ルソー エミール

著者西研
シリーズNHK 100分de名著 2016 年 6 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2016/06/01(発売:2016/05/25)
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読了2016/06/28

『エミール』は、有名な教育論である。しかし、心配になるのは、ルソーがこうして頭で考えたことが、現在ではどの程度実証されているのか、あるいは誤りがわかっているのかということである。現代の目から見て間違っていることが多いとすれば、今更名著とする意味があるのかどうかは疑問だと思う。

しかし、最後まで読んでみると、『エミール』から学ぶべきことは、どうやら教育論ではないようである。むしろ、その底に流れている社会契約の考え方や、共感の考え方などから、民主主義や自由主義が現在陥りがちな罠を確認することにあるようだ。現代の自由主義は、人々のつながりを弱めると同時に、格差を生んだりポピュリズムをはびこらせたりしている。その危険性をルソーは正しく危惧して、そうならないような教育をしようとしている。そこに学ぶべき点があるようだ。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 自然は教育の原点である

『エミール』の全体像
成長段階に応じて、5編に分けて、教育論が書かれている:第1編(0-1歳)、第2編(1-12歳)、第3編(12-15歳)、第4編(15-20歳)、第5編(20歳以降)。
子供には、発達段階に応じた教育をすべきだとした。これは、当たり前のようだが、当時の上流階級では、子供を「小さな大人」とみなし、古典の暗誦などをさせるのが良い教育とされてきた。それに対する批判である。
ルソーは文明に批判的だが、原始状態に戻れと言っているのではなく、教育でコントロールすべきだとしている。
3種類の先生による教育
自然の教育=先天性
人間の教育=普通の意味の教育
事物の教育=経験から学ぶ
「自然人」と「社会人」の対立の克服
「自然人」は「自分のため」に生きる。「社会人」は「みんなのため」に生きる。
15 歳までは「自然人」として育て、それ以後「社会人」として育てる。15 歳までは、他者との競争心が出たり他者から褒められたりしたくなるような環境を取り除く。
一般意志
「一般意志」は『社会契約論』の中心的な概念。『エミール』ではそのような社会を担える人間を育てようとする。
一般意思=本当の意味で全員が望むこと
「自分のため」と「みんなのため」を矛盾させないようにする。
ルソーの生涯
J.-J. ルソーは都市国家であったジュネーヴで生まれる。母親は早く死に、父親は J.-J. が 10 歳の時決闘沙汰でジュネーヴから逃亡し、J.-J. は孤児同然になる。
15歳でジュネーヴを出る。そのうち、ヴァラン夫人のうちに転がり込む。そこで、いろいろな本を独学で学ぶ。
給仕や洗濯などをしていたテレーズとの間にできた5人の子供を孤児院に預けていた。これがヴォルテールによって暴かれ、スキャンダルとなった。
ルソーは、文明に対して批判的であった。そこが、他の啓蒙思想家と違うところであった。

『エミール』第一編 乳幼児期 (0-1歳)

自然の発達に従わせる
エミールは孤児で、田舎で家庭教師と乳母が育てる。
ルソーは、運動能力を発達させることが大事だとした。
当時の上流階級では、子育ては乳母に任せきりで、拘束されたりしていた。
ルソーは、習慣をつけさせない、暴君にしないことに注意すべきだとしている。こういったことは今から見れば疑問。
最近の児童精神医学によると、母親が子供の訴えを理解することが、子供の感覚を育てることにつながることがわかっている。

第2回 「好奇心」と「有用性」が人を育てる

『エミール』第二編 (1-12歳)

全体の方向性
自然人教育をしようとしている。英才教育ではない。
欲望と能力のバランスが取れていると人間は幸福になる。
経験によって学ばせる
正義を学ぶ~「そら豆」のエピソード
エミールはそら豆を植える。しかし、あるときそれが掘り返されていた。それは庭師のロベールのやったことだった。 そら豆が植わっていた場所に実は先にロベールがメロンの種を植えていたのだった。家庭教師は謝罪。その後、エミールと家庭教師は畑の隅を少しだけ使わせてもらうことにする。
このようにして、エミールは、「所有」や「正義」の観念を学ぶ。
感覚と運動を育てる
感覚を比較させたり連動させたりして、感覚的な理性を育てる。
現代に応用するための著者の論点
「自由」の前提としての適切な「依存」:エミールが自由に振舞える前提としては、家庭教師が見守っているという前提がある。つまり、自立の前提に依存がある。
「ほめられる快」をどう見るか:ルソーは、褒めることをネガティブに評価している。褒められるためにやる人間にはさせたくない。しかし、一方で、人間は褒められたい。

