アメリカ音楽史 ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで

著者大和田 俊之
シリーズ講談社選書メチエ
発行所講談社
電子書籍
電子書籍刊行2015/09/01
電子書籍底本刊行2011/04
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読了2017/06/28
参考 web pages著者 twitter

著者によるNHKカルチャーラジオ「アメリカン・ミュージックの系譜」の放送と同時進行で読んでいった。アメリカ音楽にアメリカ社会を重ね合わせながら見てゆくという趣向である。内容的にもほぼ重なっていた。本だと実際の音は出てこないけれど、ラジオでは音楽が流れるので、よりはっきりとイメージがつかめる。さらに YouTube も使うと、本や放送で出てきた音楽を探して聴くこともお手軽にできるので、イメージを定着できる。

音楽を聴いていくうちに、アメリカの持つ多様性が浮き彫りになるというたいへん興味深い内容であった。今の世界ではアメリカ発の音楽の潮流が世界を席巻したりするわけだが、そのアメリカ音楽のルーツをたどるのは実に示唆的な内容を含んでいる。アメリカ独特の政治や人種問題などと絡み合いながら音楽が展開してゆく様子を見ると、音楽の背景に隠された「意味」がよくわかってくる。

本書末尾にかなり詳しい参考文献案内があるのも特徴。より詳しく調べたい人には(私はそうではないけど)おおいに参考になるだろう。一般書とはいえ、こういう専門書への案内があるのは良いことだと思う。日本の一般向けの本では滅多にこういうのにお目にかからないのは、悪しき慣習だと思う。

本書のサマリー

第1章 黒と白の弁証法―擬装するミンストレル・ショウ

第2章 憂鬱の正当性―ブルースの発掘

第3章 アメリカーナの政治学―ヒルビリー/カントリー・ミュージック

第4章 規格の創造性―ティンパン・アレーと都市音楽の黎明

第5章 音楽のデモクラシー―スウィング・ジャズの速度

第6章 歴史の不可能性―ジャズのモダニズム

第7章 若者の誕生―リズム&ブルースとロックンロール

第8章 空間性と匿名性―ロック/ポップスのサウンド・デザイン

第9章 プラネタリー・トランスヴェスティズム―ソウル/ファンクのフューチャリズム

第10章 音楽の標本化とポストモダニズム―ディスコ、パンク、ヒップホップ

第11章 ヒスパニック・インヴェイジョン―アメリカ音楽のラテン化

NHK カルチャーラジオ「アメリカン・ミュージックの系譜」のサマリー

第1回 プロローグ~トランプ大統領の誕生と2017年のアメリカ音楽

最近の動向
ストリーミングが音楽の聴き方の主流になった。
アメリカにおける中南米文化
最近のヒット曲 Justin Bieber "Sorry"、Drake "One Dance"、Rihanna "Work"(2016 年アメリカビルボードチャートの2~4位の曲)を聴いてみる。
これらの曲は、ジャマイカ発の「ダンスホール」というリズム(レゲエのサブジャンル)を使っている。「ズッタズッタッ」というリズム。
11 位の Sia featuring Sean Paul "Cheap Thrills" の Sean Paul は本場のジャマイカ出身でやはり同じリズム。
このリズムを「トロピカルハウス」と呼ぶこともある。ヨーロッパの白人 DJ の Electronic Dance Music (EDM) ではそう呼ぶ。
いずれにせよ、昨年は中南米のリズムが流行した。
最近人気のミュージカル「ハミルトン」は、アメリカの初代財務長官アレキサンダー・ハミルトンの一生を描いている。ラップが使われている。 ハミルトンはカリブ海からの移民で貧しい家庭に生まれた。役者も黒人やヒスパニックが演じている。
これはアメリカの文化にヒスパニック文化が深く浸透してきていることを示している。トランプ大統領の登場はそれに対する反動。
Biyoncé "Lemonade"
最新アルバム "Lemonade" は売れたと同時に批評家にも大絶賛された。
テーマは夫の不貞に苦しむ女性。
グラミー賞のコンサートにおいて披露された "Sandcastles" の裏で流れていたボイスオーバーは、 暗にトランプ大統領を批判しているとも読める。

