『野生の思考』は 1962 年に発表された。そういえば、トマス・クーンの『科学革命の構造』も 1962 年だった。 この有名な二作には共通するものがある。『野生の思考』では、呪術も科学も考え方は同じだとされ、 『科学革命の構造』では、天動説も地動説もどちらも立派なパラダイムであって比較できないとされた。 つまり、進歩をある種否定し人間は昔から変わらないのだということを強調している。 これは、時代の空気としては理解できる。それまでの進歩史観の生きすぎを反省し、現代の先進国人が一番賢いのだというような驕りを否定したのだ。 人間の頭は生物学的には homo sapiens になってからは変わっていないはずだし、民族による差もほとんどないはずだから、現代の先進国人が一番賢いというような考えが驕りであることは確かである。 実際問題としても、レヴィ・ストロースが確かに観察したように、いわゆる未開社会においても高度な理窟が操られている。 時代としても、1960 年代にはアフリカが植民地支配から次々に独立し、世界が平等になっていった時代とまさに呼応している。
しかしながら、今になってみると、人間の能力に基本的には昔も今も民族によっても優劣が無いにしても、 科学や技術の成果に進歩を認めることはもちろんして良いように思う。科学の論理と呪術の論理はやはり違う。 科学の論理は、むしろ人間にとって不自然なのだが、真理を追い求める中で不可避的に発生してしまった。 で、それは結果的に優れていたと見るべきだと思う。
中沢氏は、レヴィ・ストロースを、『野生の思考』だけにとどまらず他の著作も含めた全体の中で紹介している。 語り口は、軽やかである。しかし、逆に、『野生の思考』を現代のいろいろなことに応用するやり方は、軽過ぎる感じがすることも否めない。何でも「野生の思考」に結びつけようというのはやりすぎではないかという気がする。人間の思考のうち「野生」の部分がどれで、そうでないのはどれかということをもっときちんと分けてほしい気がする。それは、脳科学をある程度は援用して行われるべきだと思う。
最後の回は日本文化論であった。レヴィ・ストロースには『月の裏側~日本文化への視角』という著作があり、 日本文化を称揚してくれているとのこと。中沢氏が言うとおり、日本人とすればありがたいことである。