『永遠平和のために』は、国連の原点とも言える著作で、憲法第9条を考える上でも参考になる。
●今手に入れやすい訳本としては、集英社版、光文社古典新訳文庫版、岩波文庫版が出ている。岩波文庫版は、本屋で立ち読みしてみると、きわめて読みづらい。光文社古典新訳文庫版は「100分de名著」が採用していることからみても、しっかりしているようである。集英社版は、写真と組み合わせて美しく構成されており、日本語も翻訳で有名な文学者が訳しただけあって、こなれていて読みやすい。私が集英社版を選んだのは、YouTube で訳者のインタビューを聞いたからである。あとがきにも書かれている通り、綜合社(集英社)の編集者の池氏から編集者生活最後の仕事にしたいとして持ち込まれたものだそうである。編集者と訳者の意気込みが感じられたので、集英社版を読むことにした。集英社版は本文は全訳だが、補説と付録は抄訳である。
この補説と付録が抄訳であることは、あっさりしていて良いといえばよいのだが、後述のようにカントの考えが十分に読み取りづらくなっているので、問題がある。その意味で、「100分de名著」で光文社古典新訳文庫版が採用されているのは、当然の選択のようである。
集英社版のあとがきによると、カントの文体は古くて難しいので、読みやすくするように学問用語にこだわらないように工夫したそうである。上に引用した M.C. Smith の英訳も部分的に見ただけだが、わかりやすいようである。
●カントの考え方で、注目すべきことの一つは、「100分de名著」の第3回で取り上げられている第一追加条項(光文社古典新訳文庫版)あるいは補説1(集英社版)である。ここでは、自然の摂理として平和が導かれるという考え方が述べられている。ここでは、人間社会のありさまを、人間の本性から論理的に説明しようとする姿勢が見られる。カントは、いわば自然科学的に人間社会をとらえようとしている。
しかし、集英社版は、この補説は抄訳であるために、この「自然の摂理」の部分があまり明確ではない。結局、平和は人間の努力によってもたらされるかのように読めてしまう。正しくは、平和は、理性が自然の摂理の力を借りて達成するものである。要するに、ちゃんとしたオツムで考えれば戦争をしたら損だとわかるから、人間はソロバンをはじいて自然と戦争をしないようになるということである。
カントは、そう考えた上で、「自然の摂理」にしたがった社会体制がいかにあるべきかと「人間社会工学」しているのである。その結果が「国際連合」であったというわけだ。この第一追加条項(補説1)は、カントの考え方が科学的であることがわかる重要な部分である。もちろん内容自体は、今から見れば人間に関する科学的な知識が不足していた時代のものなので、改めて考え直す必要があるとは思う。たとえば、人間はもともと邪悪であるという人間観もいろいろな但し書きが必要になるだろう。
●「100分de名著」の第4回で取り上げられている付録の集英社版抄訳も問題がある。「100分de名著」でしっかり解説されているように、ここではカントが道徳を形式によってとらえているという部分がポイントである。にもかかわらず、この抄訳ではそれがわからない。「道徳」を「モラル」と訳しているのも問題である。カントにおいては従来から「道徳」の訳語が定着しているはずで、それはカント流に解釈されなければならないので、注釈無しに勝手に訳語を変えてはいけない。
●人間を好戦的だと考えたことを含めて、カントの考え方を理解するうえでは、時代背景も重要である。集英社版の解説によると、重要な時代背景は、(1) 啓蒙思想の時代であることと (2) ヨーロッパではしょっちゅう戦争が起きていたことがあるようだ。戦争が多いので、もともと人間は放っておくと戦争を起こすという人間観を取った。啓蒙思想の時代なので、国際社会の契約によって平和をもたらそうと考えた。
当時のヨーロッパの戦争の多さには驚く。集英社版の解説によると、1740-1748 オーストリア継承戦争、1756-1763 七年戦争、1768-1774 露土戦争、1778-1783 アメリカ独立戦争の一環としての英仏戦争、1778-1779 バイエルン継承戦争、1789 フランス革命とそれに引き続く動乱等々。日本にも戦国時代はあるが、それ以外はそれほど戦争が多いわけでもない。現代では、ヨーロッパ内部ではさすがに戦争が起こらなくなったが、現在でも欧米は戦争を輸出しているので、欧米人は好戦的だと思う。