今回の内容と重なる記事に、著者による筑摩書房PR誌「ちくま」への連載記事がある。

第2回 アフリカ系アメリカ人の民謡~ブルースの誕生

ブルース
12 小節 AAB 形式。3 つの和音で構成され、和音進行もほぼ決まっている。Cf. ふつうの音楽は 16 小節が一まとまり。ブルースはそれより短い。
講師の考えでは、ブルースは、本来 16 小節一まとまりの最後の 4 小節が最初に戻るような感じ。これがひたすら繰り返される。
1880-90 年代のアメリカ南部で始まった。
典型的な曲 B.B. King "Everyday I have the blues"
ブルースの歴史
西アフリカ→奴隷制;コールアンドレスポンスで歌う労働歌→フィールド・ホラー→ブルース
しかし、音楽的には上のような系列でつながっているようには思えない。上の記述は黒人音楽の変遷を単につないだだけ。
ブルースの記録を遡ってみる。シートミュージック(楽譜)で最初に現れるのは 1908 年(白人作曲家による)。 ブルースが生まれてからまもなくして白人がブルースを売っている。つまり、黒人コミュニティで長い間育まれた音楽ではない。
1920 年の Mamie Smith "Crazy Blues" が最初の録音といわれている。ただし、これは音楽形式としては狭義のブルースではない。 音楽的には、どっちかといえば、初期のジャズに近い。これは、黒人シンガーによるブルースという名前が付いた曲の最初の録音という意味。 この曲は黒人コミュニティで売れた。これ以降、レコード会社は、黒人コミュニティに特化したレコードが売るようになった。
「典型的」ブルース
黒人用音楽の典型的な曲 Blind Lemon Jefferson "Matchbox blues"。こういったものを「カントリー・ブルース」という。 アコースティック・ギターで男性黒人歌手が歌う素朴なスタイルが多い。
とくに「カントリー・ブルース」の名曲といわれるのは、Robert Johnson "Crossroad Blues"。
華やかでエンタテインメント色の強いブルースを「シティー・ブルース」という。
黒人音楽に対する先入観から、「カントリー・ブルース」こそがブルースの典型といわれることが多い。
まとめ:ブルースの特徴づけ
黒人と白人の相互作用の中で作られた。
左手で長調、右手で単調。悲劇と喜劇の混淆。
Ralph Ellison からの引用 "The blues is an impulse to keep the painful details and episodes of a brutal experience alive in one's aching consciousness, to finger its jagged grain, and to transcend it, not by the consolation of philosophy but by squeezing from it a near-tragic, near-comic lyricism. As a form, the blues is an autobiographical chronicle of personal catastrophe expressed lyrically." 「ブルースとは、残酷な経験の痛ましい細部やエピソードをずきずきとうずく意識の中で覚醒させておこうとする衝動であって、 達観することで慰められるのではなく、そこから悲劇的でも喜劇的でもあるような叙情を搾り出すことで、そのとげとげしい肌理を弄び、かつそれを超越しようとすることである。形式としては、ブルースとは、個々人の中で激変する状態を叙情的に表現した自伝的な年代記である。」

