松本清張スペシャル

著者原 武史
シリーズNHK 100分de名著 2018 年 3 月
発行所NHK 出版
電子書籍
刊行2018/03/01(発売:2018/02/25)
入手電子書籍書店 honto で購入
読了2018/03/26

松本清張の存命中は書店の本棚にけっこうずらりと作品が並んでいたと思うが、最近では少なくなってしまった。 私は流行の小説はあまり手に取らない傾向にあるので、一つも作品を読んだことがなかった(と思う)。 放送を聞いて清張が面白そうだということを知ったので、そのうち読んでみたい気になった。

前半の2回では、松本清張の推理小説から当時の時代背景が見事に浮かび上がるということをテーマにして解説がなされている。私が生まれる前の小説だが、私が幼かった時のことを思い浮かべ、それから少し昔に外挿すると確かにこんな感じだったとわかる気がした。

後半の2回は、昭和初期の軍部と皇室に関わる問題を扱った作品である。皇室内部の確執やシャーマニズムなどを描いているのが非常に興味深い。

「100分de名著」放送時のメモと放送テキストのサマリー

第1回 人間と社会の暗部を見つめて―『点と線』

松本清張の魅力
高度成長期の日本の姿が読み取れる。
『点と線』の基本情報と背景
1957〜1958年に旅行雑誌「旅」に連載された作者初の長編推理小説。
舞台となる「あさかぜ」は、東京と博多を結ぶ寝台特急。当時は急行の旅が普通で、「あさかぜ」は憧れの的。刑事は急行しか使えない。
『点と線』の始まり
香椎の海岸で男女の死体が見つかる。男は佐山憲一、女はお時。佐山は官僚で、汚職事件の渦中の人物だった。お時は料亭「小雪」の女中だった。心中事件かと思われた。
刑事の鳥飼重太郎が疑問を抱いた。佐山のポケットにあった食堂車の領収書に「お一人様」と書かれていたのだ。汚職事件を追っていた三原刑事はその話に興味を持った。
東京駅で、佐山とお時が一緒に列車に乗ったという目撃証言があった。
4分間のトリック
東京駅で、「あさかぜ」がいたのは15番線、目撃者がいたのは13番線。
目撃可能なのは、午後5:57から6:01までの4分間。これは、当時のダイヤに基づいている。
目撃したのは偶然とは思えない。目撃者のうち、女2人は料亭の女中仲間。男は料亭の常連客の安田辰郎。亡くなった佐山の上司の石田部長と仕事上の付き合いがある。
殺害計画に迫る
この日に限って、安田は女中に駅まで見送らせていた。お時を目撃させるとともに、安田のアリバイにもなっていた。
香椎には国鉄香椎駅と西鉄香椎駅がある。どちらの駅でも男女を目撃したという証言があった。その間6分しかかからないはずなのに、目撃には11分の間隔があった。すると、目撃された男女は同じではなく、二組の男女がいたということになる。
二組の男女は、佐山とお時、ならびに安田と共犯者だったのだろうと思われるだろう。しかし、実は、一組の男女は、安田とお時だった。お時は以前から安田の愛人だった。もう一組は、佐山と安田の妻亮子だった。安田と亮子はそれぞれ一人ずつを殺害し、死体を並べた。
亮子は結核で療養をしていて、時刻表が好きだった。殺害計画を練ったのは亮子であった。
男女関係の時代背景
昔は、愛人がそう珍しくなかった。
清張は、女性を主犯に設定した。そのためか、この小説は女性にも人気がある。