●第2章の、永遠平和のために必要な確定条項には、正しいかどうかはともかくそれぞれに興味深いことが書かれている。 その1では共和制、その2では国際連合、その3では友好の条件(「100分de名著」では、「歓待の権利」)が永遠平和のために必要であるとしている。
その1のところでは、共和制と民主制とを異なるカテゴリの概念だとして区別し、民主制は専制になるとしているのが勉強になった。その意味は以下の通りである。 国家の支配者に関する区分として、君主制、貴族制、民主制がある(ここでの「民主制」は、直接民主制のことである)。その一方で、統治の形態として、共和制と専制がある。共和制と専制は、共和制では立法権と行政権が分離しているのに対し、専制では立法と行政が同じ主体によってなされるということで区別される。民主制では、少数者の意見が通らないので、全員ではない全員が立法と行政の両方を行うということになり、これはすなわち専制であるとする。代表制のみが共和的な統治を実現する。
いま、民主制が当然のこととされ、住民投票のような直接民主主義的な制度による決定が絶対のような考え方がややもすると出てくるのだが、それは正しくないことに気付かされる。
●憲法第9条を考える上で参考になるのは、第1章に書かれた6つの条項の3番目だ。
常備軍は、いずれ一切廃止されるべきである。「100分de名著」の解説によれば、この常備軍は傭兵を使った軍隊と見るべきで、 自衛のための組織(いわば、自衛隊)とは区別されるべきだとしている。実際、この第3項の説明にも
ただし国民が期間を定め、自発的に武器をもって訓練し、みずから、また祖国を他国からの攻撃にそなえることは、まったくべつのことである。としてある。これに対し「常備軍」に関しては
常備軍はつねに武装して出撃の準備をととのえており、それによって、たえず他国を戦争の脅威にさらしている。と書いてあり、他の国を攻撃するのが常備軍の役割であることがわかる。というわけで、ここは、自衛隊を正当化する論理と全く同じことであることがわかる。
●集英社版の訳には、実は、変なところも少しある。光文社古典新訳文庫版のほうが明らかに良い場所を一つ見つけた。第2章その2(第2確定条項)の最後のあたりである。以下の場所では、「消極的な」をポジティブに評価しないといけないのに、集英社版では「生まれるだけだろう」と書いてあるので、ネガティブな評価であるかのように読めてしまう。
[集英社版] そのため「一つの世界共和国」という積極的な理念に代わり、消極的な代替物が生まれるだけだろう。戦争を抑え、持続しながら拡大する連合という消極的な方法だけが法に逆らう敵対関係をさしとめる。
[光文社古典新訳文庫版] だからすべてのものが失われてしまわないためには、一つの世界共和国という積極的な理念の代用として、消極的な理念が必要となるのである。この消極的な理念が、たえず拡大し続ける持続的な連合という理念なのであり、この連合が戦争を防ぎ、法を嫌う好戦的な傾向の流れを抑制するのである。
[M.C. Smith 英訳] Hence, instead of the positive idea of a world-republic, if all is not to be lost, only the negative substitute for it, a federation averting war, maintaining its ground and ever extending over the world may stop the current of this tendency to war and shrinking from the control of law.
[M.C. Smith 英訳からの私訳] したがって、すべてを失ってしまうようなことがないようにしようとするなら、 世界共和国という積極的な考えではなく、代わりに消極的な考え、すなわち戦争を避けるための基盤のぶれない世界的連盟だけが、法による支配を嫌がって戦争に走りがちな流れを抑えることができる。