【吉田感想】 今までブルースの特徴がよくわかっていなかったけど、素朴な反復感覚が特徴だということを初めて知った。 同じような調子がずっと反復されてゆく。

第3回 ヨーロッパ系アメリカ人の民謡~カントリーミュージックの誕生

最近のカントリーミュージック
最近の若者は Taylor Swift をきっかけにカントリーに関心を持つ。彼女は twitter のフォロワーも非常に多い。
例:Taylor Swift "You Belong With Me" 旋律だけ聴いているとカントリーっぽくないが、バンジョーやスチールギターが使われていることがカントリーっぽい。
こういった音楽をカントリー・ポップという。
カントリーは伝統的には共和党なのだが、最近の若いファンは民主党支持の人がけっこう多い。
カントリーミュージックの歴史
ハーバード大学の Francis James Child がイギリスの民謡の研究をしていた。
アパラチア山脈の人々は外との接触が少なく、偏見の対象だった。 Child は、その民謡の中にイギリス、スコットランドの民謡の古いバージョンが残っていることを発見した。 そこで、Child は、アパラチアの詩をたくさん収集した。これらを Child canon という。 これがカントリーミュージックの源泉。
Cecil Sharp は、反近代的なイギリス人だった。彼は、アパラチア山脈の中に失われたイギリスの風景へのノスタルジーを感じた。
反近代は、カントリーミュージックを特徴付ける。 ビルボードの定義だと、カントリーミュージックとは、地方の白人に支持されている音楽である。
1923 年の Fiddlin John Carson の "The Little Old Log Cabin in the Lane" が最初のカントリーミュージックの録音と言われている。 プロデューサーの Ralph Peer が地方の白人コミュニティという支持層を発見した。 Ralph Peer は、ブルースの "Crazy Blues" の録音にも関わっている。
カントリーミュージックというジャンルが確立したのは、戦後、ナッシュビルにおいて。
Hank Williams "Cold Cold Heart"
カントリーを代表する曲。スチールギターとフィドル(バイオリン)、トワングという鼻にかかったような発声が特徴。
ブルーグラス
カントリー音楽のサブジャンル。
代表曲:Bill Monroe "Uncle Ben"
音楽と政治性
フォークが左翼であるのに対して、カントリーは右翼。レパートリーが同じであるにもかかわらず、政治的に分化した。
ブルースは、ロックの起源として認識された。ロックは左翼だから、カントリーと対照的になる。
カントリーは今でも保守とはいえ、最近では政治性が薄らいでいる。
90 年代以降、オルタナカントリーとかアメリカーナといわれるサブジャンルが出てきた。 これは人種とは関係なくアメリカ民謡的なものというジャンルである。

第4回 商業音楽の黎明Ⅰ~ニューヨークに誕生した音楽産業とブロードウェイ・ハリウッドの関係

文化の背景
アメリカでは旧移民と新移民を区別する。旧移民とは、17 世紀以降ヨーロッパから入植した人々。イギリス、アイルランド、オランダ、スカンジナビアなどから来た。基本的にはプロテスタント。 新移民は 19 世紀後半以降の移民。ロシア、東欧、南欧から来た。とくにユダヤ人が多く来た。宗教的にはカトリックやユダヤ教。
旧移民は西へ西へと行った。旧移民は東海岸の都市の下層階級を構成した。
都市には娯楽産業ができる。
ニューヨークの音楽産業が集まった所は、ピアノの音がうるさいということで、Tin Pan Alley と名付けられた。
音楽産業では、多くの作詞家・作曲家が競争していた。
Jerome Kern
ドイツ系ユダヤ人移民の息子。
代表曲:Smoke Gets in Your Eyes
Irving Berlin
ロシア系ユダヤ人。ユダヤ人なのに「ホワイト・クリスマス」をヒットさせてしまう。
代表曲:White Christmas
Cole Porter
代表曲:Begin the Beguine。この曲はけっこう構成が複雑。
Tin Pan Alley の曲の特徴
32 小節 AABA 形式のものが多い。
商業主義の中で、楽曲の標準化がなされていると見ることができる。当時は、フォードの自動車など規格化された商品がでてきたし、 ハンバーガーチェーンも現れた。当時は、Factory made ということが肯定的にとらえられた。
講師の考えでは、この規格化がアメリカ音楽の良さではないか。
Richard Rodgers
代表曲:My Funny Valentine
アメリカ商業音楽の誕生
1914 年にアメリカに初めて著作権管理団体ができる。それまでは、音楽産業はヨーロッパの音楽を売っていたので、 著作権はゆるいほうが良かった。このころになってアメリカ発の音楽が売れるようになって、著作権管理が考えられるようになった。
Tin Pan Alley の音楽は、ヨーロッパの芸術音楽をやっている人からは蔑まれていた。ユダヤ人音楽家が多かったので、ユダヤ人差別ともつながっていた。

