日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか
矢部宏治 著
集英社インターナショナル
刊行:2014/10/29、刷:2014/11/09(第2刷)
福岡天神のジュンク堂福岡店で購入
読了:2014/12/06
日本はいまだにアメリカの占領下にある属国であるということをはっきり示してある本。
今までもそのような言説はいろいろあったが、本書の特色は、その占領状態に法的な根拠があり、
それがどのような歴史的流れの中で生まれてきたのかということを示しているということである。
日本の政治家やマスコミの言説には訳のわからないことが往々にしてある。それがなぜかが、この本を読むと非常によくわかる。
その大きな理由は、日本は、法的にアメリカの言うことを聞かざるを得ず、しかしそのような属国状態であることを表に出せないことにある。
表に出せないのは、そこに密約があるせいである。密約と言えども、アメリカは時が経つと公開してしまうので、
こういうことがわかってしまうわけだ(アメリカはこういう点が良い国である)。
そして、その属国状態の起源は敗戦にまで遡ることがわかる。
憲法改正の問題も、日米のこのような関係と切り離して議論することはできない。
問題はそのような議論がきちんとできる土壌がまるでないということである。
今政治家やマスコミ等で流れる憲法改正論議は、そのことをきちんと踏まえていないので、茶番に過ぎないことがこの本を読むと良く分かる。
このような議論がまともにできないうちは、憲法改正を議論しても意味がないと思う。
自主憲法を作るとすれば、現行憲法よりも良いものを作らないといけないのに、
かえって箸にも棒にもかからないような自民党案が堂々と出てくるようでは、
憲法を議論する土壌がないと言わざるを得ない。
日本が本当の独立国になれるように努力したいものである。
以下、サマリー
- Part 1 沖縄の謎 基地と憲法
- 沖縄では住宅地の上を米軍機が飛び回っているが、米軍住宅の上だけは飛ばない。
- 民主党鳩山政権下で徳之島移設案が秘密裏に話し合われた途端に新聞記事にされた。すなわち、鳩山首相は官僚に裏切られて、秘密をリークされた。
- 沖縄の上空は100%米軍基地である(嘉手納空域)。2010 年 3 月に管理権が日本側に返還されたことになっているが、形だけのことである。
米軍機はアメリカ人の住宅の上以外は好きなところを飛んで構わない。
- 1953 年、米国の財産を日本は捜索・差し押さえ・検証するする権限がないという取り決めが交わされ、それが現在でも有効である。
このために 2004 年、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した時も、米軍が現場を封鎖し、日本は手を付けられなかった。
すなわち、治外法権エリアをたちまち作ることができた。
- 関東の上空にも横田空域があって、かなり広い空域を米軍が支配している。
- 嘉手納基地には核兵器があって、本土へも運べるようになっていた。ソ連や中国を爆撃するためである。
憲法9条2項は、始めからこのような沖縄の軍事要塞化とセットになっていた。
- 日米安保条約、日米地位協定に基づいて、航空特例法が定められている。これによると、米軍機と国連軍機には、
航空法第6章が適用されないことになっている。そこで、米軍機は日本全国の空を好き勝手に飛んで構わないことになっている。
- 1959 年、砂川裁判の最高裁判決があった。これによって、日米安保条約に関わる問題は憲法判断しないことになった。
この根拠は「統治行為論」である。これは日本だけで有効な珍妙な議論である。しかし、このことによって、
日米安保条約が憲法より上だということが確定した。したがって、在日米軍は日本において好き勝手やって構わない。
この判決は、アメリカ政府の指示のもとに書かれた。
- 日米地位協定に基づいて、日米合同委員会というものがある。日本側のメンバーは、外務省北米局長を代表とするエリート官僚である。
彼らが鳩山首相を失脚させたのであろう。
- Part 2 福島の謎 日本はなぜ、原発を止められないのか
- 原発に関わる裁判で、住民側が勝訴した例は3つしかない。しかし、最高裁まで行って勝つ見込みはほとんど無い。
- 安保条約だけでなく、日米間には密約があり、それが砂川裁判の結末と同様に、日本の法律よりも上位にある。
