『正法眼蔵』のような難解な大著はなかなか自分では読まないから、こうやって短期間でエッセンスだけを解説してもらうのが良い。
まとめると、自我を滅却して、ありのままの世界を眺めるべし、ということらしい。すると、すべてのものは仏性であり、現在がすべてであることがわかる。自他の区別も無く、生死の区別もなく、迷悟の区別もない。生活のすべてが修行である。
こういう世界観は哲学であるともいえるが、反哲学でもある。何でもいっしょくたに仏性にしてしまうと、あまり議論することがなくなるからだ。というわけで、この解説でも最後に「不戯論(ふけろん)=無駄な言葉遊びの議論はするな」というのがでてくる。それで、議論じゃなくて修行だよということになるから「只管打坐」という話になる。そんなことを言っている割に『正法眼蔵』という小難しい大著を書いてしまうというのが、道元の哲学的なところであろう。