中也の詩をこうして解説付きで流れを追って読んでみると、最初はダダイズムの影響を受けたりなどして非定型詩を書いているけれど、 やがて定型詩へと落ち着いて、中也らしい軽みが出てくる。「汚れちまつた悲しみに」も七五調の定型詩である。 もともと中也が短歌から出発したせいだろうか。
紹介されていた詩を一つだけ引用しておく。
月夜の浜辺
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた。それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
月に向ってそれは抛(ほう)れず
浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
これは基本的に七七調の定型詩で詩集『在りし日の歌』の「永訣の秋」の部分の中に収められている。「永訣の秋」には長男文也への挽歌という意味があるのだろう。 「ボタン」は、番組で紹介されていたもっと直接的な挽歌「夏の夜の博覧会はかなしからずや」に書かれている貝釦(かいぼたん)であろうか。 下に引用した「中原中也・全詩アーカイブ」によれば、この詩は文也の死より以前に書かれていたそうだが、文也の死後は、ボタンという語で文也を回想するということもありそうなことである。
解説の太田氏の読みでは、この「ボタン」は他者の悲しみを象徴しており、詩全体は他者との悲しみの共有を表しているとのことである。 もっとも、太田氏も、その読みの直後で、「ボタン」は「夏の夜の博覧会はかなしからずや」にも出てくるという解説を付けている。
ボタンが何を象徴していようとも、それは大事なものであるに違いない。大事なものはちっぽけなものだ。
中原中也は、歿後すでに80年経っているので、青空文庫でほとんどの作品が読める。むろん、詩集『山羊の歌』『在りし日の歌』も入っている。 そのほか、中也に関しては
- 「中原中也・全詩アーカイブ」
- 「中原中也・全詩アーカイブ for mobile」
- 「中原中也インナープラネット」
- 「中也の詩歌をさがす」(中原中也記念館)