大人のための宮沢賢治再入門 ほんとうの幸いを探して

著者山下聖美
シリーズNHK カルチャーラジオ 文学の世界 2016 年 1~3 月
発行所NHK 出版
刊行2016/01/01(発売:2015/12/25)
入手福岡天神のジュンク堂書店福岡店で購入
読了2016/03/24

生誕 120 年記念で、宮沢賢治作品の紹介である。ラジオ講座は、テキスト棒読みになりがちなのだが、この講師はけっこう自分の言葉で話していた。

子供の頃、賢治作品は図書室でけっこう読んだと思う。子供の頃は「クラムボン」や「よだか」が好きだったような気がするが、今だとトシの死を悼む詩が好きになりそうな気がする。そのうち改めて読み直したい。

放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 永遠の名作群はいかにして生まれたか

日本文化としての宮沢賢治
日本人の共有文化になっている。
影響を受けた人:宮崎駿、井上ひさし、吉本隆明
宮沢賢治は「わからない」。自分の感性で読み取ってみよう。
宮沢賢治の生涯
1896 年、花巻生まれで、生涯をほとんど花巻で過ごす。
名家に生まれたので、貧乏くさくない。
賢治は、農民たちの苦しさを見て、家業に反発していた。
盛岡高等農林学校に進学。
学生のとき、法華経に心酔。
学生のとき、保阪嘉内と親友になる。
学生のとき、妹のトシと深い精神的なつながりができる。一緒に法華経を信仰する。
25 歳で家出し東京に行って、昼は宗教活動(日蓮主義の国柱会)、夜は創作活動をした。
家出から戻って、花巻農学校の教師になる。父親の紹介による。
賢治は五感が敏感だった。共感覚、第六感も持っていた。

第2回 童話集 注文の多い料理店①―創作の条件

放送は、後半を聞き逃す。

花巻農学校時代
生前に出版されたのは、童話集『注文の多い料理店』、詩集『春と修羅』のみ。これらは花巻農学校時代の大正 13 年に出版された。
特異な感性を示す奇行もあったという。たとえば、川の中にリンゴをポチャンと落とし、きれいだと呟きながら同じことを何度も繰り返したことがあった。
「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてきたものです」(『注文の多い料理店』序)
「かしはばやしの夜」
主人公の清作は、日暮れの柏林の中に入ってゆく。清作と柏の木が即興の歌合戦をする。それに梟が参加する。そうして森が歌と踊りの空間になってゆく。
「水仙月の四日」
雪嵐の中を小さな子供が家路についている。子供は甘いカリメラのことをひたすら考えている。そこに雪嵐を司る「雪婆(ゆきば)んご」が登場する。物語の終わりに雪童子(ゆきわらし)が子供にそっと雪をかぶせる。子供がその後どうなったかはわからない。
自然とともに生きる賢治
賢治が生まれた年は明治三陸津波の年、亡くなった年は昭和三陸津波の年。
賢治は、詰め込み主義ではない理科教育や英語教育をした。
大正 15 (1926) 年、花巻農学校を退職し、「羅須地人協会」を発足させ「本当の百姓」をめざす。

第3回 童話集 注文の多い料理店②―大自然と向き合う

『注文の多い料理店』の出版
後輩の及川四郎が編集。版元は、及川と近森善一が創設した東京光原社(現在は「光原社」という盛岡の民芸品店になっている。前身は「東北農業薬剤研究所」)。
「注文の多い料理店」
二人の紳士が趣味の狩りで山奥に行く。レストラン「山猫軒」で自分たちが食べられそうになって逃げ帰る。
締めくくり「しかし、さつき一ぺん紙くづのやうになつた二人の顔だけは、東京に帰つても、お湯にはひつても、もうもとのとほりになほりませんでした。」
「鹿踊(ししおど)りのはじまり」
風が語る話。嘉十という者が森を歩いていると、鹿たちが輪になって踊っているのを見る。やがて、嘉十は鹿と共鳴して一体化する。
「月夜のでんしんばしら」
恭一は、電信柱の行進に出くわす。立派な軍歌を歌いながら通り過ぎてゆく。最後に、老人・電気総長が現れる。
イーハトーヴ
イーハトーヴは、「岩手」をエスペラント化した言葉。
宮沢賢治はドリームランドとしての岩手県としてイーハトーヴを構想した。