第5回 商業音楽の黎明Ⅱ~ガーシュインの登場と映画・ラジオの関係

音楽と人種性
minstrel show は19 世紀のアメリカのエンターテインメント。白人がブラックフェイスで黒人の真似をする。
その後、アメリカ音楽を支えたユダヤ人は、ジャズやラグタイムなどのいわゆる黒人音楽を作曲した。
Swanee は、George Gershwin の出世作。アフリカ系アメリカ人が語り手という設定。minstrel show の作曲家だった Stephen Foster の「故郷の人々(スワニー河)」の本歌取りとも言える。歌っている Al Johnson はブラックフェイスのユダヤ人。
ユダヤ人が黒人を演じることにより、minstrel show の構図によってユダヤ人が白人という地位を獲得し、ユダヤ人の地位が相対的に向上する、という解釈ができる。
George Gershwin
代表曲 Rhapsody in Blue。放送では、Paul Whiteman 楽団の演奏で聴く。
Paul Whiteman は、ジャズをヨーロッパ風に洗練させて、symphonic jazz を作った。Rhapsody in Blue は Whiteman が Gershwin に発注したもの。
Tin Pan Alley の音楽
1924 年頃からマイクロフォンが使われるようになる。それまでのオペラ的発声から、子音がよく聞こえるクルーナー唱法に変わっていった。
歌の内容も抒情的になってゆく。
ミュージカル映画
歌はセクシュアルな関係性のメタファーだという解釈もある。
紹介する曲は、Irving Berlin の "Top Hat" より"Cheek to Cheek"。歌は Fred Astaire。アメリカ音楽の軽さと洗練を感じることができる。
最後に、『オズの魔法使い』より "Over the Rainbow" を聴く。歌は Judy Garland。

【吉田感想】いわゆる古き良き時代のアメリカ音楽だが、そこにユダヤ人が大きく関わっているということを初めて知って驚く。

第6回 ジャズ(即興芸術)の誕生Ⅰ~ジャズの即興性の発展をたどる

ジャズの誕生
世紀の転換期にニューオーリンズで生まれた。
ニューオーリンズは、白人/クレオール/黒人で構成されていた。しかし、南北戦争後、クレオールの地位が低くなって黒人扱いされるようになった。 このクレオールたちがジャズを作ったとされる。しかし、本当にジャズの誕生がどのようであったものかははっきりしない。
単に既成の音楽を少し崩して演奏することをジャズというのだとすれば、ニューオーリンズでなくてもあった。
ジャズの最初の録音とされるものは、1917 年の ODJB (Original Dixieland Jazz Band) "Liverly Stable Blues"。楽器で馬の声を模していたりする。
第1次世界大戦にニューオーリンズが軍港になって、音楽家もアメリカに散らばってゆく。
Harlem Renaissance から Swing Jazz へ
1920 年代は Harlem Renaissance として知られる。
Duke Ellington などが、ジャングル・ミュージックというアフリカっぽいといわれているスタイルの音楽を書いた。つまり、黒人が、白人が考える黒人らしさを強調した音楽を書いたということになる。
1930 年代には Swing Jazz が流行する。この時代まではジャズはダンス・ミュージックだった。その後、ジャズは鑑賞する音楽になってゆく。 それとともにジャズは音楽のメインストリームから外れてくる。
swing jazz を代表するのが、Benny Goodman Orchestra の "Sing, Sing, Sing"
John Hammond は、ジャズはアメリカの民主主義を体現していると評した。
Bebop の誕生
ミュージシャンが仕事の後で集う店で、ソロの部分を肥大化したような音楽が生まれた。 プロ同士が演奏技術を競い合うようなゲーム性の高いセッションが行われた。即興性が高かった。
このような音楽がだんだん広まっていったのが、bebop である。

第7回 ジャズ(即興芸術)の誕生Ⅱ~同時代のアメリカ芸術(文学・アート)との関係

Swing から Bebop へ
1930 年代から不況で、だんだんビッグバンドが維持できなくなっていって Swing jazz が低調になってゆく。 一方、ジャズ通向けの音楽として、ソロの即興を重視した Bebop が出現する。
Bebop 初期の演奏として、Charlie Christian の "Swing to Bop" を聴く。
bebop と hard bop
bebop では、音楽を記号化し、「演算」する。bebop では和音進行を崩さずに、それに合う即興メロディーを付けてゆく。 ゲーム性が高い。
聴きどころとしては、同じ和音進行でどこまで異なる旋律にできるかとか、演奏者同士がその場で反応し合う様子とか。
メロディーは元のものからどんどん変わってゆく。しかし、最後には元に戻ってくる。
二人の演奏だとわかりやすいので、Bill Evans と Jim Hall の "My Funny Valentine" を聴く。
1940-60 年代にかけて「ジャズ=即興」というイメージが浸透する。アメリカでは、公民権運動の時代。 即興音楽が黒人文化、楽譜に固定された音楽が白人文化に割り当てられてくる。
即興性の他のアートへの広がり
文学においても即興性が作品に取り入れられる。Beat Generation、たとえば、ジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズに代表される。
美術では、抽象表現主義。たとえば、ジャクソン・ポロックのアクション・ペインティング。