第2回 生き続ける歴史の古層―『砂の器』

『砂の器』基本情報
1960--1961年、読売新聞夕刊連載。
1960年代は、所得倍増が謳われた時代。同時に都会と田舎の格差が広がっていった時代。
『砂の器』あらすじ
東京・蒲田の操車場で男の扼殺死体が見つかる。被害者は、前の晩は若い男とバーで一緒だった。彼らは東北訛りで話しており、「カメダ」の話が出ていた。そこで、今西刑事と吉村刑事はそれは羽後亀田のことだと推測して、そこに行ってみたが、全くの空振りに終わった。
今西刑事らが羽後亀田を去ろうとする時、新進芸術家集団「ヌーボー・グループ」の面々がそこに現れた。その後、この集団の周りで不審な死が相次いだので、今西刑事は、メンバーの和賀英良と関川重雄に疑いを抱き出した。
被害者は、島根県の亀嵩(かめだけ)で巡査をしていた三木謙一だった。東北弁と出雲地方の方言が似ていて、「カメダ」とは亀嵩のことであった。
三木はお伊勢参りの途中、急に東京に向かっていた。三木は偶然映画館で偶然和賀英良の写真を見かけたところから、東京に行ったのであった。
和賀英良は、実は元の名前を本浦秀夫といい、ハンセン病患者・本浦千代吉の息子であった。
かつて、本浦千代吉は、秀夫を連れて、遍路の旅に出ていた。秀夫が7歳の時、島根県の亀嵩にやってくる。そこで、巡査の三木謙一に出会った。三木は、当時の法律に則って、千代吉を療養所に入れ、秀夫を手元に保護し、寺の託児所に預けた。秀夫は間もなく出奔した。
秀夫は、大阪の空襲で戸籍原簿が焼失したのを利用して、自らの戸籍を偽造し、親との縁を切ったのであった。そして秀夫は和賀英良として生まれ変わった。
三木は、東京に行って秀夫こと和賀に会い、そこで過去を知られることをおそれた和賀に殺されたのであった。刑事は、和賀を逮捕した。
描かれている格差
捜査にあたる今西刑事と新進芸術家集団「ヌーボー・グループ」のメンバーが対照的に描かれる。 刑事は下町的な北区滝野川に住んでおり、家は家賃が安く日当たりが悪い。 一方、ヌーボー・グループの面々は学歴も高く、夜ごとバーに繰り出す。とくに 天才作曲家の和賀英良は田園調布に住んでいる。
ヌーボー・グループの中にも格差がある。作曲家・和賀英良は、前衛音楽の旗手であるのみならず、大物政治家・田所重喜の娘と婚約している。 これに対し、批評家・関川重雄は、バーの女給の三浦美恵子と付き合っているが、そのことをひた隠しにしている。女給には、まだ風俗的な意味合いが残っていた。関川の住まいは目黒、美恵子の住まいは木賃アパートであった。関川は、和賀にコンプレックスを抱いている。
英良の父がいたハンセン病患者施設と、義父となるべき田所重喜の広大な邸宅である霽風園(せいふうえん)の対比も大きな落差である。
太平洋側と日本海側の落差も描かれている。日本海側は貧しい。東京以外の舞台は、羽後亀田と島根の亀嵩(かめだけ)という日本海側だった。

第3回 歴史の裏側を暴き出す―『昭和史発掘』

『昭和史発掘』
『週刊文春』で 1964 年から 1971 年にわたって連載されたノンフィクション。
清張は、今でいうオーラルヒストリーの手法を利用した。
後半は二・二六事件に充てられており、今回はそこを紹介する。
二・二六事件
1936(昭和11)年 2月 26日に起きた大規模な軍事クーデター。1400名あまりの兵が参加したもので、単なるテロではなかった。
陸軍皇道派の青年将校が率いた部隊が、政府要人を襲撃し、高橋是清らが殺害された。
兵士たちは警視庁を占拠した。
二・二六事件の背景
大正から昭和になって、天皇の姿が露出されるようになってきた。 「明治の再来」として若い天皇が表に出された。そこで、「君民一体」ということが言われた。 そのために、天皇は自分たちの思いを受け取ってくれると考える人が増えた。
農村の疲弊など社会が悪くなるのは、「君」と「民」の間にいる 政府要人が「君側の奸」だからだと、青年将校には映った。
そこで、青年将校らは、「君側の奸」を排除しなければならないと考えた。
清張の視点
清張は、中橋基明中尉に焦点を当てた。
中橋は、近衛歩兵第三連隊に属しており、宮城占拠計画の成否の鍵を握っていた。
清張の記述の意義は、二・二六事件を皇居を占拠して天皇を確保しようとした事件であると見た点である。
清張以前は、青年将校は、「君側の奸」を殺害し、天皇から褒めてもらえるのを単に待っていたと思われていた。 しかし、清張が発見したことは、青年将校が皇居を占拠しようという計画を持っていたことだ。
中橋の行動
中橋らは、午前5時10分ころ高橋是清大蔵大臣を殺害した後、宮城に向かう。
午前6時ころ宮城守衛隊司令官の門間(かどま)健太郎少佐に坂下門の警備を願い出て、休憩の後、午前7時半ころ坂下門の警備についた。
午前8時ころ、中橋が警視庁を占拠していた野中四郎部隊へ手旗信号を送ろうとしたところ、疑いを抱いた門間少佐の部下に止められた。
中橋が休憩でぐずぐずしていたのは、皇居周辺で皇軍同士の争いが起こることをおそれたためではないか。
秩父宮の存在
昭和天皇の弟である秩父宮は陸軍士官学校を出ていた。反乱軍に参加した安藤大尉は彼の友人だった。
弘前に赴任していた秩父宮は、事件を知って上京した。秩父宮は青年将校の望みを叶えるよう働きかけるつもりだったのではないか。
宮城に到着してみると、昭和天皇は激怒していた。それを知った秩父宮は「変心」し、将校らに自決を勧めた。
28日、陸軍首脳部は討伐を決定。クーデターは失敗に終わり、青年将校の多くは死罪となった。
昭和天皇が怒った背景には、秩父宮と皇太后(貞明皇后)が青年将校にシンパシーを持っていたことがあったのではないか。
貞明皇后は秩父宮を溺愛していたという説もあり、昭和天皇は秩父宮を警戒していたとも考えられる。

