ついうっかり読み始めたら、最後まで一気に行った。言わずと知れた「踊る人形」の昔の訳である。昔の訳なので、言葉遣いが古風なのに加え、いろいろ問題も多い。三上於菟吉といえば、有名作家だったらしいが、この時代ではまだ翻訳が難しかったのであろう。それでも、元が面白いので、最後まで一気に読めた。
内容については有名だし、子供のころだいぶん何度も読んだ気がするので(もちろん忘れていたが)、いまさらコメントを書く気がしない。そこで、ここでは翻訳の問題点についてだけメモしておく。
すぐに気づく問題は、人名や地名のカタカナ表記がかなりおかしいことである。以下にチェックした結果をリストする。昔は英語の音韻教育がなっていなかったということかもしれない。
英語 | 三上訳 | 私訳 | 備考 |
---|---|---|---|
Ridling Thorpe Manor | リドリング公領/リドリング地方/リドリング村 | リドリング・ソープ荘園 | 英語版では最初に出てくるときは Ridling ではなく Riding になっているが、その後出てくるときは Ridling なので、こっちが正しいのだろう。 |
Russell Square | ランセル街 | ラッセル広場地区 | square は四角い広場のことである。 |
Norwich | ノーアウィッチ/ノーアウッド | ノリッヂ | 辞書をみると、最後は濁らない場合もあるようだから、ノリッチやノーリッチでも良い。 |
Saunders | サウンダー | ソーンダーズ | |
Abe Slaney | アベー・スラネー | エイブ・スレイニー | Abe は Abraham(エイブラハム)の短縮形だからエイブ。しかし、日本語ではAbrahamはアブラハムと読むのが普通だから、その短縮でアブと訳するのもありうると思う。 |
なお、Hilton Cubitt が私が見た青空文庫版ではヒルトン・キューピットになっていたが、今改めて青空文庫を見ると、ヒルトン・キュービットに直っているから、途中で訂正されたのだろう。
そのほかにも、肝心なところで訳が変なところがある。原文を全部チェックしたわけではなく、肝心なところで意味が通じないところの英語をチェックしただけだが、果たして日本語訳が変だった。はからずも、以下の三例とも仮定法がらみの部分である。仮定法を上手に訳するのは翻訳家の腕の見せ所だが、三上訳では間違っている。
- (英語)Any shot directed at this person might hit the sash.
(三上訳)それからその者を撃った弾丸のどれかは窓縁に当ったに相違ない。
(私訳)この第三者を狙ってピストルを撃ったとすると、狙いが外れて玉が窓枠に当ったとしてもおかしくない。
(説明)三上訳だと、その第三者に玉が当たってそれがなぜか窓枠にも当ったように読めてしまう。実際は、外れて窓枠に当ったのだ。それから might の訳し方もおかしい。これは仮定法で、any に仮定が隠れていることに注意して訳さないといけない。 - (英語)You don't think that it might have been two shots fired almost at the same instant?
(三上訳)君は一度に二発うたれたのだと云うようには感ぜられなかったかね?
(私訳)最初の大きな音は、ほとんど同時に二発ピストルが撃たれたことによるものだったなんてことはありえないのかな?
(説明)三上訳では、誰かが一度に二方からの弾丸に撃たれたように読めてしまう。ここでホームズは、ピストルがほとんど同時に二発撃たれてそれが一発に聞こえたのではないかと考えている。私は、itが指しているものを明示するとともに、mightを「〜なんてことはありえ〜」と訳してみた。 - (英語)The boy who takes this note could no doubt forward your telegram.
(三上訳)いやこの書付を持ってゆく子供は、きっとあなたに電報を打たせることになりますよ。
(私訳)この書付を持って行ってくれる男の子にあなたも電報を頼んだら、ちゃんと打ちに行ってくれるでしょうよ。
(説明)三上訳では意味不明。私は仮定法の仮定がはっきりするように訳してみた。
あとから大久保ゆうによる改訳が青空文庫にあることに気付いた。カタカナ表記は直っている。しかし、上の仮定法の訳し方は少し直っているが、まだいまひとつ。