文庫本の切り売りで短いので、すぐに読める。ポイントを箇条書きしておく。
- 明智光秀は、斎藤道三に仕えていたようだが、道三が討たれたあとの動向は不明。
- 光秀は、織田家、朝倉家、足利家につながりがあった。
- 光秀は、織田家と足利家の間を取り持ったりしていたが、最終的に織田信長と足利義昭が敵対したときは、信長に付いた。 これは、信長が天皇を大事にする姿勢を見せていたからだと著者は推測している。
- 本能寺の変は、光秀が発作的にやったことだろう。このあたりになると、信長が天皇家を大事にしないことがはっきりわかってきたとか、 光秀が築いてきていた長宗我部との友好関係を捨てたとかいったようなことを著者は理由に挙げている。