新年早々に楽しく読んでしまった。ブッダはずいぶん昔の人だから、どんな人だったかは証拠に乏しく、したがって、実際はいなかったかもしれないというだけなら誰でも言えるわけだが、本書はそれよりはもう一歩進んでいて、今ブッダの生涯とされているお話は複数の話を統合したもので、もともと複数のブッダ(悟った人)がいたのだということをある程度実証的に示す(もともとそれほど証拠はないのだから、本当に実証したと言えるほど確実に言うことはたぶん無理)。著者は、仏伝のみならず、仏教思想の内容に関しても、もともと集団で徐々に作り上げられたものであると見る。そこで、仏教というのは、本質的に絶えず変化する宗教であると考える(仏教そのものが無常!)。すると、上座部仏教やテーラワーダ仏教が本当の仏教で大乗仏教はニセモノということにはならない、というのが著者の主張である。つまり、仏教においては、正統とか異端とかいうものは無いのだとして、大乗仏教をどちらかといえば評価する、というのが本書の特徴である。なかなか刺激的であった。
サマリー
第1章 「勧進帳」の瞿曇沙弥
日本では、江戸時代までは、原始仏教のことは知られていなかった。仏伝として知られていたのは、以下のようなものである。
- 『今昔物語』。かなり多くの部分は仏教説話である。ブッダの生涯は、托胎→出生→受楽・四門出遊→出家→苦行→降魔→成道(じょうどう、悟りを得ること)→初転法輪、というふうに語られる。『今昔物語』の典拠は、過去現在因果経、『釈迦譜』などである。
- 『釈迦の本地』(室町時代)。托胎→四門出遊→競技武芸・結婚→出家→降魔成道→涅槃、というふうに語られる。
- 『釈迦八相物語』(江戸時代)1666 年刊行。
- 『釈尊御一代記図会』山田意斎(文)、葛飾北斎(画)。1840 年ころ刊行。全6冊。悉達(しった)太子 (Gautama Siddhārtha) は、宮中を出てから阿羅邏仙に会い課題を与えられる。太子は、そのやり方がわからなかったので、阿羅邏仙から金剛杖で打ち据えられる。その後、12年の苦行を経て、成道。
なお、章タイトルの瞿曇(くどん)は Gautama 、沙弥(しゃみ)は śrāmaṇera の音写である。
第2章 近代仏教学が教えてくれたブッダの生涯
明治時代になってはじめて、「仏教」ということばが使われるようになり、「宗教」ということばが religion の訳として使われるようになった。それまでは、「宗教」は「宗派の教え」という意味であった。
現在の仏教学におけるブッダの生涯の理解は、以下のような本で見ることができる。
- 中村元 (1974) 『原始仏典』(筑摩書房)。パーリ語仏典からの引用。
- 三枝充悳(さいぐさみつよし) (1990) 『仏教入門』(岩波新書)。ブッダの生涯は、できるかぎり粉飾を避けて述べられている。
- 平岡聡「仏伝からみえる世界」 in 『新アジア仏教史』(2010-2011, 佼成出版社)。神話的記述も含めて紹介。
しかし、中村元がまとめたものも、いろいろな経典からの話を混ぜており、実際の姿かどうかは怪しい。
第3章 ブッダの教えは本当に残されているのか
イエス・キリストでさえ、実在ははっきりしないのに、それより古いブッダはなおさらはっきりしない。
最も古いとされる『スッタニパータ』第4章、第5章も誰が語ったものか良くわからないし、語られていることもきわめて単純であっけない。
第4章 「仏伝」はどのようにして生み出されてきたのか
「ブッダ」は、サンスクリット語で悟った人間という意味である。並川孝儀「原始仏教の世界」(in 『新アジア仏教史02』佼成出版社)によれば、パーリ語仏典では、ブッダが複数形で使われることも多いことを指摘している。
仏教彫像として最初に作られたのは、仏塔(ストゥーパ)である。島田明「造形と仏教」(in 『新アジア仏教史02』佼成出版社)によれば、昔の仏伝図では、出家や成道や涅槃が関連付けて描かれてはいなかった。ということは、もともとブッダは一人の人を指すものではなく、複数の人物のバラバラのエピソードがあって、それがやがて集められて一人のブッダという人物像が作られたのではないか。
日本に伝えられた仏伝は、おそらくもともとは 1~2 世紀に書かれた『ブッダチャリタ』(漢訳『仏所行讃』)であろう。
第5章 ブッダの教えとは何か
ブッダの教えとされるものも、最初はバラバラだったものがやがて体系化されたものであろう。たとえば、『スッタニパータ』のような古い経典では、苦や無我はたくさんでてくるものの、無常はあまり出てこない。これら3つの概念は、後からきちんと結合されたのではないか。
『スッタニパータ』で最も古いとされる第4章と第5章の内容は以下のようなものである。第4章は、他宗教や他思想の批判。第5章は、正しく修行をすれば、現世において涅槃の境地に至るということが書かれている。縁起説が現れるのは後に書かれた第3章で、十二縁起説として確立するのは『サンユッタ・ニカーヤ』などのもう少し新しい経典においてである。また、四諦は『スッタニパータ』第3章に出てくるが、八正道は出てこない。このように、理論は初めからあったのではなく、時間をかけて作られたものであるようだ。
八正道は平凡だし、無常や無我という概念と整合的かどうかも疑わしい。大乗仏教の教えの方が実践的だし、内容も豊かだ。
インドでは、仏教は、バラモン教やヒンドゥー教と区別されるものではなく、多様な宗教思想の一部でしかない。
第6章 仏教はどのように誕生したのか
仏教は、ジャイナ教の厳しい禁欲を否定して生まれた。仏教の特徴は僧伽(サンガ)という宗教集団を持っていたことである。そこで、組織運営の問題として戒律が重要になる。
仏教では、キリスト教やイスラム教と異なり、共通聖典がない。であればこそ、自由度が高い。と同時に、根元となるものは存在しない。