放送テキストを読んで、書いてあることはごもっとも、だけど、なかなか実行は難しいなあと思う。
フロムの生涯:
愛に見えて本当の愛ではないものがある。それは、共棲的結合で、その典型例はサディズム・マゾヒズムである。 マゾヒストは服従することでサディストに依存し、サディストは崇拝されることでマゾヒストに依存するという共棲関係がある。 お互いに支え合っているけれども健全ではない。ナチズムも、支配者のサディズムと大衆のマゾヒズムがもたれあってできた。 これに対し、成熟した愛においては、自分自身を保ったまま相手と結合する。
人間の性格には、生産的構えと非生産的構えがある。非生産的構えにおいては、与えてもらうことばかりを考える。 これに対し、生産的構えでは、自らを不断に高めて、他者に与える。
資本主義社会の原則は交換である。しかし、交換の原理は愛の原理と相容れない。 自分たちが生きている社会の性質を認識し、それに埋没しないようにしなければならない。
原題:The Art of Loving (直訳「愛の技術」)
愛は、生まれつき備わっているものではない。成熟しないと愛せない。人格の発達無しに愛することはできない。
人が初めて感じる愛は、母の愛。でも、赤ちゃんが感じているのは、心地よい状態。 赤ちゃんは努力せずに愛される。 やがて、子供は母親に何かを贈ることを思いつく。 思春期になると、愛することをおぼえる。 その後、長い年月をかけて愛が成熟する。
フロムは 1900 年生まれ。ユダヤ教徒の家に生まれた。 12 歳の時、好意を寄せていた女性が、父親が死んだとき、その後を追って自殺。それにショックを受けた。 その後、心理学への道を進む。
愛にまつわる問題
(1) 愛されることばかり考えて、愛することを考えない。いかに愛されるかばかりを考えていてはいけない。
(2) 相手を見つけることばかりの問題ばかり言う。自分が愛する技術を持っていない。
(3) 互いに夢中になった状態は本当の愛ではない。本当に相手のことを考えていない。
成熟した愛は、愛するから愛される。
成熟した愛は、あなたを愛しているから必要だ。
人間は、本能が壊れているので、自我が必要。 しかし、自我は弱いから、他者に支えられなければならない。 だから、孤独では生きてゆけない。
孤独を紛らせる方法 :
孤独から逃れようとすると、強制的服従関係ができることがある。たとえば、サディストとマゾヒスト。 どちらも孤独から逃れようとして依存しあう。これが社会的になると、ナチズムのようなものができる。 そこでは、支配する側と服従する側ができる。つまり、近代的自由の結果、孤独を感じるようになった結果、 民衆は強い権力を求めるようになって、それに服従したがる。
現代でも、よく強い支配者が必要だという人がいる。今の日本でも愛国主義が広がっている。
大事なことは、他者との融合、すなわち愛。しかし、多くの人は本当の愛を知らない。
愛は、能動的な力。愛は、与えること。自分のなかに息づいているあらゆるものを相手に与える。 与える者も与えられた者も互いに感謝する。与えることは、分かち合うこと。
人間は、自分が一番大事だと思っている。それはもちろんそういうものである。自分を愛せなければ、他人も愛せない。 しかし、ナルシシズムではいけない。ナルシシズムでは、自分に都合の良い相手を求めてしまう。 人間は、成熟するとだんだんバランスが取れてくる。人間は、理性が無いと成熟できない。 好き嫌いの単純なレベルではナルシシズムをコントロールできない。
愛の4要素 :
現代では、人間関係が広がると同時に希薄になってきた。ネットに代表される間接的な人間関係では、 ナルシシズム全開にできてしまうし、関係を簡単に一方的に切ることができる。 しかし、生身の関係も重要。
愛など要らないと考えている人が増えている。 人々が別々に生活したほうが消費が増える。「おひとりさま」現象も資本主義社会の産物ではないか。 昔は、生きていくためには、集団に属している必要があった。 しかし、今はバラバラになった。
愛にも練習が必要。自習が必要。第一歩は、愛することができるようになりたいと思うこと。 自分自身の愛に対する信念が必要である。自分の愛は信頼に値するものであり、他人の中に愛を生むことができると信じる。 人を愛するためには、勇気が必要。相手の愛が得られるかどうかわからないけれども、愛する。
愛は、経験しないと深まらない。