維摩経

著者釈徹宗
シリーズNHK 100 分 de 名著
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2017/06/01(発売:2017/05/25)
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読了2017/06/27

維摩経の話は初めて聴いたが、著者が薦めるだけあって、大乗仏教の真髄をわかりやすく説明した物語のようである。 重要なところは在家の肯定と慈悲や「空」の思想ということのようだ。在家を肯定的にとらえることや慈悲の考えは、 仏教が広がる上で重要だし肯定的にとらえたいと思うのだが、「空」まで行ってしまうと行きすぎじゃないかなという気がする。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 仏教思想の一大転換

仏教の歴史と特徴
釈迦は、煩悩を小さくすることで苦悩から離れられることに気付いた。
初期仏教においては、出家者は輪廻から解脱して涅槃に達することを目指した。 これに対し、在家者は少しでも良い世界に生まれ変わろうとした(生天思想)。「天」に生まれ変わるのが目標となった。
大乗仏教の流れの中で『維摩経』が生まれた。
仏教思想は幅が広い。それは、仏教に「脱構築」が内臓されているから。究極的には仏教の教えを捨てても良いと説いている。
大乗仏教の特徴
「菩薩道」;仏道を歩むものはみな菩薩。菩薩は、自らの悟りを求めるとともに、他を導く。
「空」の理念;「空」によって二項対立が解消される。
「他者性」「社会性」の重視
『維摩経』
紀元1~2世紀ころの成立。
本番組で扱うのは、漢訳『維摩詰所説経』全3巻、14章。
在家者の維摩が主役。
第1章「仏国品」
仏の国は世俗の中にある。
六波羅蜜(6つの修行法」
四無量心(理想的な精神)~慈悲の心
四摂法(理想的な行為)
環境が良いか悪いかは自分の内面の反映である。自分のフィルターにとらわれずにものごとを見るのが「智慧」。
第2章「方便品」
維摩は自らが病む姿を人々に見せる。体も精神も刻々と変化しており「自分というもの」は無いと説く。。

第2回 「得意分野」こそ疑え

第3章「弟子品」
釈迦は弟子に維摩のお見舞いに行くように言うが、皆嫌がる。かつてやり込められたことがあるからである。
舎利弗は「坐禅とは俗世間の中で、身と意(こころ)を現さないこと。」と言われた。
目連は「在家者にはありのままの姿を説かないといけない。それは、不変の実体はなく、すべては『空』だということだ。」と言われた。
大迦葉は「乞食行は、自然のままに行え。乞食行は施す側のものでもある(執着を捨てるトレーニング)。」と言われた。
富楼那は「説法は、自己の都合を消して、相手に合わせて行え。」と言われた。
優波離は「自分というものは存在しないと分かれば、人は誤った考えや行動には走らない。」と言われた。
羅ご羅(「ご」は目へんに侯)は「出家とは、利益や功徳とは離れた世界に生きることである。」と言われた。
阿難は、釈迦の教えを聞きそこなっていたことを指摘された。
このように、維摩は仏弟子のそれぞれの得意分野の落とし穴を突いていった。
第4章「菩薩品」
釈迦は菩薩にも維摩のお見舞いに行くように頼むが、これも断られる。かつてやり込められたからである。
弥勒菩薩は「仏教では、すべてのものは現在の連鎖なのだから、未来や過去にこだわってはいけない。」と言われた。
光厳童子は「日常生活のすべてが仏道修行だ。」と言われた。
持世菩薩は、維摩の神通力に助けられた。
善徳は、「金品の施しよりも仏法を説くことが大事だ。」と言われた。
第5章「文殊師利問疾品」
文殊菩薩は渋々維摩の見舞いに行く。
維摩の病気の原因は、結局慈悲の心。人々の痛みと苦しみに自分の心をシンクロナイズした結果、病気になった。
ここでは、智慧の文殊と慈悲の維摩を組み合わせてある。ちなみに、釈迦三尊像では、智慧の文殊と慈悲の普賢が組み合わされている。

第3回 縁起の実践・空の実践

第5章「文殊師利問疾品」
すべてが縁起の中で捉えられるという世界観を極限まで推し進めたのが「空」の思想。
「空」は無分別(あらゆることを区別なく見てゆく)。すべてのことがらに実体はない。
「空」によってあらゆる二項対立が解体される。たとえば、煩悩と悟りは一つである(煩悩即菩提)と説かれる。
「空」という認識によって執着を捨て、苦悩を滅することを目指す。
世の人々の心の働き→仏の悟り→仏教以外の異説→「空」という道筋が示される。
苦しみの中にあっても人々の中で生きよ。他者には慈悲を。
自分には執着するな。変わらないものはないのだから、自分もない。
「空」にとらわれてもいけない。それは「空病」。
日本仏教では、出家スタイルは定着せず、半僧半俗の人が仏教を担った。『維摩経』の影響も大きいだろう。
第6章「不思議品」
「一即一切・一切即一」ひとつはすべて、すべてはひとつ。
第7章「観衆生品」
分別(善悪の区別、貴賤の区別など)から離れよ。表面的な現象や形態にとらわれるな。
第8章「仏道品」
悟りに至るには非道(苦悩や罪に満ちた迷いの世界)に身を投じよ。
煩悩の泥濘の中でこそ仏道を実践すべし。

第4回 あらゆる枠組みを超えよ!

第9章「入不二法門品(にゅうふにほうもんぼん)」
不二(ふに)の法門とは、相反するものが一つとなる世界のこと。二項対立を解体して悟りに入る。
ものは生じず、なくなりもしない。
聖と世俗の区別もない。
正道と邪道の区別もない。すなわち、大乗仏教と初期仏教の区別も無い。
「維摩の一黙 雷の如し」言葉や思考や認識からも離れるのが不二の法門。
第10章「香積仏品(こうしゃくぶつぼん)」
仏国土「衆香国」では香りで教えが説かれている。
これに対して、この世界にはかたくなな人が多いので、釈迦は力強い言葉を使って人を導いている。
本来ならば普通の暮らしが理想だが、この世界にはかたくなな人が多くて出家をするしかないということで、釈迦は出家のルールを定めた。
第11章「菩薩行品」
仏道にはいろいろな道がある。
第12章「見阿閦仏品(けんあしゅくぶつぼん)」
維摩は阿閦仏のいる仏国土「妙喜国(みょうぎこく)」からやってきた。
第13章「法供養品」
「法の供養」=仏典を読み、教義を理解し、実践し、他者に伝えること。
法四依(ほうしえ):「義に依りて語に依らず」「智に依りて識に依らず」「法に依りて人に依らず」「了義経に依りて不良義経に依らず」
第14章「嘱累品」
釈迦のことば。
『維摩経』の現代的な意味
苦難の世俗を生きる。
「自分というもの」は変化してゆくことを認識する。
他者にうまく迷惑をかける。依存先を増やす。「お世話され上手」
自分のバリアを外す。