第8回 ロックとポップスⅠ~アメリカ若者文化の隆盛

ロックンロールとロック
ここではロックンロールとロックを区別する。 ロックンロールはアメリカ的だが、ロックは必ずしもそうではない。今回はロックンロールが始まる背景の解説。
Tin Pan Alley から Jump Blues へ
1930 年代、著作権管理団体の ASCAP はラジオ局に対して大きな著作権料を要求するようになった。 その結果、ラジオ局は BMI という別の著作権管理団体を立ち上げた。 Tin Pan Alley の曲は ASCAP にほとんど登録されていたから、 BMI はそれ以外のブルースとかカントリーとかラテンとかを登録した。
上の事件が、ブルースとカントリーの融合としてのロックンロールを生む土壌となったとされる。 しかし、それほど重要な事件ではないという考え方も増えてきた。
Tin Pan Alley 全盛の時代は、劇場専属のオーケストラがいた。 その後、レコードやラジオの技術が上がっていって、専属オーケストラが不要になってきた。 そのような背景の中で、1942 年に演奏家の団体がストライキを起こした。
1940 年代には Jump Blues が流行った。これは小編成のダンス音楽である。Louis Jordan "Choo choo ch'boogie" が典型。当時は Bebop よりも売れていたが、現在では忘れ去られている。
なぜ、Jump Blues ではなくて bebop が jazz 本流とされたか?黒人音楽が即興的なものだとされたから。
ラジオとクロスオーバー
レコードは黒人用と白人用に分かれていた。しかし、ラジオの方はそうは行かない。 1940 年代以降、クロスオーバー(黒人向けと白人向けの曲が混ざる)の傾向が出てきた。
Big Mama Thornton "Hound Dog" は、そんな時代に黒人の間で売れていた曲。
クロスオーバーの傾向がでてくると、プロデューサーたちは、黒人ぽく歌える白人シンガーを探すようになった。 その中で、エルヴィス・プレスリーが出てきた。
Elvis Presley "Hound Dog" は先の曲のカバー。
ロックンロールの始まり
1945 年、第二次世界大戦が終わって、郊外が発達する。アメリカ人がお金持ちになって、十代の子供がお金を使えるようになる。
そこで、ティーンエイジャーのための音楽が出てくる。ベビーブーマーが十代になったのが 1950-60 年代。 彼らが聴く音楽がチャートの上位を占めるようになる。
ここで、若者というカテゴリが生まれた。音楽もそれに合わせて、エネルギッシュになってきた。それがロックンロールである。

第9回 ロックとポップスⅡ~新しい音楽の成立をもたらしたビジネスモデル

ロックンロールの退潮とレコーディング技術の進歩
1958 年にエルヴィス・プレスリーが徴兵でドイツに行くなどして、ロックンロールは一時期退潮となる。
1950 年代後半から 1964 年にビートルズが来るまでは、いわゆる「オールデイズ」(Brill Builing Sound) が流行する。 これは、いわばアイドル系。例:Little Eva "Locomotion"。
この時代の音楽は Tin Pan Alley の反動的復興と見られることもある。が、最近では再評価が進んでいる。
この時代にはレコーディング技術が進んだ。スタジオの中で音が作り出されるようになった。 たとえば、Phil Spector が Wall of Sound とよばれる技術を開発した。そのレコーディングの例:Ike & Tina Turner "River Deep - Mountain High"。
ガレージ・ロック(若い人たちが自分たちでバンドを作って演奏する)のブームが起こった。そこから出てきたのが、たとえば The Beach Boys "Surfin' USA"。
これ以来、リズムがフラットな8ビートになった。それまでは、3連符で跳ねるようなリズムが用いられていた。 これをもってロックンロールからロックに変わったという言い方をすることもある。 ガレージ・ロックは素人がやるものだったので、リズムが簡単になった。
ビートルズとフォーク
1964 年にビートルズがアメリカにやってきた。女性ファンが多く、アイドルとして受け入れられたとも見られる。
この時代には左翼の音楽としての「フォーク」が流行っていた。公民権運動が背景にある。
1965 年に Bob Dylan がエレクトリック・ギターを持って登場した。これは反発を買ったが、講師によるとこれがロックの誕生とも見られる。 ロックは、商業主義の中で反体制的なメッセージを出す。
Bob Dylan の "Like a rolling stone" を聴く。

