処世訓『菜根譚』の紹介である。昨年 11 月の再放送が 10 月にあり、これを機会に読書ノートにした。
清貧と中庸を良しとするいかにも日本人好みの処世訓であるから、好きな人が多かったそうだ。『孫子』のような中国的計算高さがなくて穏やかなので、日本人に合った処世訓といえよう。日本人として言えば、漢文だし対句も心地よく、表現が簡潔で格好良いという意味もある。
ところで、この番組ではすでにいくつか中国思想が紹介されているけれども、『論語』にせよ『老子』にせよ、短い文章の集合体になっている。
『菜根譚』は処世訓だからなおさらそうである。こういうのを西洋哲学と比べてみると、西洋哲学の名著はだいたい長くて論理的に深い。
日本では『菜根譚』が好きな人が多かったそうだが、こういう短いのばかり読んでいると、西洋思想の議論の息の長さと深さに負けてしまうように思う。日本の思想的貧困はこういうところから来ているのではないだろうか。
「100分de名著」放送時のメモ
第1回 逆境を乗り切る知恵
『菜根譚』は明代末期に書かれた処世訓。中国の処世訓の最高傑作だと言われる。全357条。作者は洪自誠。評価が高まったのは初版から300年後。江戸後期の日本に伝わって愛読された。タイトルは、「人、常に菜根を咬み得ば、則ち百事做(な)すべし」という汪信民のことばに基づく。
明代末期は政治的には混乱した時代であった。明代には冊子体の印刷が普及したことも文化史的には重要である。
逆境に耐える知恵。
- 逆境にあるときは、身の回りの全てが鍼や薬になる。順境にあるときは、目の前の全てが刃となる。そして肉体や骨を溶かしている。このようなことには、なかなか気づかないものだけれども、ピンチは実はチャンスである。
逆境の中に居(お)らば、周身、皆鍼砭(しんぺん)薬石にして、節を砥(と)ぎ行(こう)を礪(みが)きて、而(しか)も覚(さと)らず。
順境の内(うち)に処(お)らば、満前、尽(ことごと)く兵刃戈矛(へいじんかぼう)にして、膏(あぶら)を銷(とか)し骨を靡(び)して、而も知らず。
- 苦心している中に、面白さがある。うまくいっているときに、失意の悲しみが芽生えている。
苦心の中(うち)、常に心を悦(よろ)こばしむるの趣(おもむき)を得、得意の時、便(すなわ)ち失意の悲しみを生ず。
- 長く地上に伏せていた鳥は、他の鳥よりも高く飛べる。他よりも早く咲く花はすぐに散る。成功を焦ることはない。長い時間をかけて力を蓄えたものはそれだけ成功する。
伏すること久しき者は、飛ぶこと必ず高く、開くこと先なる者は、謝すること独り早し。
此れを知らば、以って蹭蹬(そうとう)の憂いを免れべく、以って躁急(そうきゅう)の念を消すべし。
- 仕掛けの中にはまた仕掛けがあり、思わぬことが起こる。小賢しい知恵など役に立たない。油断せぬこと。
魚網(ぎょもう)の設くるや、鴻(おおとり)則(すなわ)ち其の中に罹(かか)る。蟷螂(とうそう)の貪(むさぼ)るや、雀(すずめ)又其の後(あと)に乗(じょう)ず。機裡(きり)に機を蔵(かく)し、変外(へんがい)に変(へん)を生ず。智巧(ちこう)何ぞ恃(たの)むに足らんや。
- 一歩前進するときには、一歩退くことも考えること。慎重には慎重を重ねること。
歩(ほ)を進むる処(ところ)に、便(すなわ)ち歩を退(しりぞ)くるを思わば、庶(ほと)んど藩(まがき)に触るるの禍(わざわい)を免れん。手を着(つ)くるの時に、先ず手を放つを図らば、纔(わずか)に虎に騎(の)るの危うきを脱(だっ)せん。
- 衰える兆しは、盛んなときにある。芽生えの兆しは、落ちぶれたどん底の時にある。だから、平安なときには災いに備え、異変の時には忍耐を重ねて成功を図るべきである。
衰颯(すいさつ)の景象(けいしょう)は、就(すなわ)ち盛満(せいまん)の中に在り、発生の機緘(きかん)は、即(すなわ)ち零落(れいらく)の内(うち)に在り。故に、君子は安きに居りては、宜しく一心を操(と)りて以って患を慮(おもんぱか)るべく、変(へん)に処しては当(まさ)に百忍を堅くして以って成るを図るべし。
第2回 真の幸福とは?
