レヴィ・ストロース 野生の思考

著者中沢新一
シリーズNHK 100 分 de 名著 2016 年 12 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2016/12/01(発売:2016/11/25)
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読了2016/12/26

『野生の思考』は 1962 年に発表された。そういえば、トマス・クーンの『科学革命の構造』も 1962 年だった。 この有名な二作には共通するものがある。『野生の思考』では、呪術も科学も考え方は同じだとされ、 『科学革命の構造』では、天動説も地動説もどちらも立派なパラダイムであって比較できないとされた。 つまり、進歩をある種否定し人間は昔から変わらないのだということを強調している。 これは、時代の空気としては理解できる。それまでの進歩史観の生きすぎを反省し、現代の先進国人が一番賢いのだというような驕りを否定したのだ。 人間の頭は生物学的には homo sapiens になってからは変わっていないはずだし、民族による差もほとんどないはずだから、現代の先進国人が一番賢いというような考えが驕りであることは確かである。 実際問題としても、レヴィ・ストロースが確かに観察したように、いわゆる未開社会においても高度な理窟が操られている。 時代としても、1960 年代にはアフリカが植民地支配から次々に独立し、世界が平等になっていった時代とまさに呼応している。

しかしながら、今になってみると、人間の能力に基本的には昔も今も民族によっても優劣が無いにしても、 科学や技術の成果に進歩を認めることはもちろんして良いように思う。科学の論理と呪術の論理はやはり違う。 科学の論理は、むしろ人間にとって不自然なのだが、真理を追い求める中で不可避的に発生してしまった。 で、それは結果的に優れていたと見るべきだと思う。

中沢氏は、レヴィ・ストロースを、『野生の思考』だけにとどまらず他の著作も含めた全体の中で紹介している。 語り口は、軽やかである。しかし、逆に、『野生の思考』を現代のいろいろなことに応用するやり方は、軽過ぎる感じがすることも否めない。何でも「野生の思考」に結びつけようというのはやりすぎではないかという気がする。人間の思考のうち「野生」の部分がどれで、そうでないのはどれかということをもっときちんと分けてほしい気がする。それは、脳科学をある程度は援用して行われるべきだと思う。

最後の回は日本文化論であった。レヴィ・ストロースには『月の裏側~日本文化への視角』という著作があり、 日本文化を称揚してくれているとのこと。中沢氏が言うとおり、日本人とすればありがたいことである。

「100分de名著」放送時のメモ

第1回 「構造主義」の誕生

野生の思考
人間の思考には、野生状態があると考える。それが「野生の思考」。
『野生の思考』は 1962 年出版。普遍的な人間の思考があるという考えが書かれている。思想界に大きな影響を与えた。
歴史や進歩ではなく、構造という原理が重要だと考えた。 未来に向かって発展するという考え方は誤りだと考えた。
自然界の秩序と人間の思考の秩序は、同じ構造を持つととらえる。ヨーロッパの近代文化は、自然と人間を分けた。レヴィ・ストロースは、それと反対に、自然と人間は分けられないと考えた。
構造
レヴィ・ストロースは構造言語学の考え方の影響を受けた。人間は、少数の音素を取り出して、それを組み合わせてコードにしてコミュニケーションをしている。
人は、自然から少数要素を取り出して構造を作る。そこから文化が生まれた。
先住民の思考
どんな民族も徹底的に自然を研究している。
それまで、トーテミズムは論理以前の思考方法とされてきた。レヴィ・ストロースは、トーテミズムは世界を分類し体系化する高度な表現方法だと分析した。
人間社会の分類と自然の分類とを対応させるのが、トーテミズム。トーテミズムは、データベースの体系。
日本でも、暖簾を背負うというのが、信用の象徴になっていたりする。

