「100分de名著」に心和み系登場である。 「100分de名著」にしては珍しく、著作のあらましを知るというよりも、良寛の生き方を知るという感じの強い内容であった。 実直で融通の利かない人柄は、今なら高機能自閉症スペクトラムという名前がついてしまうかもしれないけれど、 であればこそ禅僧として原始仏教の理想とする生き方に近い生き方ができたのだとも言える。 良寛が漢詩をたくさん作っていることは初めて知った。そのことからもわかるように学識が高かったにもかかわらず、 世俗的な欲は皆無で、聖人として生き得たというのは驚異的である。
これまた初めて知ったのだが、良寛の作品を慕う人は数多かったようである。書評家の松岡正剛が千夜千冊の その記念の千冊目に良寛を選び、そこにそのようなことを書いていた。
生涯身を立つるにも慵(ものう)く 騰々 天真に任(まか)す
嚢中 三升の米 炉辺一束の薪
誰か問はん迷悟の跡(あと) 何ぞ知らん名利(みょうり)の塵(ちり)
夜雨 草庵の裡(うち) 双脚 等閑(とうかん)に伸ぶ
無一文で生きたようだが、漢詩を作るときに辞書や漢籍は要らなかったのかなあと余計な心配をしてしまう。 そういう書物は誰か持ってきてくれる人がいたのか、記憶力が高かったのかいずれであろうか。