『代表的日本人』は、内村鑑三が、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の5人を紹介したものである。キリスト教徒の内村が、日蓮を取り上げているのが面白いところで、キリスト教徒も仏教ともどちらも「天」に導かれているという考えだったようである。
やや物足りなく感じたのは、内村が見たそれぞれの人物像を紹介するということになっているので、それぞれの人物の思想と内村の思想が一体になってしまい、内村自身の思想がややボケてしまうことだ。それぞれの人物の現代的視点での人物像、当時の普通の視点での人物像、内村が見た人物像の3つが区別しがたい。
「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー
第1回 無私は天に通じる
今回は西郷隆盛
- 『代表的日本人』の時代の日本と海外
- 当時の日本は急速な近代化と富国強兵の時代で、外国からはある種怖れられていた。
- 1894年、Japan and the Japanese というタイトルで元となるものが刊行される。この年は、日清戦争の年。
- 1908年に人物論としてのみ改版し Representative Men of Japan『代表的日本人』として刊行される。1904年には日露戦争が起こっている。
- 遡って1850年に、内村が手本にしたと思われる R.W. Emerson の Representative Men『代表的人間像』が出版されている。
- 『代表的日本人』を読むポイント
- 1. 偉人伝としては読まない。
- 2. 意中の「ひとり」を探せ。
- 3. ライフステージが変わるたびに読む。
- 内村の考え
- 『代表的日本人』には、内村の精神的な基盤となっている人物が描かれている。
- 「霊性」は教義や思想の違いを超えている。
- 西郷隆盛
- 大男で相撲が好き。好んで山中を歩く。
- 「天 heaven」=大いなるもの。
- 西郷の「敬天愛人」=天の命に従って人々をつなぐ。
- 「静かなる細い声 still small voice」旧約聖書の列王記に出てくる表現。預言者エリアに呼びかける神の声のこと。
- 天の命
- 日本は、平和を作る天命を授かっている。
- 二つのJ = Jesus(自分たち以外のすべて)と Japan(自分と仲間)
- 「待つ」人、西郷
- 西郷は「待つ」姿が特徴的。
- 人の家を訪問するときも、声をかけず、誰かが見つけてくれるのを待っていた。
- 下男を叱ったことがなかった。
- 西郷は単に「待つ」だけではなかった。「大事なときには、機会はわれわれが作り出さなければならない。」(西郷の言葉)
第2回 試練は人生からの問いである
今回は上杉鷹山と二宮尊徳
- キーワードはピンチ
- ピンチのときは大事なものに出会っている。
- 上杉鷹山
- 高鍋藩秋月家から米沢藩に養子に入り、17歳で藩主となった。
- 当時、米沢藩は荒廃していた。鷹山は、現場に出向いて、問題点を見出そうとした。
- 鷹山は、かすかな炭の火を「息吹 pneuma」で蘇らせるようにして、藩を立て直そうとした。
- 藩主が率先して大地に感謝する儀式「籍田の礼」を行う。
- 民は天から託されたもの。家臣を有徳の人に育てようとした。
- 経済と道徳を分けない。富は徳によってもたらされる。富を得るのは礼節を知るため。幸せになるために仕事をする。
- 鷹山の葬儀の日には誰もが嘆き悲しんだ。「山川草木もこぞってこれに和した。」(内村の表現)
- 二宮尊徳
- 少年時代に洪水のため家が没落。倹約と勤勉により、生家を建て直した。
- 手腕を見込まれて公務を言いつけられ、自分の家を処分して公務に専心した。
- 小田原藩や幕府領の農村を蘇らせた。
- 目立たない仕事を評価して、仕事に優劣はないことを示した。
- 最も重要なことは「誠実」。
[吉田注:本題とは関係がないが、上杉鷹山の師の細井平洲に関するテキストの注で「嚶鳴(おうめい)」という語が出ていることが興味深かった。それは、細井平洲が、江戸に私塾「嚶鳴館」を作ったという文脈である。一方で、私が今奉職している九大の全学教育に関することには「嚶鳴」の名前を冠するものが多い。たとえば、全学教育の広報誌の名前が「嚶鳴」だ。その広報誌によれば、「嚶鳴」は「詩経」の一節が元になっていて、鳥が友を呼んで「鳴」く声を「嚶」と表現しているものである。さらに、以前にいた名古屋大学にも「嚶鳴寮」(現在は「国際嚶鳴館」)があった。名古屋大学にあるものは、細井平洲が尾張出身であることに因むものであろう。九州大学で「嚶鳴」がいつからなぜ使われるようになったのかは不明である。]
第3回 考えることと信ずること
今回は中江藤樹と日蓮
- 内村の教育論
- 学校に行くのは「真(まこと)の人間」すわなち「君子」になるため。
- 教育の現場は、人と人を比べることがない世界。個人の特性に合わせて教育する。内村は弟子たちに「私が私であるように、あなたはあなたであれ。」と語った。
- 中江藤樹
- 11歳のとき、孔子の『大学』を読んで感動。藤樹は「聖人たらんとしてなりえないことがあろうか」と叫んだ。
- 私塾を開いた。「学者」とは、徳に与えられる名であって、学識に与えられる名ではない。
- キーワードは「叡智」。「叡智」は単なる知識ではない。「無知の知」も叡智につながる。
- 内村の宗教観
- 宗教とは、宗派ではなくて、心の内にある「不可思議なもの」を信じること。
- 日蓮
- 日蓮の章は、内村の精神的自叙伝。
- 1222 年、安房の国の漁師の家に生まれる。キリストの弟子にも漁民が多かった。
- さまざまな宗派がせめぎ合う中で、ただ仏陀自身の言葉に従おうと考えた。
- 研究で得たものを、人に届けようとした。この姿勢は、日蓮の姿であると同時に内村の姿でもある。
- ルターの思想とも似ている。既存の権威と闘い、信仰と直接向かい合おうとした。日蓮は法華経を大事にした。内村は無教会主義。
- 内村も日蓮は、自分を小さな者だと理解していた。しかし、大きな使命を与えられていると考えていた。
第4回 後世に何を遺すべきか
講演録『後世への最大遺物』を読んでゆく。これは 1894 年に行われた講演が元になっている。
- 後世に遺すもの
- 金銭、事業、思想、高尚なる勇ましい生涯
- 内村は無教会などの事業を行った。
- Life (生命)
- 日本人には第一に Life 生命が足りないと内村は言う。
- Life とは、人間が作り上げるさまざまな関係のことである。それは、他者、超越(神)、歴史との関わり。
- 生きるとは、他者との交わりの中に自らを投げ出すこと。現在の人だけでなく、過去の人や未来の人とも関わる。
- 人間の「樹木的成長」
- 「木の実」は「食べた人」がその価値を知る。樹木は成長するのだが、自分自身が何者であるかは知らない。
- 生きてゆく態度
- 真面目なる生涯を送った人であるということを遺したい。
- 『基督信徒のなぐさめ』(1893年)
- 献身的に看病してくれた亡き妻への思い。
- 「余の愛するものの肉身は失せて、彼の心は余の心と合せり。なんぞ思わん、真正の合一はかえって彼が失せし後にありしとは。」
ここで「彼」とは亡き妻のこと。
- 準備的
- 人の生涯は「準備的」。人生は後世に受け継がれる。
- まとめ
- 自分にとっての「代表的日本人」を書いてみよう。