幸せについて。
- 天は無心な人に幸福を与える、天は作為に対して災いを与える。無理やり幸せになろうとしてはいけない。
貞士(ていし)は福を徼(もと)むるに心無し。天は即(すなわ)ち無心の処に就(つ)きてその衷(ちゅう)を牖(ひら)く。
嶮人(けんじん)は禍(わざわ)いを避(さ)くるに意(い)を着(つ)く。
天は即(すなわ)ち著意(ちゃくい)の中(うち)に就(つ)きてその魄(はく)を奪(うば)う。
見るべし、天の機権(きけん)は最(もっと)も神(しん)にして、人の智巧(ちこう)は何ぞ益(えき)あらんことを。
- いっぱい抱え込んでいるものは失うものも大きい。だから、富んでいるものは貧しい者に及ばない。それは、失う心配をしなくてよいからだ。
たくさんは持つべきではない。身分の高い人は心を安らかにしている身分の低い人にかなわない。
多く蔵(ぞう)する者は厚く亡(うしな)う、故に富(とみ)は貧(ひん)の慮(りょ)無きに如かざるを知る。
高く歩む者は疾(はや)く顚(たお)る、故に貴(き)は賤(せん)の常に安(やす)きに如かざるを知る。
- 富や財産は浮雲のようなものだ。しかし、だからといって世捨て人のような生活もいけない。
富貴(ふうき)を浮雲(ふうん)にするの風有りて、而(しか)も必(かなら)ずしも岩棲穴処(がんせいけっしょ)せず。
泉石(せんせき)に膏肓(こうこう)するの癖(へき)無くして、而(しか)も常(つね)に自(みず)から酒に酔い詩に耽(ふけ)る。
- 人生の幸不幸の境目は、人の心が作り出す。お釈迦様もこう言っている。利益や欲に向かう心が強すぎると、燃え盛る炎の海にいるよう。執着しすぎると苦しみの海にいるよう。なにごとも心の持ち方が大切。[湯浅「仏教の影響が見て取れる」]
人生の福境禍区(ふくきょうかく)は、皆念想(ねんそう)より造成(ぞうせい)す。故(ゆえ)に釈氏(しゃくし)云(い)う、
「利欲(りよく)に熾然(しぜん)ならば、即(すなわ)ち是(こ)れ火坑(かこう)なり。
貪愛(どんあい)に沈溺(ちんでき)すれば、便(すなわ)ち苦海(くかい)と為(な)る。
一念清浄(いちねんせいじょう)ならば、列焔(れつえん)も池と成(な)り、一念警覚(いちねんきょうかく)すれば、船も彼岸(ひがん)に登(のぼ)る」と。
念頭(ねんとう)稍(やや)異なれば、境界頓(とみ)に殊(こと)なる。慎(つつ)しまざるべけんや。
- いかなる喜びごとも心配ごとにならないことはない。たとえば、子供が生まれる日は、母親が危険にさらされる日である。金庫にお金を貯めこむと、盗まれる危険が出てくる。
子(こ)生(う)まれて母危(あや)うく、鏹(きょう)積(つ)んで盗窺(うかが)う。何の喜びか憂(うれ)いに非(あら)ざらん。
貧(ひん)は以(もっ)て用を節すべく、病(やまい)は以て身を保つべし。何の憂いか喜びに非らざらん。
故に達人(たつじん)は、当(まさ)に順逆(じゅんぎゃく)一視(いつし)して欣戚(きんせき)両(ふた)つながら忘るべし。
- 棚ぼたには注意。分不相応な幸福や理由のない授かり物は落とし穴である。疑ってみること。
分(ぶん)に非(あら)ざるの福(さいわい)、故(ゆえ)無(な)きの獲(えもの)は、造物(ぞうぶつ)の釣餌(ちょうじ)に非(あら)ずんば、即(すなわ)ち人世(じんせい)の機阱(きせい)なり。
此(こ)の処(ところ)に眼(め)を着(つ)くること高(たか)からざれば、彼の術中(じゅっちゅう)に堕(お)ちざること鮮(すくな)し。
- 花は五分咲き位が良い。酒は泥酔はいけない。なにごともほどほどが良い。
花は半開(はんかい)を看(み)、酒は微酔(びすい)に飲む。此(こ)の中(うち)に大いに佳趣(かしゅ)有り。
若(も)し爛漫骸醄(らんまんもうとう)に至れば、便(すなわ)ち悪境(あくきょう)を成(な)す。
盈満(えいまん)を履(ふ)む者(もの)、宜(よろ)しく之(これ)を思うべし。
- 苦楽の経験を経た後の幸せが長続きする。
一苦一楽(いっくいちらく)して、相磨練(あいまれん)し、練極(きわ)まりて福を成す者は、其の福始(はじ)めて久(ひさ)し。