第4回 風の又三郎―いのちの原風景

賢治の童話
子供にはよくわからないことも多い。大人になってみると、そこに悲しみが読み取れることも多い。
東北は、地震や飢饉など災害が多い。
「風の又三郎」
又三郎は、風によって一時の命を吹き込まれた子供。幼くして亡くなった子供に普通の学校生活を束の間体験させてやったのではないか。
嘉助は、シャーマン風の登場人物。敏感な感性を持っている。
又三郎は、風によって命を吹き込まれて、風によって命を奪われる。
シャーマン的存在
賢治の童話には、シャーマン的な存在がよく登場する。
「銀河鉄道の夜」のジョバンニもそう。「オツベルと象」の語り手もそう。
賢治の童話では、風が何か予兆のような役割を果てしていることがある。
たとえば、「どんぐりの山猫」では、風とともに山猫が登場する。
賢治を敬愛する宮崎駿の『千と千尋の神隠し』では、異界への入り口で風が吹き渡る。
animation という語も、呼吸や命を意味する anima からきている。
風は大いなる息吹。

第5回 ケンジのオノマトペ

放送を聴き損なった。

賢治とオノマトペ
賢治は独特のオノマトペをたくさん使った。
「さあ、もうみんな、嵐のやうに林の中をなきぬけて、グララアガア、グララアガア、野原の方へとんで行く。」(『オツベルと象』)
「堅雪かんこ、凍(し)み雪しんこ、硬いお餅はかったらこ、白いお餅はべったらこ。」(『雪渡り』)…ここでは、「棺」と「死」とつながる音が繰り返されている。

第6回 毒もみのすきな署長さん/よく利く薬とえらい薬―欲望の本質

権力・悪・エロス
ねずみ三部作…賠償を請求する人、嫉妬する人、ゴシップ好きな人、他人と比べる人、権威主義の人などが描かれている。
『貝の火』…権力を持つことで人生が狂う人が描かれている。
『毒もみのすきな署長さん』
「毒もみ」が禁止されている国で、「毒もみ」の常習者であった警察署長。
死刑になった署長さんは「いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」と言った。「みんなはすっかり感服しました。」
文学は人間のありのままの姿をみつめる。
エロスを感じさせる表現
「丘はだんだん下って行って小さな窪地になりました。そこはまっ黒な土があたゝかにしめり湯気はふくふく春のよろこびを吐いてゐました。」(『若い木霊』)
『よく利く薬とえらい薬』
主人公がばらの実を唇に当てると、「するとどうでせう。唇がピリッとしてからだがブルブルッとふるひ、何かきれいな流れが頭から手から足まで、すっかり洗ってしまったやう、何とも云へずすがすがしい気分になりました。」
悪人の大三は、にせのばらの実を作り、それを呑むと、「するとアプッと云って死んでしまひました。」
死と隣り合わせの欲望が描かれている。

第7回 詩集 春と修羅―愛する者を失った哀しみ

『春と修羅』
大正 13 年刊行。自費出版。
売れなかったが、一部の人は絶賛。たとえば、辻潤、佐藤惣之助。
賢治は、「詩」ではなく「心象スケッチ」と呼んでいる。
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(「序」より)
妹トシ
優秀で、日本女子大学を卒業。花巻高等女学校教師となったが、肺結核のため 24 歳の若さで亡くなる。
けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
  (あめゆじゆとてきてけんじや)
(「永訣の朝」より)
こんなにみんなにみまもられながら
おまへはまだここでくるしまなければならないか
ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
また純粋やちひさな特性のかずをうしなひ
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか
(「無声慟哭」より)
小岩井農場
小岩井農場で心に浮かんだ風景をひたすら書き綴った作品。
もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
ラリツクス ラリツクス いよいよ青く
雲はますます縮れてひかり
かつきりみちは東へ曲がる
(「小岩井農場」より)
ラリツクス Larix は、カラマツのこと。東は太陽の昇る方角。

第8回 よだかの星ー理想と現実に生きる苦悩

父親との葛藤
現実的な父親の政次郎(まさじろう)と理想主義者の賢治は激しく対立した。政次郎はいつも賢治を現実に引き戻そうとしていた。
一方で、政次郎は、別邸を賢治の理想(羅須地人協会)のために貸したり、『春と修羅』の印刷費を出したりしている。
賢治にとって、安定は惰性にすぎなかった。
羅須地人協会
賢治は、花巻農学校を退職して、本当の農民となることを目指した。
賢治は、「羅須地人協会」において、農村における芸術教育をした。賢治は芸術論「農民芸術概論綱要」を著した。
「よだかの星」
よだかは醜く、皆に蔑まれていた。
鷹はよだかに対し、「よだか」ではなく、市蔵(いちぞう)と改名せよと言った。鷹のアドバイスは現実的。これに対し、よだかは反発する。よだかは、理想主義者。
よだかは、自分も虫を食べているから加害者でもあることを自覚する。そこで、虫を食べずに飢え死にしようと決心する。
賢治の作品にはよくこういう自己犠牲の話が出てくる。賢治の母親のイチは慈悲深かった。賢治の自己犠牲の精神は、母親の性格を受け継いだものだろう。
よだかは、「遠くの遠くのそら」に行こうとする。別の世界を探そうとした。しかし、星の世界に行くにもお金が要るらしい。
よだかは、厳しい現実を突きつけられて、地面に落ちようとしたが、墜落の直前、燃えて上へ上へと昇ってゆく。よだかは星になった。よだかが死んだ後も永遠に理想が残るということを意味しているのだろう。
羅須地人協会のその後
羅須地人協会の理想は、ふつうの農民には理解されなかった。
賢治は、体調が悪くなってきたせいもあって、共同体の力仕事には参加できなかった。そんなこともあって、農民の中にも溶け込めなかった。
羅須地人協会の活動は停止を余儀なくされる。その後は、東北砕石工場の技師となったが、やがて結核を発病する。