- 1957 年の米国大使館から本国宛の秘密報告書によれば、米軍の権利は独立以降も占領期と変わらず、諜報活動も自由にできていると書いてある。
基地も米軍が自由に決めて良いし、米軍の装備も米軍が勝手に決めて良いことになっている。
1960 年の密約では、米軍基地使用に関する米軍の権利はこれまでと変わらないとしている。これは現在でも有効である。
これらを合わせると、在日米軍の権利はいまだに占領期と変わらないということになる。
だから、日本政府は、オスプレイの配備も止めることができないし、辺野古移設も止められない。
- 日本には国境さえない。アメリカ人は、横田空域を通って横田基地とか横須賀基地にやってきて、そこから六本木ヘリポートに行くと、
日本に勝手に入って来られる。すなわち、アメリカの諜報活動はやりたい放題である。
- 国際的には、米軍が駐留している日本は独立国とは言えない。
- 米国の治外法権を保証する裏マニュアルが、最高裁、検察、外務省にある。実際、米兵が日本人を射殺してほとんど無罪になった例がある。
- 2012 年に改正された原子力基本法には、「安全保障に資する」という文言が入っている。
このことによって、「裁量行為論」を用いて最高裁が憲法判断を避ける道が開かれている。
- 放射性物質は、環境関連の法律では適用除外になっていた。つまり、放射性物質による汚染は、法的には汚染にならない。
これは 2012 年に改正されたものの、基準値が決められていない。
- 日米原子力協定というものがあり、日本側では何も決められないことになっている。
しかも、協定が終わっても、その重要な部分は効力を保つという条文まで入っている。したがって、日本側からは何もできない。
野田内閣も、アメリカに懸念を表明されて「2030 年代に原発稼働ゼロ」を閣議決定できなかった。
- Part 3 安保村の謎1 昭和天皇と日本国憲法
- 日本は社会科学が弱い [吉田註:文脈からして、社会科学というよりは、哲学や社会思想も含めた人文社会科学と言うべきであろう]。
たとえば、自民党憲法改正草案の程度の低さを見るとよくわかる。
- 日米安保を基軸とする「安保村」の構造を作ったのは、昭和天皇とその側近であった。
- 昭和天皇に戦争責任が無いわけがない。しかし、アメリカは日本軍の武装解除をすみやかに行うために天皇を利用した。
そのために天皇を免責とした。
- 安保村では、重要な文書はすべて最初は英語で書かれていた。降伏文書もそう、武装解除の布告もそうであった。
- 昭和天皇は、マッカーサーとの第1回会談において、宣戦布告は東条英機が勝手に行ったことであるが、自分は責任は回避するつもりはない、
ということを述べたようだ。
- 天皇が国外逃亡せず、きちんと会談したことから、マッカーサーは昭和天皇の資質を高く評価したものと見られる。
- 天皇の人間宣言と日本国憲法は GHQ がもともと英語で書いた。これを急いだのは、昭和天皇を東京裁判にかけないためであった。
GHQ にとって、昭和天皇は日本の占領支配に欠かせない存在であった。
- 天皇は人間宣言にアレンジを加え、五箇条の御誓文を加えた。これは、天皇が自発的に書いたという体裁を整えるためと、
日本はもともと民主主義国家だということにするためであった。そして、民主的な天皇制の下で頑張ろうというメッセージを発した。
このあたりは、天皇家の、権力は無いが権威はあるという長い歴史の中で培われた外交術の洗練というべきである。
- この人間宣言で示された歴史観が、その後の日本人の歴史観となった。すなわち、明治時代は正しい時代で、
昭和初期だけ軍部が暴走して間違った。戦後は、本来の民主主義を取り戻して発展する、というシナリオである。
- 1992 年、フィリピンから米軍が撤退し、ASEAN 諸国に外国軍基地は無くなった。
- 憲法草案を書いたのは GHQ である。現在、政府が憲法違反をしてもそれを止める勢力が無いのは、ここに遠因がある。
これに対し、ドイツは占領下では憲法を作らなかった。暫定的な基本法を定め、将来の統一時に憲法を定めることとした
(実際は、現在でも基本法のまま)。
- GHQ が憲法草案を作るのを急いだのは、権限が極東委員会に移る前に終わらせて、天皇を守りたかったことにある。
- 憲法は占領軍が強要したものではあるが、当時の日本人には書けないような良い内容のものだった。これが戦後の憲法に関する議論のねじれの原因である。