一疑一信(いちぎいっしん)して、相参勘(あいさんかん)し、勘極(きわ)まりて知(ち)を成す者は、其の知始めて真(しん)なり。
- 人生は晩年こそがすばらしい。晩年こそ精神を充実させておかないとけない。歳月を重ねることで人間は幸せになる。[伊集院「「今はただ飯食うだけの夫婦なり」という川柳があって、この幸せさがすごい。」]
日既(すで)に暮れて、而(しか)も猶(な)お烟霞絢爛(えんかけんらん)たり。
歳(とし)将(まさ)に晩(く)れんとして、而(しか)も更(さら)に橙橘芳馨(とうきつほうけい)たり。
故(ゆえ)に末路晩年(まつろばんねん)、君子更に宜しく精神百倍すべし。
第3回 人づきあいの極意
人付き合いの極意は「和気」。
- 狭い小道で人と出会ったら道を譲る。美味しい食べ物は3割ほど譲る。これが安全安楽なやり方だ。
径路の窄(せま)き処は、一歩を留めて人の行くに与え、滋味濃(こまや)かなるものは、三分(ぶ)を減じて人の嗜(たしな)むに譲る。
此れは是(こ)れ世を渉る一の極安楽の法なり。
- 譲って一歩退くのは、やがて前に進むため。[湯浅「譲るというのは非中国的な思想。」]
世(よ)に処(お)るに一歩を譲るを高しと為す。歩(ほ)を退くるは即(すなわ)ち歩を進むるの張本(ちょうほん)なり。
人を待つに一分を寛(ひろく)にするは是れ福(さいわい)なり。
人を利するは、実に己(おのれ)を利するの根基(こんき)なり。
- 名声を独占してはいけない。[湯浅「みんなで幸せを求める。」]
完名美節は、宜しく独り任ずべからず。些(いささ)かを分ちて人に与うれば、以って害を遠ざけ身を全うすべし。
辱行(じょくこう)汚名は、宜しく全くは推(お)すべからず。
些(いささ)かを引きて己れに帰せば、以って光を韜(つつ)み徳を養うべし。
- 恩恵を施すには、始めはあっさり、後から手厚くするのが良い。威厳を示すのは、始めは厳格に、後から寛大にするのが良い。
恩(おん)は宜しく淡(たん)よりして濃(のう)なるべし。
濃を先にして淡を後にすれば、人は其の恵(めぐ)みを忘(わす)る。
威(い)は宜しく厳(げん)よりして寛(かん)なるべし。
寛を先にして厳を後にすれば、人は其の酷(こく)を怨(うら)む。
- 部下の功績と過失は混同してはならない。混同すると部下は怠けるようになる。これに対して個人的な恩義や遺恨ははっきりしすぎてはならない。はっきりしすぎると人は背くようになる。
功過(こうか)は少しも混(ま)ず容(べ)からず、混(こん)ずれば則ち人、惰堕(だき)の心を懐(いだ)かん。
恩仇(おんきゅう)は太(はなは)だ明らかにすべからず、明らかなれば則ち人、携弐(けいじ)の志を起(お)こさん。
- ものごとは急げば良いというものでもない。ゆったりすると自ずから解決することがある。
事は之を急にして白(あき)らかならざる者(もの)あり、之を寛にせば或(あるい)は自(おのず)から明らかならん。
躁急(そうきゅう)にして以て其の忿(いか)りを速(まね)くこと毋(な)かれ。
人に之を操(と)りて従わざる者あり、之を縦(はな)てば或は自(おのず)から化せん。
操(と)ること切(せつ)にして以て其の頑(がん)を益(ま)すこと毋(な)かれ。
- 家族に過失があったら激しく怒ってはならず放っておいてもいけない。それとなく注意し、それで気付かなければ、機会が来るのを待ってもう一度注意する。
家人(かじん)に過(あやま)ちあらば、宜しく暴怒(ぼうど)すべからず、宜しく軽棄(けいき)すべからず。
此の事、言い難くば、他の事を借りて隠(いん)に之を諷(いき)め、今日(こんにち)悟(さと)らざれば、
来日(らいじつ)を俟(ま)ちて再び之を警(いまし)む。
春風(しゅんぷう)の凍(こお)れるを解(と)くが如(ごと)く、和気(わき)の氷を消すが如し。
纔(わずか)に是れ家庭の型範(はんけい)なり。
- 家庭の中にこそ仏がある。誠の心と穏やかな気分があれば、ことさら座禅を組む必要もない。[キーワードは「和気」]
家庭に個(こ)の真仏(しんぶつ)有り、日用に種(しゅ)の真道(しんどう)有り。