第10回 R&B・ソウルミュージック~第2次大戦後のアフリカ系アメリカ人の音楽文化と公民権運動の関係

戦後の黒人音楽
1960 年代は、公民権運動の時代。1964 年以前は白人も運動を支えた。フォーク・ミュージックがその運動を支えた。 1964 年に公民権法が制定された。その後、黒人の運動が先鋭化してきたので、白人が離れていった。
1959 年、Berry Gordy Jr. がモータウン・レコードを設立した。モータウンは、ポップスを制作して人気を博した。 制作スタッフはほとんどが黒人だった。例:The Jackson 5 "I want you back"。
モータウンは、Motor Town の略で、デトロイトが発祥。その後、西海岸に移った。
1964 年以降のブリティッシュ・インヴェイジョンの中でも、モータウンとビーチボーイズは生き残った。 ロックの時代以降、楽曲中心からアーティスト中心になってゆく。モータウンは、グループでも中心人物を決めるというように、アーティストを売り出していた。
1959 年にメンフィスにスタックス・レコードが設立される。モータウンに比べて「本物の」黒人音楽と言われていた。 パワフルで荒々しい音楽を出しており、黒人のステレオタイプに合っていた。例:Otis Redding "Respect"。
しかし、スタックス・レコードの創業者は白人で、専属バンドの半分は白人であった。これに対して、モータウンのスタッフはほとんど黒人だった。 モータウンの音楽の方が洗練されていた。人々は黒人音楽のステレオタイプにとらわれて、スタックスの方を
James Brown とファンク
ファンクは James Brown が切り開いたジャンル。James Brown は、1956 年にデビュー。最初は普通のリズム&ブルースを歌っていた。
1960 年代半ばに三連符系から 16 ビートのリズムに移行する。これがファンク。例:"Papa's Got A Brand New Bag"。
ファンクでは、リズムをエレクトリック・ベースが担う。それまでの音楽はウッド・ベースがリズムを刻んでいた。 エレックトリック・ベースの方が細かくリズムを刻みやすい。
1970 年の "Sex machine" は James Brown の代表曲。和音が基本的には一つ(実際、正確には二つ)。コード進行しない音楽が出てきた。 Miles Davis のモード奏法と呼応している。

第11回 ヒップホップ~知的でクリエイティブな側面

ヒップホップの成立
技術的背景としてはシンセサイザーがある。YMO (Yellow Magic Orchestra) のテクノポップも影響を与えた。 例:YMO "Computer Game -- Theme From The Circus"。
ヒップホップは、ブロンクス発祥。1970 年代のブロンクスは、スラム化していた。 その中でブロック・パーティーというダンスパーティーが開かれていた。 その中で DJ Kool Herc は、リズム中心の間奏部分(ブレイク)が盛り上がることに気付いた。 たとえば、James Brown "Funky Drummer" がよくかかっていた。
DJ Kool Herc はブレイクがもっと長ければよいと思って、同じレコードを2枚用意して、同じブレイクを交互に流すことにした。 このレコードの二枚使いがヒップホップの成立に重要。これは、作品の受容者が作品を変えてしまうという新たな文化が始まったことを意味する。
このようにブレイクを伸ばして、それにラップを乗せたものがヒップホップ。
最初のレコードは、Sugarhill Gang "Rapper's Delight"
ラップとサンプリング
ラップは、連歌の会のようなもので、一つのテーマを元にして韻の踏み方が格好良いとかフレーズが格好良いということを競う。 構造としては、ジャズに近い。
DJ の方は、やがて、リズムブレイクだけでなく楽曲の一部分を抜き出して繰り返すようなことになってきた。 DJ にとっては過去の楽曲は鉱脈で、それを組み合わせる。 過去の作品の格好良いところだけ繰り返すのはポストモダンな実践だと言える。
Gang Starr "Mass Appeal" ; Vic Juris のジャズの曲のエレクトリックピアノの一節を延々と繰り返している。
こうなってくると、そのヒップホップの曲は、誰の曲かと言うことが問題になってくる。今もこの問題はちゃんと解決されていない。 ただし、今はサンプリングがそれほど使われていない。