『エミール』第三編 (12-15歳)

全体の方向性
研究の時期、勉強の時期
好奇心を刺戟して、知的・抽象的な把握を鍛える。
好奇心を刺戟する
太陽の軌道について考えさせる。質問に答えてはいけない。自分で考えさせる。
「問題発見・解決型学習」「アクティブラーニング」のルーツとも言える。
有用性があると思うとモチベーションが上がる~「モンモランシーと森」のエピソード
「近くの森が、エミールが暮らしているモンモランシーの北にある」ということを知っていることが何の役に立つのかを教える。あるとき、森で道に迷う。森が北にあるという知識があれば、南に行けばよいことがわかる。そこで、地理的知識が役に立つことがわかる。
この段階で初めて読書を許す。まず最初は『ロビンソン・クルーソー』を読ませる。
労働と社会関係について学ぶ
分業と交換を学ぶ:10人社会モデルで、分業の役割を学ぶ。

第3回 「あわれみ」を育て社会の基盤に!

『エミール』第四編 (15-20歳)

全体の方向性
他者への共感力を育む。
穏やかな情念 passion は、自己愛 amour de soi から生まれる。 自尊心 amour propre (競争心)からは、苛立ちやすい情念が生まれ、満足することがない。
「人間を本質的に善良にするのは、多くの欲望を持たないこと、そして自分をあまり他人とくらべてみないことだ。」
共感力
人間の弱さや苦しみに対する共感が助け合いの気持ちを生む。
三つの格率
  1. 気の毒な人には共感できるが、幸福そうな人には共感できない。だから、一見幸せそうな人の寂しい一面を見ることも覚えさせなければならない。
  2. 人は、自分も免れられないと考えている他人の不幸をあわれむ。だから、不幸は自分にも起こりうるのだということをよく理解しなければならない。
  3. 人は、相手の苦しみがどの程度かと思うかによって同情の強さが変わる。尊敬できる人にしか共感できない。だから、人を軽蔑したりしてはいけない。
人の不幸を哀れむとき、自分の幸福を感じても良い。その余裕を他人のために使えば良い。善行は、自分は良いことをしているという喜びに支えられて成立する。
社会・歴史の教育
社会を知ることと人間を知ることとは相互に役立つ。
伝記を読ませるのが最適。
宗教教育~「サヴォワの助任司祭の信仰告白」
若き日のルソーのエピソードが挿入される。
生き方の原則を内面から考える。この態度は聖職者というより、哲学者。
「神」の存在証明:物体には静止状態と運動状態がある。人間や動物は意志をもって運動するけれども、 地球や太陽は意志ある者によって動かされていると考えられなければならない。その者こそが神である。
人間には自由意志がある。良い意志もあれば、悪い意志もある。そこで、人間には戦争などの悪いことが起こる。
ルソーは宗教的不寛容に反対で、このような理神論的な宗教観を書いていたので、『エミール』は発禁になってしまった。

第4回 理想社会のプログラム

『エミール』第五編 (20歳以降)

ルソーの女性教育論
女性は男性をサポートするという今から見ると保守的な女性観を持っていた。
女性は家の仕事を覚えるようにさせ、算数などの有益な勉強をさせる。
花嫁候補ソフィー
エミールは、田舎で雨宿りさせてもらった家で、その家の娘のソフィーと恋仲になる。
家庭教師はエミールに、欲望に支配されないようにと諭す。きみは君自身の支配者になることを学ぶと良い、と言う。 この根底には、自分で自分をコントロールするときにこそ自由があるという思想がある。
家庭教師はエミールに、2年間結婚を待ち、その間ヨーロッパ各国を回って社会と政治を学ぶように言う。
社会契約論の骨子
力では支配できない。約束と合意のみが正当性を生む。
ルソーの社会契約の考え方では、自分のものを国家に預ける(一般意志に委ねる)が、管理権は個人に戻される。公共権が優先する。
これに対して、ロックの考えでは、所有権や自由は絶対的。それは、リバタリアンにつながっている。
一般意志と教育
一般意志 volonté générale とは「みんなが欲すること」という意味。議会で話し合うことで、法として具体化される。
一般意志は、お互いの意見や希望を出し合う中で見えてくる。
「一般意志」と「全体意志」とは異なる。「全体意志」は単なる「個別意志」の積み重ね(数の論理)であるのに対し、「一般意志」では様々の立場の人の意見を聞いた結果出てくるもの。
エミールが学んだこと
エミールは、自由に生きようとする。
エミールは、フランスの農村でソフィーと暮らすことにする。
家庭教師は、エミールの明るい未来を予期して終わる。
まとめ
対話の関係を育てることがポイント。