人能(よ)く誠心和気(せいしんわき)、愉色婉言(ゆしょくえんげん)、父母兄弟(けいてい)の間(かん)をして、
形骸両(ふた)つながら釈(と)け、意気交(こもごも)流れしめば、調息観心(ちょうそくかんしん)に勝ること万倍なり。
- 人を信用する者は、相手がすべて誠実であるとは限らないが、少なくとも自分だけは誠実である。人を疑ってかかる者は、相手がすべて偽りに満ちているとは限らないが、すでに自分が心を偽っていることになる。
人を信ずる者は、人未(いま)だ必ずしも尽(ことごと)くは誠(まこと)ならざるも、己(おのれ)は則(すなわ)ち独(ひと)り誠(まこと)なり。
人を疑う者は、人未(いま)だ必ずしも皆(みな)は詐(いつわ)らざるも、己(おのれ)は則(すなわ)ち先(ま)ず詐(いつわ)れり。
第4回 人間の器の磨き方
人間が成長することを器に喩える。
- 若者は大人の卵。秀才は指導者の卵。もし若いとき火力が十分でないと、良い器(人材)にならない。人間の器は育て方次第。
子弟(してい)は大人(たいじん)の胚胎(はいたい)にして、秀才(しゅうさい)は士夫(しふ)の胚胎(はいたい)なり。
此の時、若(も)し火力(かりょく)到(いた)らず、陶鋳(とうちゅう)純(じゅん)ならずんば、他日(たじつ)、
世を渉(わた)り朝(ちょう)に立(た)つに、終(つい)に個(こ)の令器(れいき)と成(な)り難(がた)し。
- 長い時間をかけてじっくり鍛錬しないといけない。お手軽に仕上げようとしてはいけない。
磨蠣(まれい)は当(まさ)に百煉(ひゃくれん)の金(きん)の如くすべし。
急就(きゅうしゅう)すれば邃養(すいよう)に非(あら)ず。
施為(しい)は宜(よろ)しく千鈞(せんきん)の弩(ど)の似(ごと)くすべし。
軽発(けいはつ)すれば宏功(こうこう)無し。
- 気持ちが動揺していると、周囲が殺気立って見える。雑念が収まると、周囲が穏やかに見える。心が落ち着かないと疑心暗鬼に陥る。落ち着いた心で初めて真実が見える。
機の動くは、弓影(きゅうえい)も疑(うたが)いて蛇蝎(だかつ)と為(な)し、寝石(しんせき)も視(み)て伏虎(ふっこ)と為す。
此(こ)の中渾(すべ)て是(こ)れ殺気なり。
念(ねん)の息(や)めるは、石虎(せっこ)も海鷗(かいおう)と作(な)すべく、蛙声(あせい)も鼓吹(こすい)に当(あ)つべし。
触(ふ)るる処(ところ)倶(とも)に真機(しんき)を見る。
- 道を求めるには、粘り強くすること。結果は、天に任せて機が熟するのを待つべし。
繩鋸(じょうきょ)も木断ち、水滴も石を穿つ。
道を学ぶ者、須(すべか)らく力索(りきさく)を加うべし。
水到れば渠成り、瓜熟すれば蒂(へた)落つ。
道を得る者は、一(ひとえ)に天機に任す。
- 静かに考えが澄み切っていることが大事。時間的に余裕があることが大事。あっさりしている心が安定していることが大事。そうすると、心の本当の姿やはたらきがわかる。
静中(せいちゅう)の念慮澄徹(ちょうてつ)ならば、心(こころ)の真体を見る。
閒中(かんちゅう)の気象従容(しゅうよう)ならば、心の真機を識(し)る。
淡中(たんちゅう)の意趣冲夷(ちゅうい)ならば、心の真味を得(う)。
心を観(かん)じ道を証(しょう)するは、此の三者に如(し)くは無し。
- 修行は拙を守ることで成就する。不器用でも誠実に努力するならば道を究めることができる。[湯浅「拙というのは、飾らない素朴さ」]
文は拙を以って進み、道は拙を以って成る。一の拙の字に無限の意味有り。
- 立派な人は、清貧なので物やお金で人を救うことはできないが、適切な一言で相手を救うことができる。これが無量の功徳というものだ。
士君子(しくんし)貧(ひん)なれば、物を済(すく)うこと能(あた)わざる者なるも、
人の癡迷(ちめい)する処(ところ)に遇(あ)えば、一言(いちげん)を出(いだ)して之を提醒(ていせい)し、人の急難(きゅうなん)する処(ところ)に遇(あ)えば、一言を出してこれを解救(かいきゅう)す。
亦(また)是れ無量(むりょう)の功徳(くどく)なり。