【吉田感想】ヒップホップがこういう即興的なコラージュであることをはじめて知った。

第12回 ヒスパニックの時代~ヒスパニックとアジア系の台頭がもたらすアメリカにおけるラテン音楽の新しい変化と歴史の見直し

アメリカ合衆国におけるラテン音楽の影響
2016 年のビルボードラテン部門第1位は Nicky Jam "Hasta el Amanecer" であった。YouTube での再生回数は 10 億回を超えている。
最近のアメリカ合衆国ではヒスパニック/ラティーノ人口がどんどん増えてきている。2000 年の調査では、アフリカ系アメリカ人よりも数が多くなった。もちろんヒスパニックの黒人という人もいるので、厳密に比較はできない。
そうなると、アメリカの歴史の書き換えが起こるだろう。音楽文化史でもヒスパニック/ラティーノの影響がより多く語られるようになるだろう。
アメリカ合衆国には昔からラテン音楽が入ってきている。たとえば、1910 年代にはタンゴ、1930 年代のルンバ(キューバ音楽)など。 たとえば、Don Azpiazu 楽団 "Peanut Vendor (南京豆売り)"。
1950 年代にはマンボが世界的に流行。代表曲が Perez Prado 楽団 "Cerezo Rosa"。その後は、ボサノバ、サルサが流行した。
ラテンの影響を強調した音楽史の試み
南北アメリカ大陸というフレームで物を見ると、歴史の記述が変わってくる。
ブルースは黒人の音楽とされているが、ラテンの影響も大きい。19 世紀南部に黒人が奴隷制を逃れてメキシコに行った。そのようなメキシコの文化の影響を受けた黒人がまたアメリカに戻ってブルースを作った。
ロックンロールはカントリーとリズム&ブルースが融合してできたと言われる。そのシンボリックな曲は Bill Haley は "Rock around the Clock"。ところが、1955 年の最大のヒット曲は "Cerezo Rosa"。ロックンロールの古典とされる Bill Haley の "Rock around the Clock" は2位。Bill Haley のその前の曲は "Mambo Rock"。ロックンロールのリズムである Bo Diddley beat はラテンの Clave(クラーベ) と同じ。ロックンロールの成立にもラテン音楽が関係している。

第13回 アメリカ音楽とテクノロジー~ストリーミングサービスなど IT 革命が音楽文化に及ぼした影響と今後のアメリカ音楽の行方

アジア系の影響
アメリカ合衆国におけるアジア系の人は 5 % 弱で増加中。最近では、テレビドラマでも群像劇ではアジア系の役が必ず出てくるようになってきた。
2012 年、韓国人の Psy(サイ)の "Gannam Style(江南スタイル)" が流行した。乗馬ダンスのステップとともにヒットした。 Psy はキャラクター化された。
ピコ太郎 "PPAP" のヒットは、この振り付けとキャラ化という流れの中に位置づけられる。Justin Bieber の SNS 書き込みをきっかけにヒットした。
Bruno Mars は母親がフィリピン人という意味でアジア系。父親はプエルトリコ系。デビュー曲は "Just the Way You Are" で 2010 年にヒットした。
インターネットの影響
むかし、ビルボードチャートは正確ではなかった。1991 年に POS システムが利用されるようになって、ロックのランキングが下がって、ヒップホップとカントリーが上がった。
ストリーミングサービスが現れて、音楽にアクセスする権利を買うようになった。それまでは楽曲にお金を払っていた。
このような中で Taylor Swift が Spotify に不満を持ってカタログを引き上げた。無料会員制度を嫌がったといわれる。彼女の代表曲 "Shake It Off"。
ストリーミングが増えて、ここ2年間はアメリカの音楽業界は成長している。これは 1999 年以来のことである。音楽業界が再編されたということかもしれない。
ビルボードのチャートは、売れているということではなくヒットしているということを反映しようとしている。 そこで、YouTube の再生回数もカウントすることにした。2013 年の Baauer "Harlem Shake" がチャートに入ってきたのがその例。
無料でアルバムをネット上に流す人も現れた。たとえば、Chance the Rapper "No Problem"。 彼は、今後ミュージシャンは音楽はネットに無料で流し、ライブとかグッズとかで収入を得ることになると言っている。