第2回 野生の知財と「ブリコラージュ」

ブリコラージュ
ブリコラージュ=適当に材料を集めてものをつくること。ありあわせのもので作ること。
これが未開社会の思考方法だとレヴィ・ストロースは考えた。
科学的思考では、概念を用いて思考を無駄なく組み立てる。これに対し、ブリコラージュでは、思考をありあわせの記号で作るので、常にゆらぎやずれが発生する。
日本の女子高生のおしゃれや造語もブリコラージュ。
神話
ブリコラージュの一番華やかな作品は神話である。
オーストラリア原住民の虹の蛇の神話。タブーを侵した姉妹が村から逃げ出す。姉が池の水を汚したので、怒った大蛇が姉妹と子供を飲み込む。大蛇は鎌首を持ち上げると大洪水になるが、蛇が池の底に戻ると洪水も引く。
虹の蛇の神話を読み解く。雨期は洪水の起こる悪い季節で、男性や蛇と結び付けられる。乾期は食べ物が豊富にある良い季節で女性と結び付けられる。蛇が女性を飲み込むという物語によって、雨期と乾期の繰り返しと生命の発生が結び付けられている。良いものと悪いものが絡まりあって世の中ができてくるということをこのような神話が物語る。神話は哲学の始まりである。
呪術と科学
呪術的思考は、新石器時代に確立された。これは農業革命に起因する。
呪術と科学は知的操作の性質としては同じもので、対象が違うだけである。
現代の科学も呪術的思考の中に準備されていた。近代科学を始めたケプラーやニュートンも占星術を行っていた。
近代になると、科学的思考によらなければ、人間社会をつないでゆくことができなくなった。 しかし、このままでは続かない。現代人も「野生の思考」を取り入れなければならない。

第3回 神話の論理へ

ブリコラージュの例
ブリコラージュは、神話、儀礼、呪術として現れる。今回はその例を見て行く。
アメリカのヒダツァ族の狩り
鷲は高貴な鳥なので、血を流さないで撮る。うさぎで呼び寄せて絞め殺す。
鷲の狩りをするとき、うさぎの肉と血で鷲を引きつける。一方で、生理中の女性も狩りに参加させる。経血がうさぎの血を象徴する。
「野生の思考」が自然と文化の矛盾を解消してゆく。
火あぶりにされたサンタクロース
1951 年、フランスのディジョンで、キリスト教原理主義者がサンタクロース人形を火あぶりにした。
もともとクリスマスは、死者が徘徊する冬至の祭り。
キリスト教では、冬至の闇の世界にキリストが光をもたらしたという形で、冬至の祭りをキリスト生誕祭に取り込んだ。
ペールノエルは、なまはげのようなものだった。
近代になって、子供の守護聖人である聖ニコラウスがサンタクロースとして登場するようになった。
冬は死者に贈り物をする贈与の季節。
近代資本主義によって、アメリカの商業主義が混ざった。 これは、贈与という「野生の思考」の復活したものともいえる。
サンタクロースに野生と異教の復活を感じ取ったキリスト教原理主義者がサンタクロースを火あぶりにした。
現代に必要とされる「野生の思考」
情報検索は、コードの分析という「野生の思考」。コードに従った分類をする。
研究情報のシェアリング=情報の贈与。これによって科学的な知識が拡大している。

第4回 「野生の思考」は日本に生きている

レヴィ・ストロースと日本
レヴィ・ストロースは1977年、初来日。日本では、職人たちの調査をした。
日本の文化では、野生の思考と現代の科学技術がうまく調和している、と称賛している。
西洋の「労働」は、日本の「はたらく」とは違う。西洋の「労働」は苦役、日本の「はたらく」は喜び。
プラクシス(実践)とポイエーシス
プラクシスは、事物を使用者のために使う。ポイエーシスは、事物をそれ自身の目的のために使う。ポイエーシスは「民藝」につながる。
西洋のキリスト教の概念では、人間には原罪があるので、罰として苦役をしないといけない。日本の職人にとっては、はたらくことが喜び。
人間と自然
里山は、自然と人間との仲間同士という関係の中に生まれた。
暁斎の絵に、カエルが人間のように戦争をする見事な図がある。
ポケモンは、「野生のポケモン」が飛び出してきて、人間の中に取り込まれる。
日本料理
日本料理にはディヴィジョニズムがある。素材が混ざらないように分けてある。
素材にあまり手を加えない。
築地市場は「野生の思考」の拠点の一つ。

