する対策をしなくてよいはずもない。

さらに、地震学者が丸め込まれるということがどういうことかは単純ではない、という例を以下に示しておく。

福島第一原発事故は、「想定外」の地震と津波で実際に事故が起こったので、良い反省材料である。 ただし、「想定外」の地震と言っても、地震が想定外であるというのと、被害が想定外であるというのとは違う。 M9 でなくても同程度の津波が起こることは考えうることではあったかもしれない。そこで問題になるのが、貞観地震の津波である。 これは考えたとしても福島第一原発が浸水すると想定できたかどうかは微妙なところではあるが、 きちんと対策が取られていなかったのはそれ以前の問題であることが、以下の原子力安全・保安部会の議事録を見るとわかる。 原発の隠蔽体質は良く問題になるところではあるが、最初のころは公開が原則だったという良き伝統があるおかげで、今でも議事録が残っている。 そこで、考える材料として以下に抜粋しておく。 これは、 総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地質・地盤合同WG(第32回)議事録 (2009.06.24) の記録である。

○岡村委員 どうしてそうなるのかはよくわからないんですけれども、少なくとも津波堆積物は常磐海岸にも来ているんですよね。 かなり入っているというのは、もう既に産総研の調査でも、それから、今日は来ておられませんけれども、東北大の調査でもわかっている。 ですから、震源域としては、仙台の方だけではなくて、南までかなり来ているということを想定する必要はあるだろう そういう情報はあると思うんですよね。そのことについて全く触れられていないのは、どうも私は納得できないんです。
○名倉安全審査官 事務局の方から答えさせていただきます。
産総研の佐竹さんの知見等が出ておりますので、当然、津波に関しては、距離があったとしても影響が大きいと。 もう少し北側だと思いますけれども。地震動評価上の影響につきましては、スペクトル評価式等によりまして、 距離を現状の知見で設定したところでどこら辺かということで設定しなければいけないのですけれども、 今ある知見で設定してどうかということで、敷地への影響については、事務局の方で確認させていただきたいと考えております。
多分、距離的には、規模も含めた上でいくと、たしか影響はこちらの方が大きかったと私は思っていますので、 そこら辺はちょっと事務局の方で確認させていただきたいと思います。
あと、津波の件については、中間報告では、今提出されておりませんので評価しておりませんけれども、 当然、そういった産総研の知見とか東北大学の知見がある、津波堆積物とかそういうことがありますので、 津波については、貞観の地震についても踏まえた検討を当然して本報告に出してくると考えております。
以上です。
○纐纈主査 やはり地震動も、少なくとも検討したということはないとまずいと思いますけれども、そのようにお願いしたいと思います。
で、その後どうなったのかはよく知らないが、会議だとこんな感じで軽くかわされるのがオチということかと思う。 会議は開いて一応は検討する。でも、結局うやむやになってしまうということもけっこう多いのではないだろうか。

なお、p.91 のK先生が誰かは、ネット検索すると誰のことだか簡単に分かってしまう(「活断層カッター」という異名が書いてあるので)。 私はどのような方だか直接には知らないのでここでその名前を挙げるのは避けるが、 でもこの書き方ではイニシャルにしてもわかってしまうのであんまり意味が無かったのではなかろうか。