- Part 4 安保村の謎2 国連憲章と第2次大戦後の世界
- 国連も連合国も United Nations であり、日本は現在でも「敵国」である。
- 英米は 1941 年の大西洋憲章ですでに戦後世界の構想を考えており、ここで示されている考え方に沿って国連憲章や日本国憲法が作られている。
- 1944 年には、国連憲章の原案というべき「ダンバートン・オークス提案」がつくられた。
この段階では、一般の加盟国が独自に戦争をする権利を認めていなかった。もちろん自衛権はある。しかし、正当防衛とは言えない場合に
戦争をするのは、安保理事会の許可があった時に地域の安全保障のメンバーとして行うときに限られた。ただし、五大国は、
国連軍を自分たちの判断で組織して使うことができるものとされた。日本国憲法第9条第2項はこれが前提となっている。
- ところが、実際の国連憲章では「集団的自衛権」が明記されたために、「ダンバートン・オークス提案」のような理想主義的理念が形骸化した。
そこで、日本国憲法第9条第2項は基盤を失うこととなった。
- 国連憲章において、日本とドイツは敵国条項の対象になっている。
まず、第53条では、敵国が再び軍国主義になったら安保理事会の許可なしに攻撃して良いことになっている。
次に、第107条では、米国の日本に対する戦後処理に関しては、国連憲章の有効範囲外としている。
これが日本がまだ占領状態にある根拠になっている。米軍が沖縄で人権侵害をしても、国際法違反にはならない。
- 次に、サンフランシスコ講和条約では、安保条約に基づいて米軍は駐留して構わないことになっている(第6条後半)。
また、第3条では、アメリカは、沖縄や小笠原を独裁的に統治できることにしている。
- 日米安保条約は、日本の再軍国主義化を防ぐと同時に、軍事的空白地帯となった日本を防衛するための条約である。
すなわち、「日本という国」の平和と安全のためのものではなく、「日本という地域」の平和と安全のためのものである。
- 米軍機が伊方原発のすぐ近くに墜落したことがある。これは、原発を標的にした訓練だったのだろう。
- ドイツは、外交努力の結果、1994 年までに敵国条項を実効的に無効にした。
ドイツは、周辺諸国と融和を図った結果、1990 年に戦勝4か国との講和条約を結び、1994 年に駐留軍が完全撤退した。
このようにして独立が果たされた。その結果として、敵国条項が無効になっていないのは、日本だけである。
- Part 5 最後の謎 自発的隷従とその歴史的起源
- 戦前から、皇室は共産主義革命をおそれていた。降伏の決め手となったのもソ連参戦だった。
- 1945 年に和平交渉が画されていた時、沖縄、小笠原、樺太は固有の本土だとは考えられていなかった。
- 1947 年、昭和天皇はアメリカに対し、沖縄の軍事占領を希望した。このことが日本の安全を守ると考えた。
1946 年の文書によると、アメリカ国務省は沖縄を非軍事化して日本に返還すべきだと考えていた。
これに対して、米軍は沖縄の軍事占領の継続を考えていた。そこに、昭和天皇のメッセージが届いたので、米軍の方針が通った。
すなわち、米軍による沖縄の軍事占領は、米軍と昭和天皇の合作である。
- 昭和天皇が米軍駐留を希望したのは、共産主義革命をおそれていたからであると見られる。
- 憲法第9条のうち、1項は国連憲章の理念そのものなので、問題が無い。2項は、国連が世界政府として機能することが前提だったのだが、
それが崩れてしまった。その結果として、9条2項があるのに強力な米軍が駐留するという矛盾が生まれてしまった。
9条2項には、敵国日本の武装解除という意味がある。そういうわけで、在日米軍基地と憲法9条2項と敵国条項はセットで考えないといけない。
- 著者は、9条2項は、イタリアやフィリピンの憲法に倣って変えると良いと思っている。ただし、米軍撤退と、日米密約破棄がセットになっていないといけない。
- 日米間には、有事には自衛隊は在日米軍の指揮下に入るという密約がある。これが日米合同委員会の起源でもある。
安倍政権の集団的自衛権はこれを表面化させた。
- これまで米軍撤退の話があったとき、駐留継続を希望したのは日本側であった。
私たちは、そうではなくて、自分たちの手で憲法を書き、米軍を撤退させなければならない。フィリピンやドイツがモデルになるであろう。