新聞の記事の切り売りシリーズ。「男らしさ」「女らしさ」が社会的に期待されて苦しくなることがあるというテーマで、LGBTの話、および家庭や社会における男女の役割分担の話という2つの記事がまとめられている。
私がやや疑問なのは、この2つの話はけっこう質的に違うのに、「男らしさ」という言葉でまとめられているということだ。この単語は、社会的な構築物としてのジェンダーは悪であるというフェミニズム的主張を暗示している。ところが、LGBTの場合は、生得的な心の性があって、それが体の性と一致しないという話である。生得的な心の性の役割が大きいことを認める点で、フェミニズム的ジェンダー論とはだいぶん違う。まあ、生得的な心の性の性質やら生得的な性別による向き不向きは、みんななんとなくわかっているけど、はっきりわからないので、話がいつも混乱する。そんなものはないことにするというのが典型的フェミニズム的ジェンダー論だが、やっぱりあるのだというのがトランスジェンダーの示すところである。題名から想定される通り、記事の内容は表面的で、そんなに深入りはしていない。