放送テキストのサマリー

第1回 「構造主義」の誕生

反歴史主義としての構造主義
『野生の思考』は、当時の時代の寵児であったサルトルへの反旗であった。
『野生の思考』が書かれるまでのレヴィ・ストロース
1908 年生まれ。哲学、法学を学ぶ。
1935 年、サンパウロ大学の社会学教授になる。1937 年、フランスに戻る。
1938 年、アマゾン奥地の調査旅行。
1939 年、戦争に召集され、マジノ線へ。
1940 年、フランスがドイツに降伏、アメリカに亡命。船中で詩人アンドレ・ブルトンと友人になる。
ニューヨークで構造主義言語学者ローマン・ヤコブソンと会って、意気投合。構造言語学に深く影響を受けて、 「自然」から少数の要素を取り出して構造を作ったものが「文化」だという着想を得る。
数学者アンドレ・ヴェイユとも知り合い、ヴェイユは群論を使って先住民の親族構造を分析した。
戦後はフランスに帰国し、1949 年、コレージュ・ド・フランスの教授になる。神話の研究を行うとともに、 トーテミズムを再検討した。トーテミズムとは、自分の先祖が自然界の存在(トーテム)と深いつながりを持つという考え方である。
レヴィ・ストロースは、従来トーテミズムで説明されていたものを、分類思考から生まれた相関と対立のシステムで説明した。

第2回 野生の知財と「ブリコラージュ」

具体の科学
いわゆる未開社会の人々も自分たちの周りの世界を詳しく観察している。そこでは分類体系とそれを組み合わせる「構造」が使われている。 これが「具体の論理」である。
連続的な自然を縮減して、文化的な構造単位が作られる。
ブリコラージュ=日曜大工。記号を組み合わせて神話ができる。
冷たい社会と熱い社会
人口や出来事が過剰になると、構造が卓越した「冷たい社会」が熱くなり、世界の成り立ちが構造からあふれてしまって、構造が破綻する。
そのようにしてできた近現代のような「熱い社会」では、歴史や進歩という考え方が重要になってくる。
構造
レヴィ・ストロースの「構造」とは、トポロジカルな構造のこと。

第3回 神話の論理へ

構造
人は、鳥と犬と牛と馬に違った種類の名前を付ける。これは人類に普遍的な分類形式である。トーテミズムもその中の特殊ケースとして理解できる。
オーストラリア先住民の婚姻は非常に複雑な規則に則っている。
神話の論理
オーストラリアのムルンギン族に虹の蛇の神話がある。蛇は雨期と男の象徴で、女と乾期が結び付けられている。 これによって、雨期と乾期の繰り返しと生命の発生が結び付けられる。
クリスマスは、異教の冬至の祭りがキリストの生誕祭に取り入れられたものである。古代の異教社会では、冬は贈与の季節であった。 それが現代の資本主義の中の商戦に取り込まれた。
未来の野生の思考
進化もありあわせの遺伝子を組み合わせたブリコラージュである。
これから「野生の思考」を活用する時代が来るだろう(と著者は考える)。

第4回 「野生の思考」は日本に生きている

レヴィ・ストロースと日本
レヴィ・ストロースは 1977 年から 1988 年まで 5 回来日している。日本に深い関心を抱いた。
日本の職人の仕事は「ポイエーシス」的である。「ポイエーシス」とは、事物をそれ自身の目的のため、あるいは使用する目的のために作り出すことである。これに対し「プラクシス」は、事物を使用者が自分自身の目的のために使うことである。「用の美」がポイエーシスに相当する。
日本の人々は「自然を人間化する」とレヴィ・ストロースは語った。これは『鳥獣戯画』などのイメージである。著者は、ポケモンやゆるキャラも「自然の人間化」だと考え、「野生の思考」が生きているのだと考える。
日本の料理には「ディヴィジョニズム」がある。すなわち、自然の素材をなるべくそのまま並べ、他の食材と混ざらないようにする。築地市場でも、魚介が種類によって分けられ、色彩が美的に配置される。
日本文化においては、科学技術と「野生の思考」が共存している。