中原中也詩集

著者太田 治子
シリーズNHK 100 分 de 名著 2017 年 1 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2017/01/01(発売:2016/12/25)
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読了2017/02/01

中也の詩をこうして解説付きで流れを追って読んでみると、最初はダダイズムの影響を受けたりなどして非定型詩を書いているけれど、 やがて定型詩へと落ち着いて、中也らしい軽みが出てくる。「汚れちまつた悲しみに」も七五調の定型詩である。 もともと中也が短歌から出発したせいだろうか。

紹介されていた詩を一つだけ引用しておく。

月夜の浜辺

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂(たもと)に入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちていた。

それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけでもないが
   月に向ってそれは抛(ほう)れず
   浪に向ってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁(し)み、心に沁みた。

月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

これは基本的に七七調の定型詩で詩集『在りし日の歌』の「永訣の秋」の部分の中に収められている。「永訣の秋」には長男文也への挽歌という意味があるのだろう。 「ボタン」は、番組で紹介されていたもっと直接的な挽歌「夏の夜の博覧会はかなしからずや」に書かれている貝釦(かいぼたん)であろうか。 下に引用した「中原中也・全詩アーカイブ」によれば、この詩は文也の死より以前に書かれていたそうだが、文也の死後は、ボタンという語で文也を回想するということもありそうなことである。

解説の太田氏の読みでは、この「ボタン」は他者の悲しみを象徴しており、詩全体は他者との悲しみの共有を表しているとのことである。 もっとも、太田氏も、その読みの直後で、「ボタン」は「夏の夜の博覧会はかなしからずや」にも出てくるという解説を付けている。

ボタンが何を象徴していようとも、それは大事なものであるに違いない。大事なものはちっぽけなものだ。

中原中也は、歿後すでに80年経っているので、青空文庫でほとんどの作品が読める。むろん、詩集『山羊の歌』『在りし日の歌』も入っている。 そのほか、中也に関しては

というサイトがあり、お手軽に多角的に作品を楽しむことができる。

文法メモ

中也の詩には文語を使ったものも多い。その文語の文法に関するメモ。

「朝の歌」より「倦んじてし 人の心を」
「倦んじてし」=「倦んじ」+「て」+「し」。「倦んじ」は「倦んず」の連用形、「て」は助動詞「つ」の連用形、「し」は助動詞「き」の連体形。
意味は、「気持ちがふさいでしまった人の心を」

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 「詩人」の誕生

中原中也
1907年、山口に医者の家に生まれる。今年は生誕110周年。
弟の死をきっかけに文学に目覚める。
文学に熱中しすぎて山口中学の第三学年を落第、京都の立命館中学に編入する。
京都でダダイズムに魅了される。
ずっと親からの仕送りで生活していた。
30歳で死去。
出版された詩集は『山羊の歌』『在りし日の歌』の2冊。
大岡昇平と親交があり、大岡は評伝『中原中也』を著している。
「汚れちまった悲しみに」
代表作。
具体的な悲しみが描かれているわけではない。読者のそれぞれの悲しみを重ねてゆくことができる。
「春の日の夕暮れ」
ダダイズムの詩。それでも叙情が感じられる。
「少年時」
詩人としての原型、孤独が読みとれる。

第2回 「愛」と「喪失」のしらべ

長谷川泰子
1923年、京都で長谷川泰子と知り合った。中也 16 歳、泰子 19 歳であった。翌年から同棲。
1925年、二人で上京。小林秀雄と知り合う。
泰子は小林に惹かれ、同年11月、中也を捨てて小林の元へ行く。
「朝の歌」
失恋の後の孤独が中也の中で消化されたことを示す詩。弛緩した心が美しい夢となって昇華されている。
「詩的履歴書」によれば、「つまり『朝の歌』にてほぼ方針立つ」

第3回 「悲しみ」と「さみしさ」をつむぐ

ゲスト:穂村弘

「生ひ立ちの歌」
子供の頃は大切に育てられたが、だんだん不幸が増してゆき、最後は達観。
同人誌『白痴群』
昭和4年、中也が中心となって創刊したものの、1年で廃刊。
「月夜の浜辺」
ボタンが浜辺に落ちていた。それが存在感を持っている。
ボタンを通じた他者との共感。
「サーカス」
独特の表現「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」
中也は、名辞以前の感覚を表現しようとした。
芸術世界と生活世界
中也は、芸術世界に生きようとした。
中也のその後
中也に見合いの話が舞い込み、昭和8年、遠縁の女性と結婚。翌年、処女詩集『山羊の歌』出版、長男文也誕生。
「骨」
生活世界から抜け出して芸術世界に行くことを歌うような詩。

第4回 「死」を「詩」にする

ゲスト:穂村弘

「頑是ない歌」
明るい諦めからくる希望を感じさせる詩。
心の揺れが描かれている。
長男文也の死
昭和11年7月、文也を上野の博覧会に連れて行く。
同年11月、文也は小児結核で2歳で死去。
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」
言葉の力で文也を永遠にとどめたい。
「春日狂想」
絶望の余りの軽み。
おどけきれずに壊れている。
中也の死
昭和12年、精神を病んで入院。
『在りし日の歌』の原稿を小林秀雄に託して、昭和12年10月、結核性脳膜炎で死去。