これまで『歎異抄』に触れる機会はなかったが、現代語訳と解説付きで読んでみると、短いしわかりやすくてすぐに読める。角川ソフィア文庫版の現代語訳は平易でわかりやすい。ただし、電子書籍で読むときは、原文と現代語訳と巻末解説が離れたところにあって、移動するときにいちいち目次に行かないといけないのが煩わしかった。もっと簡単に行き来できるように工夫して欲しい。
親鸞教は初期仏教と正反対みたいな宗教なので、ある種の堕落かと思っていたのが、これまで『歎異抄』を開いてみようとも思っていなかった理由の一つである。しかし、『歎異抄』に触れてみると、これはこれで清々しいし哲学的だということがわかった。神秘的な面を除いて一口で言えば、謙虚にありのままの自分を認めて生きよという思想だと思う。人間一人一人の考えたりやったりすることはどうせロクでもないと思っておれ、というわけである。
親鸞の教えから阿弥陀仏を取り除いて自然の摂理に置き換えると、これは決定論(自由意志否定論)から導かれる生き方の指針と見ることも出来る。決定論の倫理的な問題は、悪いことをしても責任はないのかということにある。『歎異抄』でも、第十三条では、悪人正機なら悪いことをわざとしても良いのかという問題が扱われる。これに対し『歎異抄』はこう答える。まず、この世の行いは宿業(宿善・悪業)のせいだと断ずる。これは、過去の因果がものごとを決めているとする意味で決定論である。本当を言えば、元々の仏教が解脱を目指していたインド思想的輪廻観が反映しているので、ちょっと変な感じもするが、ともかく宿業論を決定論とみなすことにしよう。そこで、善いことをするのも悪いことをするのも自分では決められないとする。とはいえ、わざと悪いことをするのは、「くすりあればとて、毒をこのむべからず」と戒める。しかし、そうはいっても、善悪の区別もそう簡単ではないので、阿弥陀仏に身をゆだねなさい、とする。今風に言えば、決定論なので、自由とか責任とかは無いし、凡夫には善悪の判断も難しいけれど、謙虚に自省を繰り返して生きましょう、という生き方案内になっている。
とはいえ、わざと悪いことをすることを戒める論理はこれではもちろん弱い。善悪の判断は凡夫には難しいというようなことを言ってしまうと、弱くなるのはやむを得ない。しかし、善悪の判断は難しいという一方で、仏教で元々悪いことということになっている十悪・五逆が悪であることを疑っているわけではないようである(第十四条)。この辺は倫理学ではないので、仏教の伝統と常識とを適宜組み合わせて判断するということだろうか。ともかく、まず謙虚でない人には『歎異抄』の論理はなじまない。
善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり(後序より)
仏教というのは不思議なものである。元々の仏教は、けっこう理屈っぽかったし、宇宙観をも伴っていた。ところが、親鸞にまでなると、凡夫にはそんな難しいことはわかりませ〜ん、と正直に言う。凡夫には煩悩を滅するなんてできませ〜んと正直に言う。善悪もわかりませ~んということになってしまう。そこで、謙虚とか正直とかいった、もっと素朴なモラルに訴え、救済を約束する。
YouTube の 「原発危機と親鸞ルネッサンス」01(前半)安冨歩師 によれば、親鸞のすごいところは第九条にある。ここでは、唯円が、念仏をしても心が浮き立たないんですけどォ、と訴える。それに対して、親鸞は、実は俺もそうだ、と答える。つまり、ちゃんと信じられなくても良いのだ、凡夫にはそんなことはもともとできない、そのような自覚がある人にこそ阿弥陀仏の救いがあるはずなのだという論理になる。安冨氏によれば、こんなふうに、信心深くなくて構わないよ、なんていうことを言った教祖は空前絶後だろうということで、そこがすごいのだということである。
後序に出てくる次の文句がまたすごい。
弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり
これは、独我論とも見られる。実際、YouTube の 「原発危機と親鸞ルネッサンス」02(後半)安冨歩師の解説では、親鸞は哲学的独我論者であったということだ。独我論には他者をどう理解するかという問題が伴う。親鸞においては、他者とは如来の本願を親鸞に伝える人である。これを方便という。こうなると、他者が自分と同じような存在かどうかは問題ではなくなる。親鸞の教えはややもすると受動的なものと受け取られがちだが、親鸞自身は決して受動的な人ではなかった。とくに、親鸞は弾圧に屈しなかった。親鸞にとって、方便は与えられたものではあるが、仏の教えは受動的には受け取ることができないものであり、積極的に受け止めなければならないものであった。
こういったことでわかる通り、親鸞は論理的に突き詰めて考えたい人だという意味で、哲学的思考をしたがる人物だったのだろう。それが、ものを深く考えない人でも救ってあげるという浄土真宗の開祖であったというのが面白い。