第9回 ケンジの見ていた共感覚の世界

共感覚
共感覚とは、一つの刺戟に対し、複数の感覚が反応すること。
日本古典文学だと、「にほひ」は嗅覚だけではなく、「匂うように美しい」というように視覚とも関連している。
音が「匂う」
遠くの遠くの野はらの方から何とも云へない奇体ないゝ音が風に吹き飛ばされて聞えて来るんだ。 まるでまるでいゝ音なんだ。切れ切れになって飛んでは来るけれど、まるですゞらんやヘリオトロープのいゝかをりさへするんだらう、 その音がだよ。
(「黄いろのトマト」より)
数字が見える
なるほど一つ一つの花にはさう思へばさうといふやうな小さな茶いろの算用数字みたいなものが書いてありました。
(「ポラーノの広場」より)
「ポラーノ」の「ポ」には○がある。それから「ポラーノ」の響きは「ほらあな」に通じる。このように「ポラーノ」には、丸や洞穴という女性的なイメージが感じられる。
音楽が「見える」
賢治は、ベートーベンの第九を聞いたとき、「この大空からいちめんに降りそそぐ億千の光の征矢はどうだ、手に手に異様な獲物を振りかざした悪鬼が迫ってくる」と叫んだという。

第10回 やまなし―母なるものに包まれて

『やまなし』
生前に発表された数少ない作品の一つ。
「幻燈」が出てくる。映画が誕生したのは、賢治が生まれた前年の明治 28 (1895) 年。
『クラムボンはわらつたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
『クラムボンは跳てわらつたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
清水正(まさし)の説だと、クラムボンは母親。母親の蟹は直接描かれていない。
泡のフォルムや「かぷかぷ」の丸いイメージに母性が象徴されている。
「やまなし」は丸い実の果物。蟹の父子は母親を追うかのように「いゝ匂い」のやまなしを追いかける。
いゝ匂い
賢治の作品では、良い匂いは聖なるものがまとうものとして描かれている。
かへつてここはなつののはらの
ちひさな白い花の匂でいつぱいだから
(「無声慟哭」より)

第11回 銀河鉄道の夜①―真理は存在するのか

トシの面影を求める樺太旅行
妹トシを失った賢治は、樺太へと向かう。表向きは生徒の就職依頼のためだったが、実は妹の面影を追っていた。
トシが死んだのは大正 11 年晩秋で、樺太行きは大正 12 年夏であった。
このとき書かれた作品は『春と修羅』の中にオホーツク挽歌群として収録されている。
樺太旅行は「銀河鉄道の夜」のモチーフにもなっていると考えられる。
不朽の名作「銀河鉄道の夜」
推敲を繰り返しているので、いくつかのバージョンがある。ここは第4稿に基づく。岩波文庫のは初期稿に基づいている。
ジョバンニとカムパネルラが銀河鉄道に乗って、幻想的な光景の中を旅する。
賢治は、トシのことを思う気持ちと、みんなの幸せを願う気持ちとの間で葛藤する。
「銀河鉄道の夜」には、宗教との格闘も描かれている。
「あゝ、そんなんでなしにたったひとりのほんたうのほんたうの神さまです。」

第12回 銀河鉄道の夜②―ほんとうの幸いを探して

ほんたうの幸いと深い闇
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもうあのさそりのやうにほうたうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」
天の川の一角に「まっくらな孔」があった。ふと振り返ると、カムパネルラがいなくなった。カムパネルラは、現実の世界でも、友達を助けようとして亡くなっていた。
賢治の作品は、真理探究という眼差しを持つことで、世界文学となっている。
賢治は、作品の中で動植物や石などにも注目しており、宇宙的な視点を持っていた。
賢治の死
賢治は、昭和 8 年、37 歳で亡くなった。晩年になるまで、作品の推敲をしたり、高等数学の勉強をしたりしていた。
賢治の表現活動の原動力は迷いであった。道を求めながら、永遠に未完成のままであった。