第4回 国家の深層に潜むもの―『神々の乱心』

[解説]小説の基本情報
1990 年から 1992 年まで『週刊文春』に連載された長編推理小説。
未完の遺作となった。
[小説]事件の始まり
物語は昭和 8 年に始まる。埼玉県梅広に月辰会(げっしんかい)という謎の教団があった。
特高警察の吉屋警部は月辰会に不信を抱いた。そこから出てきた宮中の女官の北村幸子を尋問した。彼女はその数日後、自殺。
[解説]島津ハル事件
小説のモデルとして、島津ハル事件という実際に起こった事件がある。女官長の島津ハルが新興宗教の「神政龍神会」に入信。 不敬罪で逮捕された。取調べ中、彼女は昭和天皇の崩御と高松宮の擁立を予言した。
神道は祭祀であって宗教ではないということになっていたので、女官が他の宗教を信じることはありうる。
[小説]月辰会
秋元伍一は、関東軍の特務機関に所属していた野心家であった。
月辰会は、秋元が江森静子という霊媒師と組んで始めた新興宗教である。秋元は平田有信と名を変え教祖となる。
静子の占いはよく当たる。そこで軍人や宮中の人々まで入信するようになってきた。
一方、教団内では静子の暴走が止まらなくなる。教団の実権は静子が握っていた。
月辰会では、アマテラスの弟のツクヨミを祭神としている。ツクヨミは『古事記』『日本書紀』にはほとんど出てこない。
[解説]皇室内の確執
貞明皇后(皇太后)と昭和天皇との間には確執があった。
皇太后はかなり力を持っており、日中戦争から太平洋戦争の時期、軍人は昭和天皇のみならず皇太后にも戦況報告をしていた。
清張は、宮中のこうした権力構造を月辰会の権力構造に反映させている。女性が実権を握っている。
[小説]平田の野望
平田の野望は、日本を裏で動かすことであった。それで、皇太后を入信させようとしている。 皇太后は秩父宮を偏愛しているので、平田は秩父宮を即位させようと計画する。
昭和天皇を呪い殺す陰謀が明るみに出る。
平田は古物商から偽の三種の神器を入手する。これで国家を牛耳ろうとした。
[解説]三種の神器
三種の神器は誰も見たことがないので、偽物を本物だと言い張ってもなかなかわからない。 実際に、そのような主張をする団体が現れる事件があった。
神器を確保することこそが、天皇が天皇であることを保証する上で重要。
[小説]未完の小説の推測されるエンディング
静子は娘の美代子に嫉妬する。平田が美代子に代替わりさせたので、静子の怒りは頂点に達する。
皇太后が女官たちの工作により月辰会に入信する。
軍人によるクーデターが始まる。平田は、秩父宮に偽の神器によって即位することを迫る。
しかし、静子の呪いにより、平田は稲妻に打たれて死ぬ。
[解説]清張の意図
皇室にあるシャーマン的な要素を明らかにした。
宮中のタブーを描いた。昭和天皇と貞明皇后の確執など。